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財団法人日本ユニセフ協会




ユニセフ・アフガニスタン事務所代表エリック・ラロシュ氏 来日

アフガニスタン報告会レポート

2002年7月12日(金)ユニセフハウス

 2002年3月23日はアフガニスタンにとって歴史的な日となりました。何年もの間、学校に通えなかった178万人以上の子どもたちがアフガニスタン全土で再開された3000の学校に戻ったのです。学校でうれしそうに教科書を開く子どもたちのようすは全世界に報道され、アフガニスタンには平和が戻ったかのような印象が広まりました。

 確かに、ここ数年来の、特に昨年9月11日以来の危機の中で、最大限の支援を続けてきたユニセフにも、この日はひとつの大きな成功でした。

 しかし、本当のチャレンジはまだはじまったばかりです。子どもたちでいっぱいの学校ですが、よく見ると1、2年生の教室にばかり子どもが集まっており、教科書も文房具も足りていません。帰還する難民も激増しており、彼らに対する支援も急がなくてはなりません。

imge1  この7月12日、ユニセフ・アフガニスタン事務所代表エリック・ラロシュ氏が来日し、現在のアフガニスタンにおける復興支援の現状と支援の継続の重要性について報告しました。空爆以前からアフガニスタンにおけるユニセフの支援活動の最前線に立ってきたラロシュ氏は、現実に即した支援活動の理念を具体的な事例を交えて示し、継続的な支援がいかに重要かを訴えました。

≪エリック・ラロシュ氏報告≫

 おはようございます。ここで、多大なる支援をお寄せくださったみなさんといっしょに過ごせることを誇りに思います。日本のみなさんのご支援がなければ、アフガニスタンの子どもは学校にもどることも、予防接種を受けることもできず、命を失ってしまう子どもも大勢いたことでしょう。そして、日本ユニセフ協会を通じて、信じられないほどの多額の支援を寄せてくださったことを感謝いたします。

◇アフガニスタンにおけるユニセフとは…

 アフガニスタンは、長い間の戦乱と4年以上の干ばつに苦しんできた本当に大変な国です。国土のほとんどは戦乱のために荒れ果て、社会セクターも破壊され、部族間・グループ間の対立もあります。このような状況の中、私たちが仕事を進めることをもっとも難しくしたのは、タリバン時代から何のデータがない、例えばバック・トゥ・スクールキャンペーンを進めるにもどこに行ったらいかわからない、ということでした。

 ユニセフは、53年間、アフガニスタンで活動を続けてきました。この国の人はユニセフをよく知っており、ユニセフもこの国をよく知っています。タリバンもユニセフをよく知っていました。タリバンでさえユニセフにより予防接種を受けてきたのです。ですから、戦時中であってもユニセフは働きやすかったといえます。 そして、内戦の間、ユニセフは一度もアフガニスタンから撤退しませんでした。
 9月11日以前の段階で、すでに私たちは、いつかタリバン後の政権ができることを予測し、それに向けて物資や資金をすぐに動かせるように準備してきました。また、ユニセフは政治的な団体ではありません。政治を超えて人道支援を行うという立場が明確でした。

 重要なことは、苦しんだり命を失ったりしているのは、兵士よりも子どもや女性であるということです。9月11日後、空爆がはじまる前に、私たちはポリオの予防接種を予定通り行うことを決めました。米国や他の援助団体等からのプレッシャーもありましたが、子どもに予防接種は必要だということを訴え続け、空爆の前に500万人に予防接種を実現しました。そして空爆がはじまってからも、さらに世界中から多くの人びとからの反対があったものの、2回目の全国予防接種デー(National Immunization Day: NID)を成功させました。私たちの活動の原則は、いつも「子ども最優先」だったのです。

 9月11日の直前、8月に私はジュネーブで、アフガニスタンの子どもたちのために冬に備えた支援の重要性を訴えました。干ばつの被害が激しく、人道危機が起こっていることは明白でした。しかし、その時には具体的な反応を引き出すことはできませんでした。
 しかし、ユニセフ内部において、アフガニスタンへの関心を呼び起こす活動ははじめられ、9月11日の事件が起こったときに、私たちはすでに3600万米ドルの人道支援活動計画を持っており、そのために人道危機にもすぐに対応することができました。
 支援物資を満載した80機の飛行機を飛ばし、北から西から南から南西から国境を越えて200のコンボイ(大型トラック)がアフガニスタンのすみずみにまで物資を運びました。80万人の子どもたちに冬用の衣服、毛布、テントを届けました。時には5000頭のロバで国境の山岳地帯を抜け、学用品や支援物資を運んだのです。

