ヨルダンにある世界最大規模のザータリ難民キャンプ。ここに住むシリア難民8万人のうち、約半数は18歳未満の子ども。学齢期の子約2万7千人の2割は、学校に通えていない。
キャンプに作られた14の学校では、午前は女子生徒、午後は男子生徒の授業が行われている。高校2年の生徒に将来の夢をたずねると、「看護師になりたい」「記者になりたい」と、次々に手が挙がった。
キャンプ内外には心理社会的ケアや職業訓練、スポーツなどの機会を提供する「マカニ・センター」がある。ザータリキャンプのマカニ・センターでは、服作りの授業が行われていた。
マカニ・センターでは、増加傾向が見られる児童婚の被害者に面会。ラッカ出身の女性は、15歳で5歳年上の男性と結婚し、3か月前に離婚。学校に通えていたのは、中学生まで。「私は、子ども時代を失った」と訴えた。
首都アンマンから東に約100キロ離れたアズラク難民キャンプは、総面積約15平方キロ。四方を砂漠に囲まれ強風吹きすさぶ荒涼とした土地に、住居として使われるコンテナが並ぶ。
キャンプ内の学校。コンテナの教室には、3人の生徒が共有する机が部屋一杯に並ぶ。
ホムス出身の4人家族を訪問。母のファティマさん (22)には、もうじき赤ちゃんが生まれるという。「子どもの世代に何を期待するか」と問うと、「教育を受けることは未来をつくることにつながる。シリアを再建してほしい」と訴えた。
マカニ・センターでサッカーに興じる少女たち。ヨルダンに来て初めて学ぶサッカーにも、すっかり慣れた様子。
故郷のシリアについて思い思いに話す少女たち。「緑があってね、花があって、鳥が飛んでてね」「色がいっぱいあるの。色のカクテルみたいな国」「シリアよりきれいなところはないわ」「食べ物もおいしいの」と、止まらない。
レバノン東部のベッカー高原。広大な農地の一角に、テント居住区が突如として現れた。複雑な政治的背景から難民を受け入れていないレバノンでも、国中のいたるところにこのようなテント居住区が点在、その数は増え続け、シリアから逃れてきた人数も既に人口の3分の1に達しているという。
デルハミエ・テント居住区を訪問中、午前中の農作業を終えた女性たちを乗せたトラックが到着。
その中に、13歳のアヤさんがいた。アヤさんは、労働許可が得られない親に代わり、午前中は近所のレタス農場で働き、午後は学校に通う。1日の収入は約4ドル。
「学校がなければ、子どもたちは犯罪者になってしまう」サアドナイエル公立小学校のシャフィカ校長先生は、生徒から没収した品々を見せながら、シリアの子どもたちに教育の場を提供することの大切さを訴えた。
サアドナイエル公立小学校は、午前はレバノン人、午後はシリア人の生徒が授業を受ける2部制で運営。言葉(レバノンの公用語はフランス語)や差別など、シリアの子どもたちが乗り越えなければならない障壁は多い。
正式な「難民キャンプ」が存在しないレバノンでは、地域の方々が様々な形で支援。
4歳から14歳までの子どもたちに教育や心理社会的支援を行うNGO「アナ・アクラ」は、毎日、授業が終わった私立学校の教室を幼稚園の教室に模様替えをしてシリアの子どもたちを支えている。
ユニセフが支援するマイ・ハピネス・サポートセンターは、子どもが子どもらしく遊べる場所。長引く内戦で大きな音に過敏になったり、暴力的な行動に出るといったトラウマを抱える子どもたちにカウンセリングも提供する。
「家に帰ったら“愛してる”って言いながら、お父さんやお母さんたちをハグしよう!」アグネス大使の呼びかけに、子どもたちは大喜び。
シリア難民支援でも、日本は大きな役割を果たす。シリア国境付近の町オスマニエに日本政府の支援で建てられた学校を訪問。
先生方は、シリアの紛争を体験した子どもたちは「実際の年齢よりも10歳大人びている」と語る。そんな子どもたちにとって学校は、「体験した痛みを一時的にでも忘れることができる場」だ。
国境の町であるイスラーヒエには約3万5千人のシリア人が暮らす。アグネス大使が訪れたイスラーヒエ1キャンプの1,590張のテントは、まもなくプレハブの建物に替わる予定。
イスラーヒエ1難民キャンプができて5年。1000人あまりの0〜4歳児はみな、このキャンプで生まれた。キャンプ内の学校に通う低学年の子どもたちの多くも、故郷を知らない。
トルコでも多くの公立学校が、難民の子どもたちを受け入れている。「紛争を経験した子どもたちには、暴力や恐怖が心の中にある」「生徒の習得差が大きく、例えば8歳と12歳の子に同じ教育を受けさせなければならないこともある」。シリアとトルコの先生が支え合う。