HOME > 世界の子どもたち > 緊急支援情報 > アフガニスタン 2001/10/12
財団法人日本ユニセフ協会




ユニセフ アフガニスタン緊急支援プログラム 特別代表ナイジェル・フィッシャー氏 来日

緊急報告会レポート

空爆の開始と近づく冬を前に危機的な状況を迎えているアフガニスタン。ユニセフ アフガニスタン緊急支援プログラム特別代表 ナイジェル・フィッシャー氏とユニセフ アフガニスタン事務所 モニタリング・評価担当官 勝間靖さんが急遽来日し、関係者や関係機関に対し、ただちにアフガニスタンへの支援を!と訴えました。
 10月12日、当協会で開催された緊急報告会のようすをお伝えします。

◆ナイジェル・フィッシャー氏からの報告◆

9月11日のテロが発生した日、私はニューヨークにおりました。多くの人と同じように、あの日以来、私の人生も変わってしまいました。こうした事件がすぐに私たちの生活を変えてしまうことを実感しました。
 私は、アフガニスタンの国とその周辺国の支援にあたるために、ただちにイスラマバードに向かい、活動の指揮にあたりました。

アフガニスタン内のユニセフ

 ユニセフはアフガニスタン国内に6つの事務所を持っています。首都のカブール、ジャララバード、カンダハル、ここはタリバンの精神的な故郷とされているところです。そして、マザリシャリフ、ヘラート、ここも4000年さかのぼるような古都です。最後はファイザバードですが、ここだけは、現在北部同盟が支配している地域です。そして、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、パキスタンといった周辺各国にも事務所があり、連携を図っています。アフガニスタンの事務所もパキスタンのイスラマバードに移されています。アフガニスタンとの国境の近く、ペシャワール、クエッタにも事務所があり、現在のアフガニスタン向け活動のセンターとなっています。

 ここ2、3週間の間に私たちは、アフガニスタン国内に送る物資を集積する輸送基地を周辺国に何ヶ所か設けました。この基地は、難民問題に対応するためのものでもあります。パキスタンのペシャワールとクエッタ、イランのマシャード、トルクメニスタンのトルクメンラバードには、すでに輸送基地ができております。タジキスタンとウズベキスタンについては(政府と)交渉中ですが、ようやく数日前にタジキスタンからOKが出て、ドゥシャンベに初めて緊急物資が空輸されました。間もなく輸送基地をつくることができるでしょう。また、ウズベキスタンにはトゥルグースというロシアが使っている基地があり、現在は空爆の前方基地となっています。ここを人道援助の基地とすることには、さまざまな混乱が生じるとの考えがありますが、事態が変わればここを使うこともできるようになるのではないか、と考えています。

ドンキー・キャラバン

 9月29日以来、すでにヨーロッパから9回の物資空輸を行っています。それぞれの便が40トンの物資を輸送基地に運びました。例えば、毛布、テント、衣料品、栄養補助食料、水の供給用ツールなどです。国境の輸送ポイントにできる限りの物資を集積しておいて、チャンスが来れば間髪を入れずに輸送隊をアフガニスタン国内に送り込む、という体制を取っています。
 9月11日以降、アフガニスタン国内への物資の輸送は止めざるを得ない状況でしたが、9月29日に、私たちはアフガニスタン国内への物資の輸送を再開しました。ぺシャワールを出発したトラック隊は、国境を超え、途中900頭のロバに荷を積み替えて標高4000メートルのシャー・シャリフ峠を越え、北部同盟が支配するバダクシャンまで到達し、その後ジープなどでファイザバードへと向いました。この物資輸送は国連機関として事件後初めてのもので、ドンキー・キャラバンとして大きなニュースにもなりました。
 それ以来、ジャララバード、カンダハル、ヘラートなどに向けいくつかの輸送隊が動いております。今ここでお話している間にも輸送隊がトルクメニスタンからヘラートに入っているものと思われますし、昨日もクエッタへ40台のトラックを国境へ送り出しました。セキュリティチェック後、国内へ向かうことになっています。