◇新しい局面を迎えて

 私たちは新しい局面を迎えました。暫定政権が発足しましたが、彼らにはデータもなく、キャパシティにも欠けています。社会インフラはほとんど失われ、3500あった学校の80%は完全に破壊されてしまっています。 少ないながらも新しい政府にはやる気のある人はいて、復興に向けて協力していますが、政府の信頼性、透明性、汚職等の問題が懸念されています。
 アフガニスタンではもともと中央政府が弱く、地方に強い勢力が散らばっており、経済や治安を担っています。私たちは、いつも中央政府と地方の勢力とのバランスの中で活動してきました。また、北部と南東部には、治安の問題があり活動が制約されるということもありました。

 毛布やテント、食糧、医薬品などをさまざまなものが届けられましたが、私たちはもっとも優先するべきは、すべての子どもたちを学校に戻し、教育を受けられるようにすることだ、と考えました

 しかし、実際にプロジェクトを進めるうえで、私たちは、何人の先生がいるのか、いくつの学校があるのか、何人の子どもが学校に戻ってくるのか、何もわかりませんでした。すべて予測するしかなかったのです。 そして、私たちは、3月23日の学校再開に150万人の子どもが学校に戻ると予測しました。
 そのためにえんぴつ、ノート、消しゴム、えんぴつ削り、スクールバッグなど54の必要な物資をできるだけ安く調達し、子ども用キット、先生用キット、40人の子どもが学習する教室用キットと3つのキットにまとめました。それぞれのキットには教科書などもセットされました。これらのキットを65000セット用意し、アフガニスタン中に配りました。
 3500の学校に配らなければなりませんでしたが、どこに学校があるのかさえわからない状況でした。それでも、ヘリコプター、ロバ、トラック、飛行機すべての可能な輸送手段を通じて、50日の間にこれを配り終える必要がありました。
 これができたのは、ほとんど奇跡です。そしてこの奇跡を可能にしたのは、子どもたちを学校へ戻そうという社会全体の気運、そして、ユニセフ内部から世界各国の政府、民間団体、市民にいたるまで本当に幅広くから集まった支援だったのです。

imge2 ◇子どもたちが学校に戻るということ

 「バック・トゥ・スクール」キャンペーンは、本当に感動的なものです。カルザイ議長も3月23日にはスピーチの中で涙を浮かべたほどでした。アフガニスタンのすべての村で、子どもたちがみな、この緑色のバッグを持っているのを見るのは、素晴らしいことです。
 この会場に来る途中、女の子たちが同じ緑色をしたかばんを持ち制服を着て通学しているのを見ましたが、それはみなさんにとっては、当たり前のことでしょう。しかし、いったん普通でない状況になれば、その当たり前のようすを見ることはできなくなります。
 だから、20年以上の学校に行けない時期を経て、子どもや女の子が学校に戻るということは、非常に強烈で、パワフルな、社会全体へのインパクトがあります。多くの訪問者も、親も、子どもたち(特に女の子)が学校に戻ったようすを見て涙を流しました。
 子どもが朝学校に行って、夕方帰ってくる——このことが、親にとっても、社会全体にとっても、戦争が終わって平和が来たんだ、普通の生活が戻ってきたんだ、ということを意味するのです。

 教育を支援することは平和を構築する上で重要です。これまで長い間、アフガニスタンでは教育がなく、そして、平和がありませんでした。23年の戦争を経てようやく平和のためには教育が不可欠だということが理解されたのです。
 そして、この素晴らしい「バック・トゥ・スクール」キャンペーンの資金の60%は日本のみなさんが支えています。

◇命と生活を支えるために…予防接種、妊産婦ケア、栄養不良対策、水の確保

 戦争が終わって、私たちは、はしかに対する予防接種もはじめました。栄養不良の子どもが50%の社会です。はしかにかかると子どもたちはかなりの割合で亡くなってしまいます。私たちは、1000万人の子どもにポリオとはしかの予防接種をすることを目標としており、現在のところ600万人の子どもにはしかの予防接種を、500万人の子どもに2回にわたるポリオの予防接種を実施しています。

 また、20地域で、緊急産婦人科の設置をすすめています。アフガニスタンで女性が亡くなる一番の原因は、マラリアでも肺炎でもなく、妊娠や出産です。妊娠可能年齢の女性の死亡のうち、実に42%が妊産時に亡くなっています。これは世界でももっとも高い数値です。

