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南スーダンの子どもたち

写真に写っているのは、国連南スーダン派遣団 が拠点を置くベンティウ近くにあるリチ小学校で、クラスルームの窓から顔を出す女の子です。

世界で一番新しい国、南スーダン。南スーダンは、2011年にお隣りのスーダンから独立しましたが、その後、政権が安定せず、2013年には紛争が再激化。それ以降、169万人が国内避難民となっています(2016年6月初旬時点)。そのうち子どもは90万7400人。約72万5870人が難民となって近隣国に避難しています。

子ども兵士の問題も深刻です。2013年以降、南スーダンでは推定1万7,000万人の子どもが徴用・徴兵されています。

ニャルオットさんのお話

ニャルオットさんは、2013年に紛争が激化する前、家族とともに首都ジュバで暮らしていました。兵士だったお父さんが、ニャルオットさんたち姉妹に良い教育を受けさせたいと考え、一家はジュバに引っ越してきたのでした。

「大きな銃撃戦が起きたとき、必死に走りました。詳しいことは覚えていません。銃声がそこらじゅうでしていたことと、お父さんが引っ張ってくれていた手のことくらいしか記憶がありません。それから3日間かけて、ボルまでたどり着きました。」一家はアコボという街を目指していましたが、このまま食べ物も水もない状態でアコボを目指すのは子どもにとって危険すぎると考えた両親は、ボルの難民キャンプに暮らす親せきにニャルオットさんたち3姉妹を預け、アコボに向けて旅立ちました。

cUNICEF/2015/South Sudan/Rich

勉強するニャルオットさん

ボルの難民キャンプで、突然叔母と2人のいとこと暮らすことになったニャルオットさんたちは、今までと全く異なる生活を強いられることになりました。そこには電気も水も舗装された道路もありませんでした。

何か月ものあいだ、毎日、遠くからの水運び、家事、まだ幼い末の妹の世話をしながら、一向に連絡のつかない両親を待ち続ける日々でした。両親が生きているのか、アコボに辿り着けたのか、全く分かりませんでした。

両親と離れ離れになって11ヵ月後、ようやくお母さんから連絡がありました。お母さんは、ユニセフが紛争の中で家族や親族と離れてしまった人たちのために実施している電話コール事業を利用して電話をかけてきてくれたのでした。そして、その時初めてニャルオットさんたちはお父さんが亡くなっていたことを聞かされます。お母さんは、アコボで、ニャルオットさんたちのおばあさん、叔父さんと一緒に暮らしていると言いました。そして、家族がまた一緒に暮らせるように、出来る限りのことをする、と約束してくれました。

3姉妹を預かる叔母のニャジョクさんは、ニャルオットさんと2番目の妹のニャチャンさんをユニセフが支援する学校へ入れてくれました。そのあいだ、一番下のニャバンちゃんは、ユニセフが運営する“子どもにやさしい空間”に通っています。「シングルマザーの立場で、自分の子どもを含めて5人の子どもの面倒を見るのは本当に大変です。でも、私は彼女たちに勉強を続けて欲しいのです。それだけが、彼女たちがこのような生活から抜け出す希望の光だからです。」

それからさらに11ヵ月・・・ついにニャルオットさんたちが、お母さんとおばあさんに再会できる日がやってきました。ユニセフはパートナー団体とともに長い間をかけてようやく実現にこぎつけた今回の家族統合プロジェクトでは、23人の子どもたちがまた家族とともに暮らせることになりました。

多くの子どもたちは2年以上、親と会えていません。中には、小さすぎて親の顔を覚えていない子どもたちもいます。でも、みんな、ずっとこの日を待ち望んでいました。

目いっぱいおしゃれをして、ヘリコプターに乗り込んだニャルオットさんたち・・・機内は子どもたちのはしゃぐ声でいっぱいです。到着したアコボの空港では、待っていた家族たちが歌やダンスで歓迎してくれました。あちこちで、涙の再会が繰り広げられていました。

cUNICEF/2015/South Sudan/Rich

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再会を待ち望んでいた祖母と話すニャルオットさんたち姉妹

ユニセフは、EUと日本政府の支援を受けて、南スーダンの離散家族統合プロジェクトを実施しています。このプロジェクトにより、紛争によって親と離れてしまったニャルオットさんたちのような子どもたち約2,600人が家族と再び暮らせるようになりました。南スーダン国内だけでも、今も8,000人以上の子どもたちが親との再会を待ち望んでいます。