ウマル・サノゴさん―サフィアトゥのお父さん

子どもたちを育てる上で、心配していたのは、まずは食べさせていくこと、住むところを与えてあげること、健康を気遣ってあげること、そして最後が教育を受けさせてあげることです。

でもこれは簡単ではありませんでした。私には16人の子どもがいます。10人は成人しましたが、赤ん坊がまだ1人います。5人が今、学校に通っています。そのうち1人は職業訓練学校に通っていて、1人は幼稚園、あとの3人は小学校です。そのためPTA会費の負担は大きいです。私たちは節約しながら、少しずつ支払っています。

上の10人の子どもたちはほとんど学校に行ったことがありません。学校に通った子どもたちも結局、中退してしまいました。私が辞めさせたわけではないのですが、成績が悪かったので、行きたくなかったようでした。その頃は、学校がどれほど大事な役割を果たすのかちゃんと理解している人はこの村に多くいませんでした。もし男の子が学校でいい成績が取れなければ、「そうだなぁ、気にするな。また私たちと畑仕事ができるぞ」と話すくらいでした。また、私たちは女の子にとっての教育の必要性について、全く理解していなかったのでした。

でも今は違います。教育の大切さを理解しています。教育が親たちにとっても、子どもたちにとっても、なくてはならないものなのだということを知ったのです。赤ん坊を除く5人の年少の子どもたちを学校に行かせているのはそういったわけです。学校では子どもたちが将来必要となる知識、技術、能力を身につけさせてくれます。私がサフィアトゥに望むことは、まずは学校でちゃんと進級すること。そして卒業後、サフィアトゥ自身が自分の力で生きていけて、私たち家族の助けとなるような仕事についてくれることです。

でも子どもを学校に通わせることが、将来ではなく今すぐに役に立つこともあります。例えば、サフィアトゥは字が読めるので、出生登録証のような家族に関係する書類を理解できます。家族の中にフランス語の読み書きができたり、フランス語で話せたりする者がいるということは、本当に大事なことなのです。

年を追って、私は農夫としているよりも、教育を受けることの方がよほど自分の身を助けてくれると思うようになりました。私は、長いこと、自分が学校に行かなかったことをすごく後悔してきました。なので、5、6年前、私は村の読み書き教室に行くことにしたのです。今では、私はディウラ語(現地語)の読み書きができるようになりました。
世の中は変化してきています。教育は生きていくのに必要な知識の大半を提供してくれます。教育を受けないでいるのは世間知らずなだけだと思うのです。