アフリカ中部に位置する南スーダンは、2011年に独立した世界で一番若い国。新しい国の誕生に人々が希望に満ち溢れていた時期は長くはもたず、2013年12月以降、内戦状態が続いている。
内戦が始まった時、多くの人々が、安全を求めて国連PKO部隊の敷地に逃げ込んだ。こうして出来た「市民保護区」の住民は、迫害を恐れ、保護区の外に出ることは殆ど無い。"安全な場所"への集団移住が模索されている。
首都ジュバにあるユニセフ・南スーダン事務所で、ユニセフの安全管理担当官から説明を受ける。当初予定していた北部への訪問は、突然の治安状況の悪化からキャンセルされた。
武装勢力から解放された元子どもの兵士の社会復帰支援センターを訪ねるため、首都ジュバからヘリコプターで1時間、さらに車で1時間かけて到着したレコングレ村。ここでは、600人以上の子どもたちが、遊びやスポーツなどを通じたケアを受けている。
村が襲われ、安心して寝られる場所と食べ物を求めて民兵組織「コブラ派」に入ったというモーゼスさん(仮名・18才)。「一日も早く学校に戻りたい」と訴えた。
コブラ派のデビッド・ヤオ・ヤオ司令官は、政府軍との和平後、約3,000人の子どもの兵士を解放した。「ユニセフが"受け皿"をつくってくれなかったら、子どもたちを解放したくてもできなかった」と語る。
再びジュバに戻り、レーク州民仮面の避難民キャンプを訪ねるため、ジュバから未舗装の悪路を6時間走る。
避難民が暮らすテントは、ミンカメン村の集落内に点在している。避難民キャンプの中に設置された井戸や医療施設、学校などのサービスは、地元住民にも提供されている。
内戦の発生で、突然十万人規模の巨大避難民キャンプになったミンカメン村。キャンプの中に設置された「子どもにやさしい空間」へ。この活動も日本のみなさまのご支援で支えられており、看板には日本の国旗も見られる。
「子どもにやさしい空間」に集まった子どもたちと。世界中の紛争地や被災地で、ユニセフの支援活動のスタンダードになって既に久しい。アグネスさんがこれまで訪れた中で、このセンターは、最も賑やかだった。
ミンカメンから南スーダン第2の都市ボルまでは、白ナイル川をボートで移動。道路が整備されていないこの国で、ボートは、ユニセフにとっても支援物資やスタッフを運ぶ重要な交通手段。
戦闘が収まり、人も物も戻ってきたボルの市場。商品や商店主の多くは、スーダンやウガンダ、ケニアなど隣国から来ていた。
市場に並ぶ店で、店番をしていたアビルさんは17才。将来、ジャーナリストになりたいと語る。
ボル市内のセント・アンドロ教会で祈りを捧げるアグネスさん。南スーダン人の多くはキリスト教信者だが、内戦でこの教会も殺戮の場と化し、牧師はじめ22人の命が奪われたという。
戦闘が終わり、活気が戻ったボル市内の小学校。
飲料水施設は、トイレとともに、学校にとって重要な施設。日本のみなさまのご支援で設置された給水塔の上には、地下水汲み上げ用ポンプに電気を供給する太陽電池パネルが付いている。
西エクアトリア州の州都ヤンビオを訪問。州知事のバンガシ・ジョセフ・バコソロ知事は、「この国の子どもと若者を暴力の負の連鎖に巻き込まないためにも、教育や手に職を付ける機会をつくらなければならないのです。ぜひ力を貸して下さい」と訴えた。
西エクアトリア州にあるChildren's Trauma Centerでは、武装勢力などから解放・救出された子どもたちを一時的に保護し、心のケアや家族との再会支援などを行っている。ここの施設もまた、日本の支援が支えている。看板の左下に日本の国旗が。
武装勢力に解放されたソキアさん(仮名・15才)。僅か10才の時に隣国ウガンダで拉致され、"妻"として兵士の身の回りの世話を強いられ、子どもも生まされた。ウガンダに戻ったら「学校に通いたい」と語る。
西エクアトリア州では、2013年に内戦が始まった後も、平和が保たれている。アグネスさんが訪れた小学校では、平和教育や、HIV/エイズから身を守るための知識などを教授する教育が取り組まれていた。
「将来何になりたい?」アグネスさんの問いに、「大臣になりたい」と答えてくれた男の子。アグネスさんの隣に立つのが州の教育大臣だったことを知っていたのかどうか…。
ユニセフの支援も受けて運営されているこの地域唯一の職業訓練校を訪問。経済を外国の力に頼るこの国の自立には、人材の育成が急務だ。卒業式のこの日、木工、縫製、運転、建築各コースの3か月間の研修を修了した若者たちが、巣立っていった。
縫製課程を主席で修了したクィーン・エリザベスさん(20才)が、アグネスさんの服を仕立ててくれた。「自分でデザインして作った洋服を売って、お金が貯まったら、ジャーナリストになる勉強をしたい」と、夢は膨らむ。
最終日にジュバ唯一の小児病院を訪問。多くの急性栄養不良の子どもたちが治療を受けていた。
内戦は、食糧生産や人道支援を阻害し続けており、ユニセフ現地事務所代表のジョナサン・ヴェイチは、「今後、最悪の食糧不足に直面する可能性がある」と語る。