 栄養不良に対処するため、たくさんのNGOと協力し高たんぱく・高エネルギーのビスケットを配っています。非常に栄養価の高い補助食は、栄養不良に対してよい効果がありますが、使い方を間違れば毒にもなり、子どもの命を奪うことさえあります。現在、30万人の子どもたちにこれを配布していますが、現場で活動しているNGOのスタッフが適切にこうしたビスケットを使えるようにする、トレーニングを行う、これも私たちの仕事です。
imge3  アフガニスタンの栄養不良は慢性的なものです。がりがりにやせ細るというものでなく、身長が伸びないというようなものです。また、微少栄養素の欠乏も課題です。栄養不良は子どもの死亡に深く関係しており、あるキャンプでは、栄養不良が子どもの死亡率を6倍以上高めていました。
 ユニセフはビタミンAを500万人の子どもたちに提供し、26万人のビタミンC欠乏症の子どもたちをケアするなどの活動も行っています。

 パキスタンからの多くの難民が帰還していて、今100万人を超え、これから200万人以上にもなるといわれています。彼らが帰ってきたときの生活基盤の整備も重要で、特に水を手に入れられるようにすることが欠かせません。私たちは、カブール市内だけで3000の家族に水を供給し、また、学校において水を供給できるようにすることを計画しています。今年末までに1000校において水へのアクセスを確保する予定です。
 また、カブールで、水と衛生に関する国際会議が3日間にわたって開かれ、ここで水や衛生に関する今後の新しい政策が立てられました。

◇立ち向かうべき課題

 アフガニスタン全土で治安はまだ回復されていません。ブルズガンというところでは10日前に爆撃があり、カディール副大統領もカブールで殺害され、国連施設の近くにロケット弾が落ちたりもしています。マザール州の近辺では多くの国際スタッフがレイプや略奪や攻撃などに遭っています。
 状況は不安定ではありますが、それが私たちが活動をやめる理由にはなりません。支援をやめたからといって、治安がよくなるでしょうか? そうはなりません。給料が払われない、十分な食糧が手に入らない、アフガニスタンの人びとはそういった状況の中に置かれています。こうした状況が続けば治安はますます悪化します。治安が悪い今こそ支援が必要なのです。
 また、350万人の帰還すべき難民への支援も必要です。帰ってきても、家も、学校も、医療施設もないのです。学校さえないところに彼らは帰ってはこないでしょう。
 また、主な課題は食料の安全な確保です。最近の調査によると、アフガニスタン全土で食料の確保が十分なされていません。アフガニスタン南部ではいつも干ばつの被害を受けてきました。彼らへの支援も重要です。

◇最優先課題は、やはり教育

imge4  そして、教育が最優先課題です。なぜなら、教育がなければ平和はもたらされないからです。教育が家庭にも社会にも平和をもたらします。
 3週間前にマザール州のテント学校に行ったときのことです。この写真の少女はそのテント学校にいました。ユニセフはこれまで教室用のテントを6000提供しました。訪れた学校で、14〜17歳くらいの若い女の子に「将来何になりたいの?」という質問をしてみました。
 「お医者さんになりたい」「先生になりたい」 こんな典型的な答が返ってきました。少しでも教育を受けた親の子どもはいつもこんな風に答えるのです。 そこで、「パイロットになりたい子はいないの?」と聞いてみました。
 そうすると、途端に彼らの顔はかがやきはじめ、好奇心いっぱいの表情で、「そうね、それもできるかもしれない」と話し始めました。希望に満ちたその瞳に私は惹きつけられ、この少女の心の中で何かが起こっているということを感じとることができました。
 5年以上、タリバン政権下で、彼女たちは学校に通うことも外へ出ることも許されずにいました。こうした10代の子どもたちにとって、「バック・トゥ・スクール」キャンペーンは、単に教育を受けるという意味合い以上のものがあります。彼らに希望を回復し、心の発達をうながし、将来の夢を思い描く、つまり、彼らに未来をもたらしているのです。

 一度行えばよい予防接種と違い、教育は継続するものです。今学校をはじめれば、来年もその次も学校を続ける必要があります。少なくともその子どもが小学校を終えられるまでは。すべての子どもに教育をと考えるときには、その先複数年の事業として考えなければなりません。今日、教育に投資するのであれば、明日も明後日も投資しなければならないのです。これから3年以内に、アフガニスタンの親たちが子どもたちを学校に通わせるための費用を負担できるようになるとは思えません。この通学キットはひとつおよそ18米ドルですが、これを負担できる親は今のアフガニスタンにはほとんどいません。

