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教育環境は不備でも学ぶ意欲高く
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空から見るブータンは深い山並みが切れ目なく連なり、険しい渓谷や盆地の小さな集落、山の斜面に散在する家と段々畑が人の存在をわずかに感じさせる。九州の1.1倍の広さの国に約60万の人々が住む。90%以上の人が住む農・山村は、車両の通行可能な道路まで徒歩で数時間を要し、自給自足型の社会を各地に形成してきた。
1961年にスタートした5ヵ年計画によってブータンは国家として開発に取り組み始めた。当時、ブータンには医師は2人、学校は11校で児童・生徒は440人であった。現在の各界を担う人たちが学校で学んだ最初の世代で、大臣や副知事との懇談の折に、先生などが家々を回って子どもを学校に連れにきたので、おじいさんやおばあさんは孫が取られてしまうと思って子どもを家の中に隠したり、大切な米を持って学校へ連れ戻しに行ったとか、そのころの自分たちのエピソードを話してくれる。
地方によっては今の子どもたちが学校教育を受ける初めての世代となっている。プナカ県ゲンシャリ村(約70世帯)のコミュニティスクールは、村の人々が協力して建てた地域小学校である。車が通る道路から山道を30分ほど登った山腹に平屋建て3部屋の校舎がある。
6年生までの小学校は全国で128校だけで、歩いて数時間かかる子どもたちは幼い時から寄宿舎に入る。このため、親が子どもを自宅から通えるよう村に校舎を建てると、ブータン政府は教師を派遣し、教科書と教材を提供している。ゲンシャリ地域小学校は多くのコミュニティスクールがそうであるように4年生までで、1部屋に2学年が学ぶ複式授業を行っている。机がすべての児童に行き渡らず、土間に座って授業を受けている子もいる。教科書は学校からの貸与で次の新入生に引き継いでいく。数少ない教材は、使わない時には棚の中に大切に保管している。1時間くらい歩いて通う子どももいるが、学ぶ意欲は高く、村のほとんどの子が就学している。学校が終了し帰路が一緒になった子どもたちは、私たちが慎重に歩かなければ危ない急坂をはだしで駆けるように下っていく。振り向く子どもたちの笑顔が輝いている。
外の世界と接触が限られてきたブータンにも近代化の波が押し寄せている。若者の都市志向の傾向も出ている。その中で、ブータンは伝統的な文化と価値観の保持、環境の保全を重視しながら、GNP(国民総生産)という経済指標ではなく、GHP(国民総幸福)を指標とする独自の開発を目指している。ブータンの進む道が、開発の中で多くの社会問題を生み出している国々とは異なる“発展”を成し得るかは、今の子どもたちが担うことにあるのであろう。