機上から見えた中央アフリカの大地は、アグネス大使が訪れた他の多くのアフリカの国々と異なり、深い緑に覆われていました。
中部の街、ボサンゴアに国連機で向かいました。イスラム教系の人々が住んでいた地域は、見るも無残な姿です。
街に残っているのはキリスト教系の人々だけでした。
保健センターも略奪の被害に。
金目のものなど無い保健センターを、なぜ・・・。責任者の方は、「大切な子どもたちやお母さん方の記録が無くなったのが、何より残念」と語っていました。
武装勢力「セレカ」に家族を殺され、北部の街ベンザンベからひとりでボサンゴアに逃れてきたグラサデュくん(10才)。やはりベンザンベを逃れてきた女性の元に身を寄せている。
イスラム系住民が、キリスト教系武装勢力に"包囲"されているバンギのPK5地区。かつて買い物客で賑わった市場には、人影がありません。
PK5地区で武装勢力「アンチ・バラカ」からの嫌がらせや攻撃に怯えながら暮らすイスラム系のヌーラ・アブドラヒさん(29才)。5人の子どもとともに、間もなく隣国のチャドに逃れるという。
武装勢力「セレカ」に何度も襲われたバレレさん(38才)。娘さんが拉致されそうになった時、近所のイスラム系住民が助けてくれました。それでも、「もう、以前のようにイスラムの人たちと一緒に住むことはできない」と語ります。
バンギ国際空港に隣接する国内避難民キャンプ。
10万人から6万人に減ったとは言え、避難民キャンプの住環境は最悪。
雨季がくれば、ビニールシートで覆われただけの"家"はひとたまりもありません。コレラやマラリアの発生も懸念されています。
兵士として、食事の準備や雑用係として、戦争に巻き込まれた子どもたち。レイプされた女の子たちもいました。北部出身の彼女は、兵士の手紙を代筆したり、読み上げたりしていたと言います。
この国で唯一の小児病院は、紛争で傷を負った子どもたちで溢れていました。
農作業に向かう途中、銃で撃たれて指を失った男の子。
お父さんの命を奪った銃弾で、頬を打ち抜かれた2才の男の子。
家が焼き討ちされ、大やけどを負った3才の女の子。医師は「手も足も切断するしかない」と言っていました。
徐々にですが、"平穏"も取り戻しつつあります。紛争で中断していた学校も、ユニセフなどの支援で再開され始めました。
各地で、保健センターが再開しています。
武装勢力から解放された子どもたちの社会復帰支援センターも再開。
避難民キャンプにも、毎日給水車がやってきます。
マラリア予防の蚊帳も配布されました。
多くの活動が、日本の支援で支えられています。工事中の学校のドアには、「日本のみなさん、ありがとう」の文字。
バンギで唯一開いていた市場は、人も物もまばら。僅かに売られていた野菜や肉の値段は、紛争前の1.2倍から3倍。とても手が出る値段ではありません。
この国唯一の小児病院の栄養不良児治療棟は、重度の急性栄養不良の子どもで一杯。100床以上のベッドひとつひとつに、2-3人の子どもが横たわっても足りない状態です。
栄養不良から脳機能に障害を負った子。"種まき期"を逃した中央アフリカ。今年後半から来年に掛け、深刻な食糧不足は避けられないと言います。