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〜世界の大使をおうえんしよう!(2)〜
米国のユニセフ国内委員会大使
ルーシー・リュウさん コンゴ民主共和国を訪問
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© UNICEF/2007/McKenzie |
国連のヘリコプターで、コンゴ民主共和国北キブ州にある、避難民のためのニャンザレキャンプにむかうルーシーさん |
2007年6月18日、ハリウッド女優であり、米国のユニセフ国内委員会大使もつとめるルーシー・リュウさんは、 内戦によってひがいにあった女性や子どもたちのようすを見るために、コンゴ民主共和国東部をおとずれました。
ゴンゴ民主共和国の北キブ州にある難民キャンプは、できてからまだ6カ月しかたっていないというのに、住む場所をうしなった1万2000人が、このキャンプで生活をしています。そのまわりの地域では、いろいろな武装集団による紛争がつづいていて、支援をするためのグループが立ち入ることはとても危険で、支援が難しい状況になっています。
「これまでよりも深刻なのは、規模の大きさです。20万をこえる人びとが、自分の住んでいた村から出ていかねばならない状況になっています」。ユニセフの緊急支援の専門家であるルシアーニさんはこうはなします。
◆ ぎせいになるのは、女性や子どもたち ◆
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© UNICEF/2007/McKenzie |
ニャンザレの避難民キャンプで水をくむルーシーさん。安全な水があれば、子どもや家族を、コレラやチフスなど感染病から守ることができます。 |
内戦で平和の合意がなされ、2006年に選挙が行われたにもかかわらず、コンゴの東部では不安定な状況がつづいています。今、国民のなかで政府への批判が高まっています。そして、紛争地域にいない人びとでも、反対運動をおこして戦闘になり、命をうしなっています。1998年から400万人の人びとが命をうしなったといわれています。
ルーシーさんは、ニャンザレにある避難民キャンプをおとずれて、女性と子どもたちがたいへんなひがいを受けていることを知りました。
「兵士たちが村にやって来たとき、どう思いましたか?」ルーシーさんは、キャンプで出会った31歳のお母さんフラハさんに聞きました。
「兵士たちがやってきたとき、私は村の中にいました。彼らは私たちが持っているものすべてをうばっていきました。そしてその瞬間(しゅんかん)に、私たちは身の危険を感じて、そのまま走り出して、村をあとにしました。将来の望みなんて、なにもありません。今、言えることは、私とこの子どもがどんな状況にあるかということだけです。子どもたちが泣いているのを見ると、いつもつらい気持ちになります」。
◆ 世界がかわることを信じて ◆
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© UNICEF/2007/McKenzie |
ニャンザレの避難民キャンプには紛争をのがれてきた人びとが、少なくとも1万2000人いると言われています。これは紛争がおこっている地域のひとつのキャンプのできごとにしかすぎません。 |
ニャンザレの避難民キャンプへの支援が到着しました。ユニセフはキャンプのなかに、安全な飲み水を届けるための水のみ場をすぐつくりました。安全な水があれば、避難民キャンプに住んでいる人たちをコレラや、腸チフスなどの感染症から守ることができます。水の支援のほかにも、キャンプのなかに避難生活をしている子どもたちが教育を受けることができるような場所をつくりました。
しかし、政治的には落ち着きをとりもどしたにもかかわらず、この国の東側では、まだ平和をとりもどしていません。
ルーシーさんは次のように話しました。「私は子どもたちや女性たちと話すことができました。みんな声には出せないおそろしさを感じているようでした。そして、今も不安な生活を送りつづけているのです。コンゴ民主共和国に住んでいる人びとは、この状況が変わることを望んでいます。国際社会が、ユニセフやパートナー団体などの国際機関の活動を支援いくことで、その望みが実現できるのです」。
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