旅の出発点は、ウクライナの首都キエフ。2013年から2014年にかけてデモの舞台となった独立広場では、子どもたちがシャボン玉を追いかけていた。

高速鉄道に揺られ6時間、東部地域に到着。景色は移り変わり、黄色の穂が一面を染める。ウクライナの国旗の青色は青空、黄色は小麦の穂を表しているとも言われている。

水道会社「ドンバスの水」は、川からの揚水によってドネツク州の住人に水を供給。2014年、セメニウカにある施設に砲撃が直撃、従業員2名が命を落とした。2週間断水し、人々の生活にも大きく影響した。

水を守るため、今日も命がけで奮闘する。地域を管轄するオルガさんに、最も難しいことは何か聞いた。「従業員として働く人々の命を失わせないこと」

東部地域では、砲撃で破壊された建物の多くが放置されていた。2014年、病院への砲撃があった際、500人以上いた患者は全員避難し無事だった。

14歳のリアナさんは、2017年に戦闘で父親を亡くした。母親は出て行き、今は祖母と暮らす。アグネス大使に抱きついたまま、離れない。

クラマトルスク第9学校には、生徒が自由に活動できる部屋がある。紛争で目に見えない心の傷を負っている子どもたちには、自分の気持ちを表現できる場が必要だという。

幼い子どもにも、砲撃が飛んだり落ちた時の音が聞こえている。コンスタンチノフカのミール幼稚園で出会った5歳のダニロ君は話す。「夜、狼が吠えたら、太鼓をたたいて追い返すんだ」

幼稚園の先生方は、子どもたちを怖がらせないように工夫していた。頭に紙の葉っぱをのせ、動物になりきって廊下に移動する。このお遊戯の目的は、避難訓練。

「そのてをうえに!」むすんでひらいてを歌って子どもたちと交流。この後、園児の母親が記者に「子どものこんな笑顔見たことがない」と満面の笑みで話しかけてきたそう。

ウクライナの伝統「パンと塩の歓迎」。刺繍の入った布にパンをのせてお迎えする。パンを小さくちぎって、塩を少しつけて食べることでその歓迎を受け取る。

コンタクト・ラインから5キロのトレツクには、心のケアを行うセンターがある。授業を行う心理士によると、紛争の影響を受ける子どもにとって大切なのは、互いに気持ちを表現し、分け合うこと。

ケアを受ける11歳のリサさんの家族を訪問。紛争が始まりロシアに逃れたが、学校でいじめられ負傷。2年後、故郷に戻ってきた。 「今も砲撃の音はやまない。でも、子どもが幸せなら」と母親は話す。

今も砲弾の跡が残る、ポパスナ第一学校の校舎の壁。 「子どもたちに戦う意志はない」 後ろ向きの少女の絵は、コンタクト・ラインの向こう側に届けたいメッセージでもある。

元々同じ州だった地域が分断され、住民は検問所を通ることを強いられている。その1つはマリンカにあり、1日1万人が通行。バスで移動した後、2キロ歩いてコンタクト・ラインを越えなければならない。

高齢者の姿が目立つなか、子どもにも出会った。母親と一緒に、親ロシア派側にある畑の作物の世話をしに行くという。年金を受け取ったり、家族に会いに行ったり。生活のために、危険を冒さなければならない。

検問所から300メートルの所にあるマリンカ第2学校。過去3回以上、校舎の屋根や窓が砲弾により破壊された。窓際には、砲撃に備え土のうが高く積み上げられている。

「明日、何が起きるのか分からない」 卒業生たちは、未来の予測ができないことへの恐れを口々に語った。「登校中、通学路で兵士たちが攻撃し合っているのを見たことがある」「今朝も砲撃があった」

「一番ほしいものは何?」という質問に、少女たちは「友達の家で寝泊まりしたい」と口を揃えて答えた。「どうか身の安全を守って」とゆびきりをする。

この学校では月1回避難訓練を実施している。サイレンが鳴ると、地下に移動しクラスごとに並ぶ。防空壕には、子どもたちのために絵本やぬいぐるみ、ボールが用意されている。

コンタクト・ラインのすぐ近くに住む10歳のミハイル君は2015年、家の近くで砲弾の破片が頭に当たり、数回にわたって手術を受けた。「砲撃はこわくない。片手で自転車だって乗れるんだ」と無邪気に笑う。

今回の視察では、防弾車での移動が義務付けられていた。移動中、道路脇に地雷の危険を示す看板が現れる。見えなくても、命の危険はすぐそこにある。

ウクライナ東部は、世界で最も多くの地雷が埋まっている場所の一つ。学校では、地雷を発見した時の行動「さわらない」「もと来た道を戻る」「おとなに知らせる」を繰り返し子どもたちに伝えている。

今も、人の命が失われ続けている。コンタクト・ラインから程近い、トロイツケ。2018年5月、18歳のアンドレ君が家族と寝室で寝ていた時、砲撃が直撃。父親と弟は即死、母親は重傷を負った。

長男のアンドレ君だけが無事だった。「僕はもうここには戻りたくない。学校をやめて、働きながら母親を支えたい」

最後に訪問したのは
砲撃で大きく破壊された住居
“何のために?”
壁にはそう書かれていた

訪問を終えて ウクライナ東部では、前線のすぐそばで生活する子どもが多くいることに驚きました。戦争のおかげで早くおとなになれた、と言った子どももいましたが、これは子どもたちが子ども時代を失っているとは言えないでしょうか。紛争の続く毎日が日常になってしまっている。おとなには、この争いの意味を考えてもらいたいと思っています。 ウクライナにおいてユニセフは、水と衛生、教育、保健などの基本的な支援に加えて、心のケアや、安全な学校づくりなどに取り組んでいます。紛争が続いている間も、ユニセフは精一杯ウクライナの人々を応援していきます。 ユニセフ・アジア親善大使
 アグネス・チャン

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