世界で働く 日本人職員
©Kenji Ohira
アフリカ南東部、インド洋に面して南北にのびる海岸線が美しい国、モザンビーク。主産物はとうもろこしですが、近年は鉱物資源開発も活発化し、アルミニウムなども生産しています。
1498年のヴァスコ・ダ・ガマ到来以来、ポルトガル船の重要な寄港地に。イエズス会宣教師とともに来日し、織田信長に仕えた「弥助」はモザンビーク人だったといわれています。
1975年にポルトガルから独立。その後、1992年の内戦終結まで政情が安定せず、最も開発が遅れているグループである 「後開発途上国」のひとつに今も分類されています。
そんなモザンビークで子どもたちの教育のために粉骨砕身する大平の一日をご紹介します。
キャリアのスタート時点で商社員として赴任したザンビアの学校で、劣悪な環境でも「教育はこの国の未来だから」と熱心に生徒たちを教えていた現地の教員の方々に心を動かされ、開発途上国の教育政策に携わりたいと思うようになり、ユニセフに入りました。なぜかモザンビークとの縁が深く、ここでの勤務は前職を含めて通算12年になります。
今回は、就学前教育と緊急支援以外の教育全般を担当しています。8年ぶりの当地は、ほぼすべての分野で教育状況が悪化しており、ショックを受けました。特に、学校でアルファベットの読み書きができない大勢の子どもたちを目の当たりにし、教育省の全国学力テストで明らかとなった、小学3年生の20人に1人しか短い文章を理解できないという結果には、言葉がありませんでした。
他方、長年一緒に働いてきて、今や各部署のトップとなった教育省スタッフと遠慮なく議論できる環境は恵まれていると思います。
援助国・援助団体(ドナー)間の協調が進んでいるモザンビークでは、ユニセフはドイツ政府、フィンランド政府とともに「トロイカ」と呼ばれるドナー側の代表を務め、ドナー間の意見調整や教育省側との協議を行う重責を担っています。この立場を大いに活用し、コロナ禍でさらに悪化した教育危機に注力できるよう各方面に働きかけています。
もうひとつ良かった点は、以前の勤務時には見向きもされなかったジェンダーやインクルーシブ教育(*)・就学前教育が脚光を浴びていることです。
生徒への暴力や十代での結婚、妊娠、成人儀式参加による退学者の増加などへの対応、障がい者の通常教育への組み入れ、就学前教育の拡充など、どれもユニセフが先導しています。とはいえ、まだ始まったばかりで、教育危機への対応も含め、課題が山積みです。この国の厳しい現実に向き合いながら、できることをやっていきたいと思います。
*インクルーシブ教育…障がいの有無にかかわらず、すべての子どもを受け入れる教育
お米も食べられます!
オフィス前の大学食堂はビュッフェスタイルで品目もバラエティに富んでおり、短い時間に栄養もしっかり摂れるのが魅力的。
※データは主に外務省HP、『世界子供白書2021』による
※地図は参考のために記載したもので、国境の法的地位について何らかの立場を示すものではありません
高知県出身。横浜市立大学国際文化学部国際関係課程卒。英国Institute of Education(IOE)で教育および国際開発の修士号を取得。ザンビアでNGOのインターン後、三菱商事(ザンビア、モザンビーク)、大使館(モザンビーク)を経て2007年にユニセフ・モザンビーク事務所、2010年よりJICA専門家としてモザンビーク、ケニアで勤務後、2014年内戦前のイエメン事務所にユニセフ職員として復帰。アンゴラ、トルコ(ガジアンテップ)事務所を経て、2018年末よりモザンビークに再勤務。