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エボラ出血熱緊急募金 第52報
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© UNICEF Guinea/2014/Christophe Boulierac |
2014年11月21日、ボコウロウマで行われたコミュニティ住民のエボラに関するミーティング。 |
なぜこんなにも長い時間を要するのか。なぜ、何カ月もエボラの症状や予防法について繰り返し説明を重ねているのにも関わらず、依然として抵抗感を拭い去ることができないのか—。
感染の始まりから12カ月が経とうとするなか、疲れ果てたギニアの人々やコミュニティ、対応に追われる医師や支援従事者たちのもどかしさが募ります。
ユニセフ・ギニア事務所の同僚は、毎日16〜20時間、休暇を取ることもなく任務にあたっています。試行錯誤しながら新しく考えた手法を用いて工夫し、人手を阻む道なき道を進み、拒絶や抵抗を示す住民の誤解を解くために、民家を一軒一軒訪ねています。
しかし、エボラの収束の兆しは依然としてみられません。エボラへの拒絶反応は、住民の間で和らいだり強まったりを繰り返し、ときには全く新しい地域で突然生じたりします。私はエボラの感染拡大の要因を突き止めるため、現地に赴きました。スイスのジュネーブからギニアの首都コナクリへと旅立ち、飛行機を乗り換えて感染の中心地のひとつ、ンゼレコレへ辿り着きました。
私は、緊急事態下での支援活動に長年携わってきた経験をもとに、今西アフリカで起きているエボラの感染拡大の要因やその対応について調査し、見解をまとめる任務にあたりました。ンゼレコレに着くと、ギニア南東地域にあるユニセフのティエルノ・バー現場事務所所長を訪問しました。ティエルノ所長は、この地に起こった異変について、初めてメールで報告したときのことを語りました。2014年2月−謎に包まれた病で住民が命を奪われていました。衛生環境の整備はあらゆる病への対応に重要であるので、ティエルノ所長はすぐに、消毒用の塩素や石けんの配布を始めました。
エボラの感染拡大阻止のために、ユニセフが力を入れているのが、コミュニティの動員です。住民たちと協力して取り組みを進めるのです。そうすることで、コミュニティ主導で住民たち自らの命を守り、更なる感染を阻止することができます。私は、感染拡大阻止の壁となっている問題は何か、尋ねました。
「エボラへの対応を困難にしている要因は、ひとつではありません」ティエルノ所長が語り始めました。「たとえば、30以上の多様な言語が使われている地域や、深く根付く文化や古代からのわだかまりがある地域、外部の人間や行政機関に対し不信感がある地域などでは、村から村へ、家から家へと住民のもとに赴き、話を聞き、エボラに関して説明をする必要があります。多くの場合、このような取り組みを通じてコミュニティと信頼を築くことができます。しかし、ようやく築くことができたとしても、突如として住民たちの抵抗感が再燃することもあるのです。そうした場合、また一番初めのステップからやり直すしかありません。
また、恐怖を感じた住民は、自分たちは騙されていると思い込むのです。エボラの感染者は治療センターに運ばれていきますが、ときには命を失い、元気な姿を二度と目にすることはありません。もし、全身を防護服で身を包んだ人たちが急に家にやって来て、母親が連れていかれ、二度と戻ってくることがなければ、どう思うでしょうか。また、エボラという病への恐怖もあります。これらの問題の解決の鍵を握るのは、コミュニティです。だからこそ、我々はコミュニティと協力して取り組みを進めているのです。是非、その目で確かめてください」
© UNICEF Guinea/2014/Christophe Boulierac |
“歓迎のしるし”村への入り口には、手洗い所が設置されていた。 |
だからこそ私は、コミュニティでの現状をこの目で確かめるために、ギニアまでやって来たのです。度重なる訪問や話し合いをし、保健担当者との協力の下、すでに取り組みを進めている村か、エボラへの対応を受け入れ始めたばかりの村か、どちらの村を訪問したいかと尋ねられました。私は後者を望み、バリジア地域にあるボコウロウマ(Bokoulouma)という村を、メアリーさんという運転手と一緒に目指しました。
