フィルドゥさんはナイジェリアでボコ・ハラムの攻撃によって家を追われた240万人の国内避難民のひとりです。残忍な紛争によって、たくさんの子どもたちが悲惨な状況下におかれています。中でもフィルドゥさんが住むボルノ州は、ナイジェリアで一番影響を受けている州だと言われています。 ボルノ州は紛争が起きる前から栄養不良が蔓延し、保健や教育などの公共サービスや安全な水へのアクセスも悪い地域でした。そこへの攻撃や、大量の避難民の流入は、さらなる打撃を与えています。他の地域から逃げてきた人々のうち90%以上は親せきや友人を頼って暮らしており、避難民キャンプに暮らしているのは10%以下です。
今、フィルドゥさんは、ナイジェリア北東部、ボルノ州マイドゥグリにあるサンダ・カリミ国内避難民キャンプで、心理社会的ケアのボランティアをしています。
フィルドゥさんが自宅のあったボルノ州のディクワ地区から逃げてきたのは、ボコ・ハラムの暴動が激しくなった頃でした。「村にいるのは危険だと感じるようになって、友達や姉妹と村を出ました。「逃げている途中、ボコ・ハラムに見つかって、「不信信者の街(マイドゥグリ)に行くのか」と尋問されました。違うと言いましたが信じてもらえず、殺される、と思いました。私はよだれを垂らして狂ったふりをしました。彼らは私たちをどうするか話し合っていましたが、最終的に行かせてくれました。」
cUNICEF/UN028919/Esiebo ボルノ州マイドゥグリのムナ・ガレージ国内避難民キャンプのようす。ボコ・ハラムの攻撃から逃れた多くの人が暮らしています。 |
cUNICEF/UN028915/Esiebo 2016年8月9日、ボルノ州北部マイドゥグリのムナ・ガレージ国内避難民キャンプの食糧配給のようす。 ここには故郷をボコ・ハラムに襲われた人たちが逃げてきています。約240万人がボコ・ハラムの襲撃により国内避難民となっています。 |
マイドゥグリに着いてからしばらくは、親せきの家にいましたが上手くいかず、このキャンプにきました。あとから逃げてきた家族ともキャンプで会うことができました。再会できたときは本当に嬉しくて、泣いて喜びました。 ここのキャンプにいる多くの子どもたちは、ボコ・ハラムの襲撃でとても恐い経験をしてここに来ています。親を殺されたり、拷問を受けたり。 さまざまなトラウマを抱える子がたくさんいます。私は困難を抱える子どもたちを助けたいと思って、ボランティアを始めました。一緒に絵を描いたり、ゲームをしたり、音楽や遊びを通じて、子どもたちが辛いことを考えずにすむようにするんです。 ここでボランティアをすることで、私も子どもたちも充実しています。例えば、お絵かきをするとき、最初は子どもたちは銃や人が殺されるところを描くんです。でも、最近はボールや箱やそういうものを描くようになってきました。これは、子どもたちが少しずつ、過去の辛い記憶を乗り越えていっている証拠です。
cUNICEF/UN028928/Esiebo 子どもたちのお絵かきを手伝うフィルドゥさん。 |
cUNICEF/UN028929/Esiebo 心理社会的ケアのプログラムの一環で、レクリエーションの時間になわとびで遊ぶ子どもたち。多くの子どもたちがボコ・ハラムによる攻撃でトラウマを抱えて逃げてきています。 |
私は高等教育を受けて、校長先生になりたいです。そして、子どもたちに良い教育を受けてほしいと思っています。