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財団法人日本ユニセフ協会




ユニセフ・アフガニスタン事務所 勝間靖さんからの近況メール

その3:<アフガニスタン 4000頭のロバ>

 2001年9月30日

 エレンはこの地域で働き始めて10年くらいになる(と思う)。オランダ人の彼女は、国連難民高等弁務官事務所のクエッタ事務所で同僚だったパキスタン人と結婚し、その後、ぺシャワールでいろいろなNGOで働いていたが、4年ほど前からユニセフ職員としてアフガニスタンの仕事をするようになった。このところ彼女は、教科書をバダクシャン州の学校へ届けるために大忙しである。
 北部同盟が支配するバダクシャン州では女子教育が認められている。しばらく前に、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんを学校視察にお連れしたが、何千人という女性が一生懸命勉強している姿には感動する。日本では当たり前の風景も、女子教育を禁止しているタリバン支配地域と比較すると、アフガニスタンにおける奇跡のようにも見える。バダクシャンは山岳地帯であり、陸路によるアクセスが困難であり、予防接種ワクチンなどは国連の飛行機で運ぶ。しかし、重量のある教科書はそうする訳にもいかず、この3年ほど、パキスタン北部から山越えで届けていた。このシャー・シャリーム峠は、標高4000mほどで、1年のうち数カ月しか通れない。
 今年も雪が積もる前に、ぺシャワールの倉庫で梱包し、輸送車隊を組む。しかし、今年の輸送車隊は、例年よりも規模が大きい。なんと200立法トンである。教科書に加え、子ども用の毛布やセーター、基礎医薬品、栄養不良の子どものための UNIMIX(高タンパク質オートミール)などが運ばれる。
 今日(29日)、ぺシャワールから19台の10トントラックから構成される輸送車隊が出発する。「隊長」は、バダクシャンで長年働いている米国人のヘルミオンという女性である。彼女は、アフガン人を愛し、バダクシャンを第2の故郷だと思っている。今回の危機でイスラマバードへ一時退避したが、いつも「バダクシャンのみんなが私を必要としている」、「早くバダクシャンへ帰りたい」と言っている。実際、学校の子どもたちからの手紙が旅人から旅人を経て彼女に届けられるのだ。「いつ帰ってくるの?」
 ヘルミオン率いる19台の10トントラックは、パキスタン北部へ450km走り、標高3000mまで達する。そこで積み荷を100台近くの四輪駆動へ移し、シャー・シャリーム峠へ向かって進む。標高4000m近くまで登ると、そこには500人のポーターと4000頭のロバが待っている。ポーターは荷物をロバに載せ、40kmの山道を二日間かけて旅し、アフガニスタン側へ下りていく。ジーバク平原まで達すると、積み荷を小さなトラックへ移し、バダクシャンの州都ファイザバードへ向かう。

 アフガニスタンの将来は何か?
 私は迷わずに答える。「教育である。」

 アフガン難民緊急募金へ