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ボコ・ハラムから逃れて
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ユニセフのスザンヌ・ビュークス広報官が、ダルエスサラーム難民キャンプで出会ったナイジェリア難民の少年について、報告しています。
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チャド西部バガソラにあるダルエスサラーム難民キャンプでは、午後4時を回り、サッカーの時間が始まりました。砂漠の太陽の熱が和らぎ始めるなか、集まったさまざまな年齢の男の子たちは、それぞれが抱える問題や不安な気持ちを忘れ、ゲームに夢中になっています。数時間にわたり、砂ぼこりをあげながら、サッカーボールを追い、駆け回っています。
楽しいひと時が過ぎると、男の子たちの肩に、再びつらい現実が重くのしかかります。この難民キャンプに身を置く子どもたちは、ナイジェリアで武装勢力のボコ・ハラムに襲撃され、故郷を追われています。その多くは目の前で家族や友達を殺害され、大切な人を失っています。混乱の中で両親を失い、たった一人でこの難民キャンプに身を寄せている子どももいます。
© UNICEF Video |
ナイジェリアから避難を強いられたピーターくん。 |
難民キャンプに設置されたユニセフが支援する「子どもにやさしい空間」で、15歳のピーターくんに出会いました。体格は小柄ですが、しっかりしていて年齢よりも年上に感じます。
「ぼくは“ネイマール”と呼ばれているんですよ」と、ピーターくんが笑顔で話し始めました。
「友達のモハメドです。みんな、“メッシ”と呼んでいます」と、世界でも屈指のサッカー・クラブであるFCバルセロナのユニフォームを着たモハメドくんを、嬉しそうに紹介してくれました。そしてその背中には確かに、“メッシ”という名前が入っていました。
ピーターくんにとって、モハメドくんは友達以上の存在です。兄弟のようなふたりは、いつも一緒です。同じテントで寝食を共にし、一緒に歩いて学校に行き、水を汲み、料理をします。そしてふたりにとって何よりも大切なのが、一緒にサッカーをすることです。ふたりは暮らしていた村がボコ・ハラムに襲撃され、混乱の中、両親や兄弟姉妹と離れ離れになってしまったのです。この難民キャンプには、ふたりのように両親と離れ離れになった子どもが126人暮らしています。
ピーターくんがナイジェリアからこの難民キャンプに辿り着くまでの恐ろしい経験を、記憶をたどりながら、たどたどしく不安げに話し始めました。
1月のある日、ピーターくんはナイジェリア北東部マイドゥグリの家を出て、友達と一緒に魚釣りに出かけていました。そして朝4時頃、鳴り響く銃声の音で目を覚ましました。
ボコ・ハラムに追われ、近くにいた人たちと一緒に逃げたといいます。身の安全を求めて北東部のバガに向かいましたが、そこでもまた、ボコ・ハラムに追われることとなりました。バガからドロに逃れ、ドロからチャドのンゴウボウアへ渡る船に乗りました。しかしその数週間後、ンゴウボウアは、チャドで初めてボコ・ハラムの襲撃を受ける地となるのです。
ピーターくんは4,404人の難民と共に、ンゴウボウアからこのダルエスサラーム難民キャンプに連れてこられました。
「ここに辿り着いた子どもたちの多くが、暴力を目撃し、トラウマの症状を見せています。眠りにつくことができず、食事も十分にとることができていません。なかには、全く自分の経験を話すことができないままの子どももいます」と、ユニセフ・バガソラ現場事務所のクロード・ンガブ所長が話します。
「子どもにやさしい空間」では、子どもたちにカウンセリングをしたり、これまでの経験を安心して話すことのできる機会を提供しています。また、サッカーやバレーボールなどのスポーツやボードゲームなどの遊び、子どもたちの家族との再会に向けた支援も実施されています。
© UNICEF Video |
サッカーをするピーターくんとモハメドくん。 |
家族の追跡・再会プログラムで、マイドゥグリで暮らすピーターくんの家族の捜索も行われました。「家族と電話で話すことができました。みんな、ぼくがボコ・ハラムに殺されることなく、ダルエスサラーム難民キャンプに避難できたことを、とても喜んでいました」
ピーターくんは現在も定期的に家族と連絡を取り合っており、家族とのできる限り早い再開が待ち望まれています。「家族が恋しいです。ぼくは今、幸せだと感じることはできません。早くマイドゥグリに戻って家族と会いたいです」と、ピーターくんが打ち明けます。しかし、チャド湖周辺では不安定な情勢や暴力が続いており、家族との再会には時間を要するとみられています。
ピーターくんは現在、難民キャンプに新設された仮設の学習スペースに参加しています。ピーターくんは途切れ途切れではあるものの、5年間、公式の教育を受けていました。この難民キャンプには、ピーターくんのように公式教育を受けていた子どもは数人しかおらず、ほとんどがコーラン学校に通っていたか、一度も学校に通ったことのない子どもたちです。チャド湖地域には学校や保健所の数が少なく、遠く離れています。そして、道路もほとんどありません。
ピーターくんは「家に戻って家族に会いたいけれど、ここで学校を卒業したいとも思う」と、15歳という年齢ながら、とても率直に気持ちを打ち明けてくれました。自宅に戻れば、貧困や暴力から、学校を卒業することは難しいだろうと、感じているのです。
太陽が沈み始めると、ピーターくんとモハメドくんが夕食の準備を始めました。
「どうやって料理するか、ちゃんと知っていますよ」と自信満々に話し、鍋に入れる材料を一つずつ説明してくれました。お米と小麦粉、玉ねぎ、油、ブイヨンを使い、外の小さな焚火で料理するといいます。「ご飯を食べたら、眠ります。そして朝起きて、学校に行くのです」そう話すと、ピーターくんは最後に、「それだけだよ」と付け加えました。
つらい経験を乗り越え、前に進み続けようとする将来有望なサッカー選手のピーターくん。彼が失った子ども時代は、二度と戻ってはきません。それでもピーターくんは毎朝きちんと起きて学校に行き、可能な限り多くの情報を吸収しようと、夢中で学んでいます。ピーターくんの人生が“それだけ”で終わるとは、思いたくありません。彼の人生がこのまま終わることなく、これからも素晴らしい未来を歩んでいけることを、願ってやみません。
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