いつもは陽気なメアリーさんの口数が、村へ近づくにつれて極端に減っていくのが分かりました。実はとても怖かったのだとメアリーさんが打ち明けらたのは、だいぶ後になってからのことでした。エボラの啓発活動を行う人たちやジャーナリスト数名が残酷な死を遂げたギニア南東部の村Womeyへの任務は、メアリーさんが運転手として付き添う予定だったのだと話してくれました。そして数週間前には、ベイラで脅迫をうけ、車に石を投げられたといいます。メアリーさんは、彼女の仕事の危険性や、エボラ啓発活動の現場で起きている現実を、深く認識していました。
ボコウロウマへ到着すると、私たちを歓迎しているというしるしである、手洗い所が村への入り口に設けられていました。村へ入る人たちは、必ずここで手洗いをするようになっています。これは、エボラの啓発メッセージが広まっていることを意味しています。村へ入ると、コミュニティや地方行政、ユニセフやNGO団体による啓発チーム、地元の牧師などから挨拶を受けました。
ギニアだけでなくアフリカのほとんどの国で、小さな村を訪問する際に重要なのは、その地域の慣習に敬意を表し、現地のリーダーたちへ一番初めに挨拶をすることです。エボラの場合も、例外ではありません。コミュニティの住民たちのために、今まで経験したこともない、命を奪う病と闘っているのは、リーダーたちなのですから。多くの場合、ニュースなどの情報は入っておらず、住民は悲惨な話を耳にしています。敬意や理解を示さなくては、啓発チームの取り組みが前に進むことはありません。
啓発活動で最も重要なことは、住民の話に耳を傾けることです。多くの場合、人々はただ話を聞いてくれる人を求めているのです。ですから、年配者に会い、できる限り注意深く話に耳を傾けます。
「とても怖いです。初めて啓発チームがこの村に来たとき、受け入れを拒否しました。しばらくして近隣の村の女性がエボラで死亡しました。そして瞬く間にその女性の息子や3人の住民の命が奪われたのです。その村への立ち入りは禁じられました」と、3人の子どもを持つ52歳の母親のダラさんが語ります。
「受け入れを拒否したせいで、首長は県の会議への参加が許されませんでした。それから、私たちは村を訪れる啓発チームの話に耳を貸すことを決めました。かつて、私たちはひとつのお皿から食べ物を分けて食べていました。でも今は、家族同士ですら、お皿を共有することはありません」
「エボラへの恐怖が拭い去れません。いつも、どこか心の中に不安を感じています。畑仕事に行くときも、心配で仕事に集中できません」
ダラさんの話が、頭の中から離れませんでした。ユニセフは心のケアを通して、子どもたちやその家族がトラウマを乗り越えるための支援を行ってきました。この村ではエボラの症例も、死亡者も出ていません。それにも関わらず、住民たちは明らかにエボラへのトラウマを負っています。
28歳ぐらいの若い男性に、「エボラであなたの生活にどのような変化がありましたか」と尋ねました。男性はしばらく遠くを見つめ、話し始めました。「たくさんの人が命を失いました。だれも、この地域で取れた作物を買おうとしません。子どもたちは学校が休校になっているので、落ち着きがなく、時間を持て余しています。エボラは、人々のやる気まで奪っています。最初にこの村に訪れた啓発チームが、誤ったメッセージを広めたのです。『消毒は、死を意味する』と言っていました」
私自身、この噂を耳にしたことがあります。エボラ感染者の自宅を塩素消毒する防護服を着たスタッフに、住民たちが近寄ることはありません。住民たちへの誤解を払しょくして理解を高めてもらうため、消毒を行うスタッフが作業の様子を実演しています。防護服の着方や消毒を準備する様子を見てもらい、エボラ・ウイルスに感染していない民家を使って、住民たちにも消毒を体験してもらいます。
私たちは4時間以上にわたって住民の話を聞いたり、討論を繰り返しました。私はその時初めて、ギニアで啓発チームが直面している課題が理解できたように感じました。エボラへの恐怖、忍耐、人々が心に負ったトラウマは、住民の気力さえも奪っています。
その村を去るとき、住民からお礼にとニワトリ一羽と、ボコウロウマで一般的な苗字である「ギラヴォギ」という名前をもらいました。
村からンゼレコレへ戻るまでの道のりの途中、多くの村を通り過ぎました。広大な国土、コミュニティへ辿り着くことの困難さ、そして地域での慣習の違いを考えると、ギニアが直面している課題は明らかです。明日どのような困難が待ち受けているのかすら、予測できません。
数日後、ユニセフやパートナー団体がボコウロウマでのコミュニティ管理委員会を立ち上げたと聞きました。住民により運営されるこの管理委員会は、エボラへの支援サービスの調整を行います。エボラの感染拡大を終わらせるのは、ほかのだれでもない、コミュニティの住民たちの力なのです。
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