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財団法人日本ユニセフ協会




新生アフガニスタンの土台は教育から

−バック・トゥ・スクール プログラム:3月の新学期を前に−

シバルガーン、2002年2月9日(ユニセフ)
エドワード・カーワーディン

ユニセフが支援する学校で学ぶ少女たち(カンダハル)  アフガニスタン暫定政府は、2002年3月23日から新学年を開始すると発表しました。けれども、アフガニスタン北部にあるジョズジャーン州の州都、シバルガーンに暮らす数千名の女の子たちは、その日が待ち切れません。タリバン政権が崩壊し、すべての人に教育の機会が開かれることが決定した日、彼女たちは以前通っていた学校にいっせいに戻ってきました。ほとんどの子にとって、教室に足を踏み入れるのは実に4年ぶりのことでした。

 ジャウジャニ女子高校は全部で12クラスあり、1クラス25人の少女たちは大いにはりきっています。教材の数に限りがあるので、教科書は一緒に見なければならず、先生は戸板の裏を黒板代わりに使っています。机と椅子がそろっている教室はほとんどありません。少女たちは床に座ったり、立ったままで授業を受けています。6歳から18歳までの生徒が通うこの学校では、すべてのクラスでダリ語を習います。アフガニスタンの成人の識字率はわずか30%で、読み書きを習得することが一番の優先課題なのです。教材は不足していますが、少女たち、そして教師たちの熱意とエネルギーは圧倒的です。内戦が続いて、教育を受ける権利が大きく制限されていたからだ、と校長は説明します。

 「私たちの国はすっかり荒廃してしまったし、この学校にも問題がたくさんあります。内戦は学校と子どもたちを深く傷つけました。タリバンの支配の下では、私たちの姉妹や娘が学校に通うことは許されませんでした」と静かな口調で語っていた校長が、急に顔を輝かせます。「でもいまは、みんなが学校に戻ってきてとても幸せです。子どもたちの顔を見ることができて、うれしい気持ちでいっぱいです。」

 校長室には20人の教師—全員が女性—が集まり、教育再建に果たすそれぞれの役割を説明してくれました。ほとんどの教師は、タリバン政権時代にも隠れて教室を開き、身の安全が脅かされることもかえりみず、女子教育を続けてきました。

 危険ではなかったのですかという質問に、教師たちは肩をすくめて答えます。「みんな私たちの子どもだし、私たちは教師です。教えることは私たちの務めでした。」こう話してくれた教師は、この高校に戻れると知った日のことをよく覚えています。「タリバン政権が崩壊して2日後のことでした。各地の学校が再開されるというニュースをラジオで聞いたんです。思わず涙がこぼれましたが、それは喜びの涙でした。子どもたちはみんな戻ってきました。」思い出がよみがえったのか、彼女は一瞬口ごもります。「再開後、はじめて出席簿を読み上げたときのことは忘れられません。」

 レイラとだけ名乗った教師は、さっそく小さい教室で12歳の少女たちを教えはじめました。彼女は教室に戻れた喜びを全身であらわしています。生徒たちはみんなダリ語を学んでいます。長いあいだ、国語を勉強することさえ禁じられていたからです。以前もレイラは同じ学校で教えていましたが、タリバンがシバルガーンにやってきて、もうクラスを受け持ってはならないと言い渡されました。ところが2か月前に、ふたたび学校の扉が開かれたのです。彼女の前に並ぶ生徒たちのなかには、見覚えのある顔も混じっています。そのひとりであるサミラは、4年ぶりに先生と再会したときのことを、次のように話しました。

 「私は『こんにちは』と声をかけて、お祝いを言ったの。私たちが二人とも、学校に戻ることができたから。」こうして教師と生徒は、まるで夏休みが終わったあとのように、さりげなく授業に入りました。しかし4年間の中断は、サミラにとって重いものでした。そのあいだ、地元のムッラーからイスラムの教えを学んではいましたが、4人の兄弟たちはもっといろいろな授業に出席していたからです。兄弟たちは、学校で習ったことを夜に教えてくれましたが、聡明なサミラには物足りませんでした。でもいま、彼女は誇らしげにダリ語の教科書を朗読しています。「あのころは、希望がなかった。全然なかったの。」

 シバルガーン最大の女子校である第一女子校で教えるナフィラ先生は、タリバン政権になるまで8年間教壇に立っていました。そして教職を離れていた長い歳月にも、かろうじて自信を失わず、また大きな危険を冒してホームスクールで女子教育を続けてきました。ナフィラ先生や仲間の教師たちは、ふたたび教壇に立てる日だけを夢見てがんばりました。「そんな日が来ると確信していました。この学校でもう一度教えるんだと心に決めて、少しも疑いませんでした。」

 タリバーンがシバルガーンから撤退したその日、ナフィラ先生は当然のように学校の門をくぐりました。生徒たちも登校を始め、その数は日を追うごとに増えていきました。そのなかに9歳のサフィもいました。彼女は9人兄弟のひとりで、男兄弟が3人います。高校生のサミラと同様、タリバーン時代は兄弟が先生代わりで、ホームスクールにも通っていました。教室で学ぶことが、ただの夢だったころのことをサフィは思い出します。「ずっと学校に戻りたかったの。ここにもう一度やってくる日のことを、いつも考えていた。そうしたらある日、ラジオで学校が始まるって聞いたの。とてもうれしかったわ。」

 シバルガーンでは、現在この2つの学校しか開校しておらず、行なわれている授業もあくまで非公式です。州の教育責任者であるモハメド・ウナスは、正式な新学期が始まる前に遅れを取り戻すための補習を行なうことを考えています。しかし学校設備の状態は良好とは言えず、教材も足りません。新暫定政権が主導する教育の再構築活動を、ユニセフも支援しています。新学年の開始に向けて、すでに教科書が300万冊印刷され、パキスタンとの国境に近い包装工場では1分間に2個の割合で文房具キットが生産されています。黒板も1万8,000枚近く用意されました。供給品の一部は、コペンハーゲンにあるユニセフの物資センターから送られますが、大部分はコスト節減のため隣国パキスタンで生産されます。国境を越えて品物を運ぶため、10回以上の空輸が計画され、トラックも数百台調達されました。これはユニセフ史上で最大規模の輸送作戦になるでしょう。しかし政府の教育プログラムを支援するユニセフの活動は、これだけにとどまりません。タリバン政権下でも、アフガン人教育者によって、実践力中心の学習教材作りがおこなわれてきました。地域のラジオを活用した教師向けのオリエンテーション番組で、こうした教材が紹介されることになっており、あらゆる学習機会を提供し、同時に教育内容の質を高めることに重点が置かれています。こうしたプログラムは、今後さらに充実していくでしょう。

 シャミラやサフィアにとっては、まずは基本的な教材を手に入れることが先決です。この2人の少女が、アフガニスタンの子どもたちの気持ちを代弁しているとすれば、新生アフガニスタンの土台は教育によって強固なものになっていくでしょう。