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世界のニュース(3)

スマトラ沖地震・津波、その後〜
学校にもどって笑顔をとりもどした子どもたち

前号のウェブマガジンでは、スマトラでひがいにあった国の子どもたちのようすを写真でお伝えしました。今もしんこくな津波のつめあとがニュースなどで報じられているなか、幸運にも学校へもどることができた、スリランカのイシャニちゃんのお話がとどきました。

8歳のイシャニちゃんは、津波のあとの4週間のながいこんらんのあとで、ようやく学校へもどることができました。今、ハムバントータの小学校へかよっていて、「学校へもどることができて、どんなきもち?」と聞かれると、顔をかがやかせて「もういちど勉強ができたこと、そして友だちといっしょにいられることがいちばんすばらしいわ!」とこたえました。

イシャニちゃんがすむハムバントータは、スリランカ南海岸にある、津波のひがいにあったちいさな町です。むかしは魚や塩がとれる場所としてよく知られていました。いまはそれらの産業もひがいをうけ、経済が機能せず、何千もの家族が仕事をうしないました。

津波がおそったそのとき、イシャニちゃんときょうだいたちは家のなかで遊んでいました。「私たちはベッドのうえにのぼったわ。でも、ベッドが水でういてきて…。そして家のそとにながされてしまったの。わたしたちがそとに流されたあとで家がこわれたことは、運がよかったと思うわ。私たちはベッドにつかまっていて、そして助けだされたの」。

このようなひどい状況にも、奇跡的に生き残ったイシャニちゃんの家族は、津波のすぐあと、一週間に3回も移動しました。さいしょは、親戚の家にすみ、そして津波のひがいにあった人たちのためのキャンプ、そしてさいごにはちがう村へうつり住みました。移動するたびに、どんどんハムバントータの町から遠ざかり、まわりのすべてがいままで知らなかったものばかりです。

「とうとう私は、家族にもう移り住むのはやめようと言ったの。私とおとうとたちは学校にいきたいし、友だちや先生にあいたい。私たちは友だちや先生とはなればなれになってしまった…」
「津波は学校にとてもひどいひがいを与えました。建物はこわれなかったけれども、102人の生徒と3人の先生が命をうしないました」と、ハムバントータ小学校の校長先生は言いました。

校長先生は、つづけてこう言います。「1月10日に学校を再開したとき、全体の10パーセントの子どもたちだけが学校へもどってきました。親たち、子どもたちはみんな、津波の恐怖とかなしみで心に傷をおってしまっています。そういった心に傷をもってしまった人の数は、だんだんふえてきています。津波のせいで、子どもたちはすべてをうしないました。ユニセフや募金に協力してくださった人たちのおかげで、私たちはすこしづつもとの生活をとりもどしつつあります。私の夢は、この学校を将来、前よりもずっとよくすることです」。

子どもたちが学校にもどることができるように、ユニセフはすべての学校に、学用品、教科書、先生へのサポート、学校にそなえつけるものや制服の配布をしています。また、「スクール・イン・ア・ボックス(箱のなかの学校)」を届けて、40万人以上の子どもたちをふだんの生活をとりもどす手助けをしてきました。

ハムバントータ地域の緊急支援にあたった、ユニセフスタッフ代表のパミーニ・ラナウェーラさんはこう話します。「学校はコミュニティ全体をつなぎとめる役割をしています。子どもたち自身が、生活のなかで学校がどんなに大切かをおしえてくれます。子どもたちを学校にもどすことが、家族やコミュニティが自分たちでたちなおらせる、もっとも良い方法のひとつなのです」。

まだ学校にもどることのできない子どもたちはたくさんいます。ユニセフは早く子どもたちの心を回復させるためには、学校へもどすことが最善の方法だと考えています。今回のスマトラ沖地震でひがいにあった子どもたちが、イシャニちゃんのように早く学校に戻れるようになるといいね。これからもユニセフは活動をつづけていきます。

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