アフガン国内のユニセフスタッフ

 9月11日の事件後、国連各機関の外国人スタッフに対してアフガニスタン国内からの退避命令が出たため、ユニセフの外国人スタッフもすべてイスラマバードに退避しました。しかし、アフガン人スタッフはそのまま国内に残っており、現在70名ほどが困難な状況の中で事業を続けています。
 タリバンは、外国人・スタッフが退避した後、ユニセフの事務所を閉鎖しようとし、彼らに電話、ファックス、e-mail、衛星電話などすべての通信機器の使用を禁止しました。
 しかし、現実には抜け道があり、コミュニケーションを続けています。タリバン保健省は私たちと連絡を取っており、私たちのアフガン人スタッフがパシュトゥーン語(彼らの言葉)で、プログラムについてのみ話すのであれば、保健省のオフィスでコミュニケーションを取ってもよい、言われています。ヘラートの場合には、知事のオフィスを使うことを許してもらっています。また、一部のスタッフは陸路で国境までやってきて私たちとどのようにプログラムを進めたらよいか話をしています。

 このように、9月11日以降も私たちのプログラムは続いています。大きな都市には必ず国内避難民キャンプがありますが、ここでも水の補給、コミュニティ開発のためのプログラムなどが実施されています。8月に黒柳徹子さんが訪れたヘラートの国内避難民キャンプには30万人ほどの人が暮らしています。ここでは、多くのNGOと協力して女の子のための教育を実施しています。
 私たちのアプローチ、特に女の子の教育についてはタリバンから反対を受けています。女性が医師や看護婦、先生として働くことも反対されます。医療が必要な女の子は、男の親族と一緒に医者のところに行かなければならず、その上患者である女の子が直接男性の医師の診察を受けることは許されません。病状などは付添いの男性の親族が医師に伝えるのです。多くの診断上の間違いが生じます。女の子によりよい医療ケアを与えてください、という願いもタリバンには受け入れてもらえません。
 しかし、子どもの予防接種や避難民への物資配給には大きな協力を与えてくれます。タリバンとの関係は、一部で協力を得、一方では強く反対を受ける、といったことが続いています。

 9月11日以降の最も素晴らしい成果は、全国予防接種デーを実現したことです。もともと9月の23日〜25日にかけてアフガニスタン全土で500万人の子どもを対象にポリオの予防接種を実施することが予定されておりましたが、これが本当に実施できるか危ぶまれておりました。しかし、タリバン保健省からも実施したいという意向があり、全土で多くの人を動員し、この非常に困難な状況の中で、150万人から200万人の子どもに予防接種をすることができました。外国人スタッフがいない中で、これは素晴らしい成果でした。

最も困難な状況にあるのは国内から出られない人びと

 現在国際的な注目を集めているのは、アフガニスタンから周辺各国に難民が大量に流出するのではないか、ということです。もちろん、これも大きな危機です。
 しかし、私たちは、国境に辿り着けた難民はまだ幸運なほうだと考えています。国境まで出てくるにも、ところどころでわいろを支払わなければならず、国内には、国境にもたどりつけない貧しい人びとが何百万人もいます。実際、25年も続いている内戦と4年続いている干ばつの影響で、すでにアフガン国内には500〜600万人もの国内避難民が支援を必要としているのです。彼らは、生活の糧を得ることができず、国際的な援助に依存せざるを得ませんでした。推定ですが、子どもたちの50%は程度の差はあれ栄養不良に苦しんでいます。9月11日の以前でさえもWFP(世界食糧計画)によると今年の冬も230万トンの穀物が必要と試算されていました。しかし、まだその10%しか調達できていません。11日以降、私たちは(物資調達の)プログラムを加速して、早く冬に備えるようにとの司令を出しました。あと6〜7週間もしますと冬がやってきます。冬の気温はマイナス15度〜25度にもなります。昨年の冬には数十人の子どもが寒さで凍死しました。
 今、伝えたいメッセージはただひとつ、「生存の確保」ということです。とにかく冬が来る前にがんばらなければならない、命を救う援助物資を届けたいのです。テントも毛布もセーターも栄養補助食料も必要です。アフガニスタンでは1日の50人の女性が出産時に亡くなっており、子どもの4分の1は5歳の誕生日を迎える前に亡くなっているのです。
 一刻も早く、アフガニスタン国内に援助物資を運び入れることが重要です。そうすれば、現地のNGO、アフガン人スタッフが援助活動を行うことができます。

