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公益財団法人日本ユニセフ協会
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ネパール大地震緊急募金 第12報
「学校も家もなくなった」
危険な場所で時間を過ごす子どもたち
学校再開を切実に願う親たち

【2015年5月11日 ヌワコット(ネパール)発】

4月25日に大地震が発生したネパール。子どもたちは自宅や学校を失い、持て余した時間を子どもなりの方法で過ごす一方、親たちは子どもたちの安全を心配し、学校の早期再開を待ち望んでいます。

* * *

学校も家もない

地震で崩壊した教室の瓦礫の山の上に座るサンジョグくんとシャンティちゃん、サミクシャヤさん。
© UNICEF Nepal/2015/Panday
地震で崩壊した教室の瓦礫の山の上に座るサンジョグくんとシャンティちゃん、サミクシャヤさん。

崩れた学校の校舎のすぐ隣で立ちすくむのは、校長のリタ・ピャクレルさん(56歳)。学校の再開はいつなのかと生徒たちに繰り返し尋ねられるなか、どうやってこの学校を再建させたらいいのかと、不安を募らせています。

カトマンズから南に100キロほどのガークヒューター第5区にあるシェリー・カリカ中学校で、リタさんは20年以上勤めています。今回の地震で4人の生徒を失った悲しみを乗り越えようとしています。ここは、ヌワコット地域のなかでも最も大きな被害を受けた地域のひとつです。

ネパール内務省によると、5月5日時点でヌワコット地域では3万軒近くの家が全壊し、977人が死亡、1,300人が負傷、そして、14万700人の自宅が損壊しました。

かつては美しく栄えていたガークヒューターは現在、建物の多くが倒壊し、瓦礫であふれています。

子どもたちは教科書やノート、日記帳や工作の材料などを、瓦礫を掻き分けて探しています。

「学校がとても恋しいです」と、12歳のサミクシャヤ・チャリスさんが8歳の弟のサンジョグくんと一緒に、荒れ果てた教室に腰を下ろしながら話しました。

学校に行くのが大好きなサンジョグくんは、お姉さんを連れ、かつて暮らしていた自宅近くにある、地震の被害を受けた学校をよく訪れるといいます。

「学校も、家も、なくなってしまいました」と、サンジョグくんが話します。

危険に晒される子どもたち

被害を受けたシェリー・カリカ中学校。
© UNICEF Nepal/2015/Lama
被害を受けたシェリー・カリカ中学校。

数キロ先の第3地区は更に大きな被害を受けており、衝撃的な光景が広がっています。

コミュニティで今最も切迫している問題が、子どもたちの安全です。子どもたちは今もなお崩壊する危険のある壊れた校舎で遊んでおり、親たちは気が気ではありません。

「ここが私の教室だったところだよ」と、10歳のメリナ・ピャクレルちゃんが瓦礫の山の上に座りながら教えてくれました。今一番恋しいのは本だと語るメリナちゃんの教科書は、今も瓦礫の下です。唯一持ち出すことができたのは、1本の鉛筆だけでした。

「一緒に学校を建て直してくれる?」と、仮設テントでの生活に疲れた様子のメリナちゃんが尋ねます。焼けるような暑さの中、メリナちゃんは家族と一緒に木の下で屋外生活を続けています。そこは森に囲まれており、ヒョウの出現を恐れるメリナちゃん一家は、眠りにつくこともままなりません。

近くの森では、住民たちが動物を追い払うために頻繁に火を放っています。しかし、火を放ったことが事態を悪化させました。ヒョウが森から人間が暮らす場所の近くへと姿を現すようになったのです。

学校に通うことができない子どもたちは、より多くの危険にさらされ、ヒョウや余震に怯えながら生活を送っています。倒壊した自宅近くにつながれたヤギへのえさやりも、子どもたちの仕事です。

シャンティ・ピャクレルちゃんは、「お父さんやお母さんは怖がっているけど、私は何も怖くありません」と話します。

しかし、両親が心配するのも無理はありません。

崩壊した学校の前に立つ、シェリー・カリカ中学校のリタ校長とサンジョグくん、シャンティちゃん、サミクシャヤさん。
© UNICEF Nepal/2015/Panday
崩壊した学校の前に立つ、シェリー・カリカ中学校のリタ校長とサンジョグくん、シャンティちゃん、サミクシャヤさん。

私たちの滞在中も、ヒョウが近くに潜んでいる姿が目撃されており、好奇心旺盛な子どもたちは大人数でヒョウを追いかけていました。両親は子どもたちを心配し、パニックに陥っています。

「ヒョウを追いかけてないときは、にわとりと遊んでるよ」と、将来教師になりたいと語るモニカ・チャリスちゃん(8歳)が話します。

子どもたちのため、最善を尽くす親たち

自宅を失い、避難所のテントにはわずかな食糧しかないという困難な状況のなか、親たちは子どもたちをストレスや危険から守るために全力を尽くしています。

「子どもたちが暴れまわらないように本を読み聞かせたりしています。子どもたちは安全な場所にいますよ」と、30歳のラム・ピャクレルさんが語ります。地震後、親たちは心配のあまり、子どもに対して過保護になっているとラムさんはいいます。

ほとんどの子どもたちは学校が大好きで、また勉強できる日がやってくるのかを親たちに尋ねており、学校に通えないことで子どもたちの日常生活にも影響が出ているとラムさんが話します。

「子どもたちが楽しく時間を過ごすことができるよい方法を模索していますが、子どもたちは日に日に落ち着きがなくなっており、有り余る時間を子どもなりの方法で過ごしています」と、18歳のラディカ・ピャクレルさんが話します。学習用品や教員が不足し、親たちが子どものためにできることも限られています。

学習用品を購入できる最寄りの市場までは歩いて12時間。親たちは市場まで行くための時間や体力的余裕、さらには、購入するためのお金もありません。

「宿題をしたり、学校の先生に会ったりできなくて寂しいです」と、4人の友達と一緒に宿題をしていたときに地震に遭い、あやうく命を失いかけたシャンティ・ピャクレルちゃんが話しました。幸いにもベッドの下に身を隠し、揺れが収まってすぐに屋外へと避難することができました。自宅が崩れ落ちる直前のことでした。

シャンティちゃんは学校の再開には長い時間を要するのではないかと不安に感じています。シャンティちゃんは屋外での授業が楽しみだと話します。しかし地震後、この村には先生がいないのです。

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