 この「バック・トゥ・スクール」キャンペーンについてのよいニュースは、私たちが予測した150万人をはるかに超える320万人がこれまで学校に戻ったことです。悪いニュースは、150万人を超えた子どもたちには、通学かばんも教材も提供できなかった、ということです。それでも9月には、学校の施設や教材などを追加で提供する予定です。

 そして、学校にもどった子どもの50%は1年生です。そして1年生のうち40%は本来の1年生より年長の子どもたちです。1年生のクラスでは、実に7歳から21歳までが学んでいるのです。年長の子どものほとんどは女子です。せめて、彼らが読み書き・計算ができるようになるまで育てる必要があります。

◇意義ある日本の貢献、そして平和を取り戻すために…

 ユニセフにとってもだれにとってもこれだけの巨大なプロジェクトははじめてのことで、歴史的な意味があります。そしてこのキャンペーンでは日本のリーダーシップが顕著です。
 10日前、ワシントンで米国政府の関係者と話す機会があり、このキャンペーンへの支援を求めましたが、「誰がそのキャンペーンに資金を出しているのか?」と聞かれました。「日本はあなたがたの3倍以上貢献している」と言ったところ彼らはショックを受けたようでした。
 日本はこの意義ある事業に貢献していることも、この事業の大切さももっと知らせる必要があると思います。そして、日本が貢献している資金は効果的に使われているのです。

 皆様の支援によって、このキャンペーンは非常に実りあるものになりつつあります。しかし、状況はいまだに厳しく、多くの課題が残っています。
 それでも、アフガニスタンの人びとはやる気に燃えています。これは9月11日以降に訪れた平和を取り戻すための大きなチャンスです。アフガニスタンの政府、そして人びとを支援することで平和は取り戻せます。そして、多くの困難がありますが、国際社会もアフガニスタンに平和を構築する大きな責任を担っているのです。

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《Q&A》

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Q: 子どもたちが学校に通っているようすを聞けてとてもうれしいです。教材の調達について、おたずねします。提供された教材は外部で作られたものですか?
A: アフガニスタン国内に教科書を印刷できるところがなく、現在アフガニスタンで作られている教科書はありません。しかし、アフガニスタン政府は、国内で教科書を作りたいと望んでいます。経済や社会開発のことも考えると、来年は国内で教科書を印刷できるようになるでしょう。今回の支援では1万点以上にものぼる物資を数週間のうちに調達する必要から、品質のよくないものも含まれましたが、とにかく外部から50日の内に調達しました。 外から持ち込んだほうが品質もよいものが手に入ると思いますが、アフガニスタン政府は経済社会的復興のためにも国内での調達を強く主張しており、私たちもできる限り国内で調達しようとしています。
Q: 混乱している状況で支援物資が着実に届かないケースがあるのではないかと思うのですが、そのあたりはどのように工夫されているのでしょうか?
A: 実際、ちゃんと物資は届いています。政府にまかせることなく、ユニセフのスタッフやいくつものNGOがきちんと監視しながら配布しているので、支援物資のすべては現地に届いています。多くの子どもが何も取っていないという苦情が聞かれるのは、私たちが当初150万人分の教材しか用意していなかったので、絶対数が足りていないためです。
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エリック・ラロシュ(Dr. Eric Laroche)
ユニセフ・アフガニスタン事務所代表

フランス出身。パリ第6大学医学部(サンタントワン)で医学を学び、1975年に医学博士号を取得する。栄養学、公衆衛生学、統計学、疫学などの分野で研究を続け、パリ第4大学、パリ第5大学、米国疫病予防センターなどから種々の学位を取得。
1975-78年 パリのテノン病院に医師として勤務
1978-79年 フランス政府協力省職員としてネパールに勤務
1980-84年 フランス各地で医師として勤務
1985年 パリ第13大学医学部(ボビニー)で公衆衛生学と疫学を教える
1985年6月 ユニセフに入り、ヌジャメナ(チャド)事務所で栄養担当官として、また1986年8月からは予防接種担当官として勤務する
1989年11月 ヤンゴン(ミャンマー)事務所 保健・栄養担当官
1993年7月 ダッカ(バングラディッシュ)事務所 保健・栄養部門チーフ
1997年3月 ブラザビル(コンゴ共和国)事務所代表
1999年11月 アビジャン(コートジボワール)事務所代表
2001年3月 イスラマバードにあるアフガニスタン事務所代表
2002年5月 アフガニスタン事務所がカブールに移転