難民の危機

 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、最悪の場合、150万人が国境地帯に難民として出てくるだろうと予想しています。そのうち100万人くらいはパキスタンに、40万人くらいはイランに出てくるだろうと言われています。しかし、まだそれほど多くの難民が到着しているわけではありません。
 国境に出てきた難民がみな難民キャンプに入るわけではありません。国境をくぐりぬ抜け、パキスタンなどで暮らす前回流出した他のアフガンの家族を頼っていくのです。
 パキスタン政府は、国境地帯に難民キャンプをつくりたいと言いますが、視察に訪れたところ、そこは岩山と砂漠しかなく、ほとんど水源も確保できないところでした。干ばつで地下水の水位もどんどん下がっており、地表から200〜800メートルも掘らないと水が出ない状況です。
 パキスタンにおいて私たちは水の供給や予防接種などの事業を行おうと協力を申し出ています。必要な援助は必ず与え、どんな難民の子どもにも予防接種をしたい、水と衛生を確保したい、ヘルスケアを提供したい、と考えています。そして、こうした難民対策事業は、すでにある地元の事務所を通じて実施することになっています。
 重ねて申しあげますが、私たちのプライオリティは、国境地帯にいる難民よりもさらに悪い状況下にあるアフガニスタン国内にいる数百万人の国内避難民です。

アフガニスタンの将来を見据えて

 人道的な援助に対処する一方で、アフガニスタンの復興を考える必要もあります。アフガニスタンの政権が変われば長期的な活動が可能になるかもしれません。国外に出ている多くのアフガン人と協力をすることもできるでしょう。クエッタやペシャワールには多くのアフガン人のインテリがいますし、ヨーロッパや北米にもいます。
 3日前に私はワシントンで在米のアフガン人エンジニアや医師、教育者、大学教授などと会い、もし再建を考えることができるとして、将来アフガニスタンでどんな教育や保健の制度をつくったらよいだろうか、女性の権利を守るためにはどうしたらよいだろうか、というようなことを話し合いました。今この状況の中で、そんなことを考えるのは夢のようなことに思えるかもしれませんが、すべてのシナリオを考え、準備をすることが必要だと思います。そこで、私たちはこの件についてアフガン人で構成される諮問委員会をつくることにしました。ユニセフは、ある日、人道的援助を超えて、アフガニスタンの再建に取り組むことができればと思っています。

 私たちはすでに10月から来年3月にかけて必要な資金3600万米ドルの緊急支援アピールを出しております。しかし、現在わずか700万米ドルしか届いておりません。私たちは国連の基金から500万ドルを借りており、もうそれを使ってしまいました。非常に緊急です。3600万米ドルのうち2600万米ドルが今すぐに必要です。あと500万米ドルを12月までに、残り500万ドルは1月から3月までに手に入れることができれば、その資源を最大限有効に使うことができます。

 みなさん、私たちをサポートしてくださって本当にありがとうございます。これは特別な危機です。多くの緊急援助に携わってまいりましたが、こんなことはめったにありません。特にひとつの国でこれだけのインパクトを世界に与えるなどということはありませんでした。
 空爆が終わったときに、テレビカメラがいなくなったときに、世界はアフガニスタンを忘れてはならないと思います。将来を考えていただきたいのです。人道的な援助だけに依存しないアフガニスタン、平和と安全保障が確保されるアフガニスタンのためには長期のコミットメントが必要です。
 ある意味ではこれまで国際社会がアフガニスタンと十分な関係を保ってこなかったことが、テロを生み出したとも言えるのではないでしょうか。テロに対する戦いは、新しいかたちの生活をアフガニスタンに生み出すことでもあります。25年の内戦の後で、よりよい生活のための夢と希望をアフガニスタンが持てるようになることが必要です。今日活動して命を助け、継続して支援を続ければ、必要な再建ができるでしょう。

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◆勝間 靖さんからの報告◆

いつもユニセフへの支援をありがとうございます。
私の仕事はモニタリング・評価ということで、私たちのプロジェクトが実行されているか、効果的に実施されているかを確認するのが私の仕事です。ふだんはイスラマバードにいるのですが、アフガニスタン国内のさまざまな事務所を巡回しながら仕事をしてきました。

アフガニスタンってどんな国?

