【2015年11月25日 パテ・バナ・マランク(シエラレオネ)発】
エボラ出血熱の甚大な被害を受けたシエラレオネの村で暮らす13歳の男の子は、エボラで両親や兄弟姉妹を失いました。エボラの影響で学校が休校していた間に身体が成長し、以前着ていた制服はもう、ずいぶん小さく感じます。それでも、学校に再び登校するのが待ちきれない様子です。
* * *
© UNICEF Sierra Leone/2015/Kassaye |
13歳、成長期のジョン・カマラくん。身長もここ最近で著しく伸びています。エボラの影響によりシエラレオネ全土で2学期の開始が遅れ、その間に、ジョンくんの身体は以前着ていた制服が合わなくなるほど成長していました。
ジョンくんはパテ・バナ・マランクという、シエラレオネでもエボラで最も甚大な影響を受けた村の一つで暮らしています。流行の真っただ中、恐怖で村の外に逃げたまま行方不明になっている人たちを除いても、この村で少なくとも119人が命を失いました。
ジョンくんはこの1年で、両親と5人の兄弟姉妹をエボラで失いました。現在、ジョンくんは妹と弟と一緒に、アダンセ・コロマさんというおばさんのもとで暮らしています。アダンセさんはジョンくんのために、制服のズボンに空いた穴を縫い合わせていました。しかし、ズボンの丈に関しては、どうすることもできません。
村を横切って学校に向かう他の子どもたちと合流したジョンくんのズボンの裾は、ふくらはぎまで上がっていました。しかし、「学校に行きたい」というジョンくんの熱意が、このようなことで失われることはありません。
「今僕が生きているのは、お医者さんが助けてくれたからです。とてもよくしてくれました」と、ジョンくんが語ります。「大きくなったらお医者さんになりたいです。だって、お医者さんが大好きだから。病気の人たちを上手に治療してあげたいです。この夢のためには、勉強をしなくてはいけません。だから、学校は休みたくありません。制服はあるけれど、穴だらけです。おばさんが昨日直してくれたので、学校に通うことができます。僕にはこの制服は小さすぎるけど、おばさんが僕のために新しい制服を買う余裕ができるまで、この制服を着て学校に行きます」
「去年、エボラが僕の村を襲いました。多くの人が命を失いました」と、ジョンくんが話します。「僕のお父さん、お母さん、兄弟、姉妹も犠牲になりました。おじさんも、ふたりのおばさんも亡くなりました」
「僕も、お兄ちゃんからエボラに感染しました。とっても苦しかったです。関節が痛み、頭痛もひどかったです。高熱が出て、身体がとても熱くなりました。嘔吐が止まらず、頻繁にトイレに行っていました。もう死んでしまうのだと思っていました。でも、幸いにも生き延びることができました。エボラに感染して元気を取り戻したのは、家族では僕だけです」
ジョンくんは新しい制服を着て学校に通えるようになる日を待ち望んでいます。しかし、おばさんが新しい制服を買ってあげられる日が、いつになるかは分かりません。
「今、私は24人の世話をしなくてはいけません」と、アダンセさんが語ります。「私には子どもが7人います。そして、妹の子ども4人の面倒もみています。5人の子どもがいた兄も亡くなってしまい、今は私と一緒に暮らしています。もう一人の妹も、4人の子どもを残して亡くなってしまいました。私の父親も一緒に暮らしています」
アダンセさんは自宅のベランダに設置した売店を営み、その収益を家族のために使っていますが、商売は停滞気味だと言います。このほかにも、小さな農場でキャッサバやピーナッツを栽培しています。
「キャッサバを収穫してたくさんお金が手に入ったら、ジョンのために新しい制服を買ってあげられると思います」と、アダンセさんが話します。
© UNICEF Sierra Leone/2015/Kassaye |
シエラレオネは世界でも最貧国のうちの一つであり、53%の人々が貧困ライン未満の生活を強いられています。2002年に終わりを迎えた激しい内戦以降、この国が成し遂げてきた多くの経済的前進は、エボラ危機によって失われてしまいました。
公立学校の授業料は無償ですが、制服やノート、ペン、鉛筆などにかかる費用は家族が負担しなくてはいけません。学校は制服を着てこない子どもたちを追い返すようなことはしてはいけないことになっていますが、多くの子どもたちは、“制服を買う余裕がない家の子ども”として見られるよりは、学校に行かないことを選んでしまいます。
2010年、シエラレオネでは初等教育学齢期の子どもたちの推定22%、約23万3,000人の子どもたちが学校に通えていませんでした。そして、その多くは社会経済的な問題が原因でした。まだ調査中ではあるものの、エボラはコミュニティに深刻な経済的被害をもたらしていると考えられています。
エボラ危機への対応の一環として、ユニセフ・シエラレオネ事務所はエボラの予防方法と安全ガイドライン、心のケアの研修を3万4,000人の教員に実施しました。また、1校あたり3つ設置するのに十分な数である、2万4,300の簡易手洗い所を設置しました。子どもたちを迎えるにあたり、校舎が使用できる状態にするための清掃用備品も提供しています。
これに加え、ペンや鉛筆、ノート、定規、鉛筆削り、消しゴムなどが入った学校キットを180万セット提供し、学習者全員に配布しています。また、農村部の地域で暮らす子どもたちのために3万4,000台の太陽電池ラジオを提供しました。2014年10月以降、エボラ危機下も子どもたちが自宅で勉強を続けられるよう、ユニセフは政府と協力して緊急ラジオ教育プログラムを毎日実施しています。
「支援がなければ、僕は学校に通い続けられません。だから、本やペンを貰えてとても嬉しいです」とジョンくんが話します。
© UNICEF Sierra Leone/2015/Kassaye |
子どもたちが学校に通えるようにするためには、生徒や家族が自ら困難を乗り越えるといった以外にも、課題は残されています。それは、子どもたちが通う学校に十分なインフラが整っていないことです。
パテ・バナ・マランク小学校のマイケル・コロマ校長先生は、2年間この学校で教鞭を執っています。
「250人の子どもたちがいます。6クラスありますが、教室はたった2つしかありません。教室は人で溢れかえり、机が足りていないので、床に座って授業を受ける子どももいます。適切な教員スタッフも足りていません。校長の私を含め、先生は7人だけです。想像してみてください。1つの教室に約100人の生徒がいるのです。1人の教員で100人の生徒を教えるなんて、とてもできません」
シエラレオネは、8カ月間学校が閉鎖に追いやられるという、危機を乗り越えました。すべての子どもたちが適切な初等教育を受けられるようにするための十分な人数の教員の確保や教員への研修は、ユニセフが危機後にあるシエラレオネの教育支援プログラムで優先して取り組んでいる課題の一つです。
「エボラで、非常に深刻な状態に陥っていました」と、コロマさんが語ります。「学校で一緒に時間を過ごすうちに感染してしまった子どももいます。近くに座っていたり一緒に遊んでいたりして、エボラ・ウイルスに感染してしまったのです。これが、エボラの流行が始まったときに起こっていた現実です。しかし今は、エボラに感染する子どもは一人もいません」
【関連ページ】
シェアする