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財団法人日本ユニセフ協会




ユニセフ・アフガニスタン事務所 勝間靖さんからの近況メール

その1:<アフガニスタン カブールのハフィザからの電話>

2001年9月29日

「昨晩、カブールのハフィザから電話があったよ。」
ニルファが言う。イラン人の彼女は、ペルシャ語ができるので、アフガン人とのコミュニケーションもスムーズだ。
「でも、どうやってカブールから電話をかけられたの?」
「電話局で3時間並んだって言ってた。」
「元気だって?」
「ずっと泣いてた。」
「.....」
ハフィザは、ユニセフで子どもの保護を担当している。数少ないアフガン女性スタッフの一人である。といっても、ユニセフのカブール事務所へ行っても、彼女に会うことはできない。

 私がハフィザに初めて会ったのは、昨年の夏だった。カブールにあるM病院へ行くと、ある一室へ連れられた。「ここまで訪れてくれてありがとう。」それが彼女であり、そこが彼女の職場であった。タリバンによると、男女が同じ屋根の下で仕事をするのはいけないことらしい。もっとも、アフガン女性は、医療分野を例外として、就労が禁止されているのだが。従って、ハフィザはユニセフからM病院へ出向しているとでも言えようか。それでもタリバンから監視され、怯えながら仕事をしていた。

「戦争が始まったら子どもたちはどうなるんだろうと泣いてたよ。」
「パキスタンへは出て来ないって?」
「トルクハム国境が封鎖されているから乗り合いタクシーでぺシャワールへ出られないし、別の山越えルートは、彼女自身が足を悪くしているし、たくさんの子どもを連れては無理だって。」

 国連で働いていて、国際スタッフとローカルスタッフが冷酷に区別されるのは、こういう時である。国連の安全フェイズが悪化すると、国際スタッフは退避または避難することになる。米国でのテロ犯罪の後、国連の飛行機がアフガニスタンの各地へ飛び、国際スタッフを拾い集めてイスラマバードへ退避させた。しかし、ローカルスタッフは基本的にその対象ではない。

 アフガニスタン国内にはユニセフのローカルスタッフが数十人もいる。そして、彼ら彼女らの家族も生活している。これからどうなるんだろう、という不安がスタッフ全員に重くのしかかってくる。

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