 アフガニスタンというと遠い国のように思えるのですが、私たちと異なっているところもあれば、なんとなくなつかしい雰囲気もある国です。アフガニスタンは多民族国家で、タリバンが母体としているパシュトゥーン人のほか、ウズベク人、タジク人、ハザラ人などがいます。特にハザラ人は日本人によく似ていて、私がアフガン人のような格好をしていくとハザラ人に間違えられます。
 歴史をご存知の方も多いと思いますが、西からギリシャ文化、東から仏教文化が入ってきて、ここで融合し仏像ができるようになりました。壊されてしまいましたがバーミヤンの仏像もありましたし、大きなものだけでなく小さなものもたくさんあります。
 私たちの生活とも直接的、間接的に関わりがあります。エネルギー資源が多いですし、中国とも近い関係にあります。パキスタンとの間では民族的・政治的なことでもめています。日本は昔アフガニスタンと友好を結んでいて、国王もたびたび来日していたようです。

女性を雇えない・・

 私の仕事は、アフガン人の状況についてデータを集めるということなのですが、最近、カンダハルの近辺に200ほどある国内避難民キャンプで、子どもたちの栄養状態がどれくらい悪いのかサンプリング調査をしました。テロ事件後、この栄養調査もストップしてしまいましたが、ある程度集まったデータを見ると、5歳未満の子どもの栄養状態は非常に悪いです。ただし、やせ細ってしまうかたちのアフリカの栄養不良と違い、慢性的な栄養不良のために身長が伸びない、脳の発育が妨げられる、というような栄養不良が多いのです。

 私は、この調査のために何度も知事(タリバンのナンバー2であるムラハッサン氏)のところへ交渉に行きました。
 タリバンは女性が働くことを禁止しています。子どもの調査をするために、お母さんに子どもが何を食べているのか、ビタミンAは取れているのかなど直接質問をしたいのですが、男性は女性から直接話を聞くことができません。そこで、女性の質問員を雇いたいのですが、それが大変難しいのです。女性は医療分野では働いてもよいということにはなっているのですが、昨年新しいタリバンのお触れがあり、女性は国際機関やNGOのために働いてはならないことになってしまったので、さらに難しくなってしまいました。
 それでどうなったかといいますと、交渉の結果、ようやく知事が保健省の女医を使うことを了解してくれて、調査を実施することができたのです。

マスラック・キャンプ

 ヘラートには、マスラック・キャンプという最大級の国内避難民キャンプがあります。今10万人ほどがいます。ここでは、国内避難民が増える勢いがすごくて、いくらテントをたてても、いくら井戸をつくっても追いつかないのです。20年以上続く内戦のためにいろいろなところから逃げてくる人がいますし、30年来最悪の干ばつが4年続いており、加えてテロが起こり、現在3重苦の状態です。
 マスラック・キャンプの一番西側、まだテントもシェルターも設置してないところにどんどん人が来て住みはじめています。そして、「私たちはここにきて2週間になるけど、一切支援をもらっていない」と訴えるわけです。彼らは、地面に1メートル半くらいの深さの穴をほり、その周囲に壁のように50センチほど土をもり、その上になけなしの布をはって、その中で生活しています。そうした人たちに訴えられて、本当に私たちも辛いのですが、増える勢いがすごすぎて、本当に追いつかない状況です。

女子教育を実現したキャンプ

 ヘラートから西に行ったところにシャイダイ国内避難民キャンプがあります。ここはタリバン地域にも関わらず、何と女子教育をやっています。これも実は長い交渉の結果実現したのです。
 タリバンの指導者は若い人が多く、30代から40代、実際私より年下のケースが多いです。ヘラートの知事は元タリバン運動の広報官だった人ですが、この人も36歳と若い方で、タリバンの中では結構ものわかりのいい人なのですね。それで、女子教育の話をするとき、こんな話をしたんです。

