ヨルダン・ラニア王妃による「ガザの子どもたちについて」の声明
ユニセフ子どものための大使 ヨルダン・ラニア王妃による記者会見(ヨルダン・アンマン)
ヒューマニティ(humanity)を不完全なものにしてはならない
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」世界人権宣言第一条。
「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」世界人権宣言第三条。
過去41年間にわたり、ガザの人々は占領下で生きてきました。過去18カ月、彼らは包囲された中で生きてきました。そして、ここ10日間、ガザの人々は残酷に継続される軍事攻撃の中で生きています。
人権宣言が普遍的でないのか、あるいはガザの人々が人間でないのか、彼らは「普遍的な権利」に値しないのか・・・。今、世界が問われているのは、こうしたことなのです。
今日、私は国連機関のメンバーの方々と共に、ガザでの人道危機について訴えたいと思います。
ガザだけではなく、今、グローバル・ヒューマニティ(Global Humanity)そのものにも、危機がもたらされています。ネルソン・マンデラはかつて言いました。「私たちの自由はパレスチナ人の自由なくしては不完全だ」と。今日、私は言いたいと思います。私たちのヒューマニティは、パレスチナ人のそれなくしてはない、と。不完全である、と。普遍的ではない、と。
私は次の言葉を世界の指導者たちに送りたいと思います: 私たちのヒューマニティは、どんな国籍の子どもたちであろうとも、子どもたちが軍事行動の犠牲になっている限り、完全ではないと。
70人以上の子どもたちが命を落としています。600人近くが負傷しています。世界はその母親たちに何という言葉をかけたらいいのでしょうか? 1日のうちに5人の娘を亡くしたパレスチナの母親に・・・。痛みに泣き叫ぶ子ども、恐怖に打ち震える子どもたち、私たちが一生涯かかっても経験しないであろうトラウマに対処しなければならない子どもたちを見る母親たちにどんな声をかけたらいいというのでしょうか?
軍事行動の巻き添えだと言えばいいでしょうか?
彼らの命はどうでもいいのだと?
その死は数える必要なないと?
ガザの子どもたちは「生命、自由及び身体の安全への権利」がないと?
母親たちに何と声をかけたらよいのでしょうか?
すべての国々がこの戦いを終わらせるために立ち上がらなければなりません。通行が遮断されているすべての検問所——特にカルニ——を開け、小麦、燃料、医薬品、そのほかの必須物資が通れるようにしなければなりません。
少なくとも、私たちは停戦のための努力を後押しし、人道的な停戦をもたらさなければなりません。子どもたちのための停戦を。負傷した人たちを助け、瓦礫の中に埋まっている人たちを探し出すため・・・家から出ることができない病人や老人たちの面倒を看ることができるよう、必須な医薬品、装置を運び込み、スタッフを入れなければなりません。
少なくとも、各国政府は・・・ガザの罪のない一般市民の当面のニーズを満たすための、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)による緊急アピール 3400万米ドルに応えるべきです。いえ、応えなければなりません。
ガザの子どもたち・・・亡くなってしまった子どもたち、かろうじて生きている子どもたち・・・そして母親たち、父親たちが軍事行動の巻き添えになることは、許してはいけないのです。彼らの命はとても大切です。失われた命はどれも尊い命なのです。私たちが言うところのヒューマニティから切り離してはいけないのです。どの子ひとりとて、どの市民ひとりとして無視はできる存在ではないのですから。
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