勝間: 「私の日本にいる母も病気がちでときどき病院に行くけれど、あなたの家族はどうなのか?」
知事: 「うちの母も時々病気をする」
勝間: 「そうだろう、そういう時はどうするんだ?」
知事: 「医者に行く。でも女医じゃないとだめだ」
勝間: 「そうか、でも女医はいるのか?」
知事: 「いや、いない」
勝間: 「それじゃ困るじゃないか、本当に重病になったときは、どうするんだ?」
知事: 「うーん、困ったな」
勝間: 「医学部の女子学生は卒業してしまったし、女の子の教育を禁止しているから次の入学者はいないし、このままだとあなたの国に女医さんはいなくなってしまうではないか…。あなたのお母さんが病気をしたときにはどうするのか?」
知事: 「うーん…」

とまあ、こんな風にようやく気付いてくれて、それでは何とか例外として国内避難民キャンプで女子教育を認めましょう、ということになったわけなんです。

 そのほかに、女の子のための自宅学習所が開かれています。仕事をやめさせられてしまった女の先生がこうしたところでコミュニティの子どもたちを集めて教えています。これに対し、ユニセフも文房具を提供したり、先生のトレーニングを行ったりなどの支援をしています。

カラシニコフを数える子どもたち

 ファイザバードは北部同盟が支配している地域なので、女子教育が全体的に認められています。ここで何百人もの女の子が勉強している姿を見ると、アフガニスタンの奇跡、といった印象を受けてうれしくなります。しかし、ここは陸の孤島と言われるようなところで、本当に何もないんです。水道もなく、国連の宿舎に泊まってもお風呂に入るのに桶で水をかけるだけ、といった感じです。

 制約の中で必死に活動していますが、なかなか先は見えません。この国は将来どこへ行くのだろう、と考えます。この冬、人道援助でできるだけ多くの子どもの命を救うという短期的な目標はあるのですが、その先に何があるのかと考えると、やはり教育だろう、と思うのです。国が本当に変わるためには今の子どもたちがいい教育を受けて、自分たちの平和と国づくりを考えられれば、その子どもたちがおとなになったときにこの国の将来があるのかもしれない、それが唯一の希望かもしれない、と思います。

 今のタリバンの学校に行きますと、数を数えるのに「カラシニコフがひとつ、カラシニコフがふたつ」とやっているのです。カラシニコフはご存知でしょうか?ロシア製の銃です。子どもの頃から銃を数えながらおとなになっていく、こうしたことが続いていれば、平和構築は難しいと思うのです。
 子どもたちに平和的な教育を受けられる機会を与え、子どもたちがおとなになって自分たちの国づくりをし、かつ、国外に難民として出ている人が自分の国の再建のために帰ってくる、そうしてはじめてこの国の将来があるのかな、と思います。

 絶望することもしばしばありますが、希望もあります。そのためにユニセフは短期的な人道援助、長期的な開発援助を行い、アフガン人の手でこの国を再建できる日が来てほしいと思います。

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◆Q&A◆
Q: 空爆が開始された中で、国内でのNGOの活動などはどうなっているのでしょう?
A: アフガニスタンの中に入って取材をしているというメディアもほとんどが北部同盟が支配する地域からであり、非常に限定的なものです。タリバンが支配している地域に入った記者は逮捕されています。 NGOに関しては、国連の外国人スタッフなどは退避していますが、セーブ・ザ・チルドレンのようなNGOのアフガン人スタッフは残って実際の活動をしています。私たちのパートナーである何百ものアフガンのNGOの人たちは活動を続けているのです。多くのNGOがまだ国内スタッフが中にいるので協力を続けられます、と申し出てくれています。子どもの教育や物資の配布など幅広く活動してくれています。多くはアフガン人のNGOです。ドンキー・キャラバンは、ノルウェーのNGOとフランスのNGOの倉庫を使わせてもらって物資を配布しました。
Q: 米軍が援助物資を投下していると聞きましたが、これは有効なのでしょうか?
A: これは、皆さんの友人としてという前提でお話しますが、これには強い政治的要素があると思います。夜、投下されているので、本当に与えたい人に届いているかどうか、確率は低いと思います。食糧が送られたとしてもアフガニスタンの人が食べるようなものではないかもしれません。
私たちの観点から言えば、もっとも効果的な物資の供給方法は陸路によるものだと思います。例えば、予防接種に必要なワクチンは空中投下はできません。また、子ども用の栄養補助食も油や砂糖を混ぜてつくるようなものなので、空中投下はできません。衣服や毛布は大丈夫かもしれません。
空中投下は本当に最後の手段だと思います。冬が来て地域社会が孤立してしまえば、空中投下が必要となるかもしれませんが、今は陸路がベストな方法だと思っています。
Q: 国外のアフガン人が国の再建に戻ってくればという話があったが、実際にあの厳しい環境に戻って再建しようという意識を持った人はどれくらいいるのでしょうか?
A: 彼らの間では、国に対する強い感情的なつながりがあります。ワシントンやカリフォルニアで暮らす彼らは、アフガンの中では非常に教育程度の高い人びとです。
まずはアフガニスタン国内で活動してくれる人が必要ですが、イランやパキスタンにいる難民とも協力できます。ヨーロッパやアメリカのアフガン人も1年に1ヶ月、3ヶ月と戻ってきて支援したり、潜在的に支援するなど、方法はいろいろあります。

現在は、効果的な政府の枠組みがなく、女性の権利を大切にしない政権を相手に、システマティックに長期的な計画を立てて実施するのが難しくなっています。ですが、将来、どのようなアフガニスタンをつくるのか、アフガン人と一緒に考えていきたいと思っています。外国人をたくさん送り込むのは間違いです。イスラムの文化を理解し、女性の抑圧には賛成はしないけれどもアフガニスタンの文化は分かっているという人達に助けてもらったほうがよいのです。国際的な解決法を押し付けるのではなく、アフガン人の解決策が必要です。

Q: 干ばつの被害が伝えられていますが、その原因は内戦など人為的なものですか?
A: 干ばつはこの地域全体、気候的な問題のために起こったものです。アフガニスタンはもともとが荒野です。人為的なことが原因ではありません。
 (勝間)付け加えますが、アフガニスタンでは長い内戦のため、農業政策が遅れており、潅がい施設がほとんどありません。雨が降らないと水がないのです。例えば、ファイザバードには大きな川が流れているのですが、干ばつが問題になっています。私などはここに多目的ダムをつくって、潅がいや電力生産にあてればよいと思うのですが、内戦のためにそれができないのです。
Q: アフガン人がアフガン人のために働けるシステムをつくらなければならないということはわかりましたが、時間がないこの時に、人道援助のスペースをどのように見つけて入り込んでいるのでしょうか?
A: 私たちは、アフガニスタンの子どもたちの「生存」という非常にシンプルな戦略を持っています。できるだけ国境近辺に事前に物資を集積して、機会があればすぐに国内に送り込むというものです。 空爆が今起こったことを、これ以上遅い時期に起こらなかったことを不幸中の幸いだと思っています。これ以上遅かったら、本当に私たちには時間がなかったでしょうから。 また、アフガン人の解決策といっても国際的な専門家の助言などは必要です。ただ専門家だけで解決策をつくるという事態は避けたいと思っています。

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 ユニセフだけが持っている強いメッセージは「子どものために働く」ということです。「子どもを敵にしてはいけない」のです。ときに、アフガン人の子どものためにアピールをするのは賢いことか?テロを支援する国を支援するのはどうなのか?と言われることがあります。
 しかし、私たちは強く訴えます。「テロリストや為政者がやったことのために子どもが犠牲になることは許されない、子どもは平和地帯だ」と。子どもを兵士にしたり、虐待したり、搾取したり、標的にしたりすることはどんな事態であっても正当化できません。私たちはパワーのあるこうしたメッセージを世界に届けたいと思っています。
 そして、私たちの子どもはテレビを見ながらどのようなメッセージを受け取っているのでしょうか?私たちは子どもたちに、アフガニスタン全体を懲らしめようとしているわけではないということを明らかにする必要があります。家庭でも学校でも世界中の子どもたちの連帯を知ることが重要だと思います。そして、私たちの子どもにも他の文化や寛容の精神の大切さを教えることが必要だと思います。それが国際社会での私たちの責任です。ユニセフがいつも教育が大切だと訴えるのはそこにあるのです。子どもたちに批判的な精神を持って考えさせる、そして解決のための力をつけさせることが求められています。
 子どもたちを平和の地帯とすること、これが今日の問題に対しても将来の問題に対しても解決策となるでしょう。

(ナイジェル・フィッシャー氏)

アフガン難民緊急募金へ