|
|
アグネス大使 現地レポート
■2006年4月
|
北ダルフール・エルファシのアブシュークキャンプで避難民の女性から話を聞くアグネス大使 |
2005年4月10日から17日までの日程で、スーダン・ダルフール地方の反政府組織支配地域、各地の難民キャンプや被災した村々を訪れました。
この地域は、政府軍と反政府軍がいまだに争いを繰り広げている場所です。2005年1月にスーダン北部と南部との間で和平協定が成立したというのに、この地域には、ジャンジャウィードと呼ばれる馬やラクダに乗った民兵が、一説には政府の支持を受けて、地域の村を焼き討ちして、村人たちを殺し、女性たちをレイプしています。政府軍、反政府軍との争いで多くの人たちの命が失われ、240万人もの避難民が発生しました。そのうち140万人が18歳未満の子どもたちだといわれています。
村の小学校の壁に残る銃殺された子どもたちの血と銃弾の跡。何度も繰り返し聞かされた女性達の悲しい話。「これはリベンジ(復讐)なんだ」と話す若い兵士の姿。「助けてほしい」「なんとかしてくれ」と訴えかける村長や女性・子どもたちの声…。
「忘れられた緊急事態」とも言われるこのスーダンでの悲劇について、アグネス大使は視察報告を行いました。
|先頭に戻る|
モルドバのバス運転手の紹介でポーランドへ「物乞い」として売られたレバカ村の少女(左) |
アグネス・チャン日本ユニセフ協会大使は、2004年4月10日〜16日まで、中央ヨーロッパの国、モルドバを訪問しました。
北と南をウクライナ、西をルーマニアと接する、人口427万人、面積が日本の11分の1ほどの小国です。もともとソ連邦に含まれていましたが、1991年の独立後、急速な市場経済化に伴い、深刻な経済難に見舞われました。全人口の58%が貧困の中で暮らしていると言われ、ヨーロッパの最貧国に位置付けられています。
その結果、総人口の4分の1が海外に出稼ぎに出かけています。その中には、だまされて人身売買の犠牲となる子どもや女性も少なくないといわれます。
子どもたちは今、どんな生活を送っているのか。何が子どもたちの生活を脅かしているのか、アグネス大使が現地を訪れました。
|先頭に戻る|
クウェートからイラク南部の都市バスラに入ったアグネス大使は、水と衛生の状況、学校や病院を視察し、生々しい戦争の傷跡と略奪など治安の悪化している街のようすを目の当たりにしました。 6月30日には、ユニセフハウスで記者会見と報告会が開かれ、空爆で子どもを失った親や、満足な治療を受けられず病院で苦しむどもたち、怪我をした子どもたち、貧困と混乱の中で街で働きながら生きる子どもたちなど、多くの出会い、そして現地でのユニセフの活動やその重要性について、熱く語られました。 |
|先頭に戻る|
長い内戦からようやく復興しつつあるカンボジア。国が安定し、平和が広がる一方で、貧富の差が広がり、人やモノが多く行き来する中で、子どもの人身売買という問題が大きくなってきました。 アグネス大使は、報告会で「子どもたちが人身売買や商業的性的搾取の犠牲になってしまう一番の原因はおとなの欲望だと思う。」と述べ、貧困の解消とともに、意識改革などが必要と訴えました。 |
|先頭に戻る|
マニラのストリートチルドレン |
2001年12月に日本で行われる「第2回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」に向け、子ども買春の実態を視察するために6月2日〜7日までフィリピンを訪れました。買春の犠牲になっている子どもたちはアジアだけでも100万人、フィリピンには10万人いると言われています。
観光客が多く訪れるセブ島には、組織的な子ども買春が行われているというカマガヤン・スラムがあります。訪問したのは夜だったのですが、客引きをする入れ墨をした若い男、18歳に満たない少女たちの姿がありました。
ルンドゥヤン劇団と演じるアグネス大使 |
セブ島にあるシェルターでは、少女たちのグループ・セラピーに参加しました。この日には15歳から20歳の少女たち6人が、それぞれの辛い経験を語り、分かち合いました。父親からのレイプ、母親からの虐待、だまされて性産業に送りこまれた、自分をレイプした男の子を産むことになった…。アグネス大使は少女たち一人ひとりを抱きしめ、「あなたは生まれた時のままに今も美しいし、どんなこともあなたを汚すことはできないわ」と語りかけました。
そして、子どもの権利について知らせる活動をしているルンドゥヤン劇団と一緒に、マニラのタグンパイ・スラムでエイズについての劇を上演しました。そのスラムに住む約5%の子どもたちが売買春にかかわっていると言われています。フィリピンでは政府やNGOの努力にもかかわらず、性産業に巻き込まれる子どもの年齢は下がり続けています。アグネス大使は「子どもを欲望の対象にする人びと、子どもを売る人びとを糾弾するため、私たちは大きな声を上げつづけなければなりません」と語りました。
|先頭に戻る|
独立をめぐる騒乱から約10ヶ月、国連の暫定統治下で新しい国づくりが始まろうとしている東ティモールと、いまなお多くの避難民がとどまる西ティモールを視察しました。
6月14日に西ティモールに到着したアグネス大使は、まずクパン郊外の避難民キャンプを視察しました。15日にはWFPの輸送機で東ティモールとの境界付近のアタンブアへ移動し、5月中旬の洪水で深刻な被害を受けた避難民キャンプを訪問、その生活ぶりを視察するとともに東ティモールへ帰ることをためらう人々の声に耳を傾けました。その後16日には、日本の使節としては初めて陸路で東ティモールへ入ることに成功。20日までディリ県、リキサ県を中心に精力的に視察を行いました。
「今回東西ティモールを訪ねて、一般の人々や民兵として戦っていた人々とたくさん話をすることができ、ティモールが置かれている複雑な状況を肌で感じることが出来ました。その中でも一番犠牲になっているのは、ふたつのティモールで引き裂かれている子どもたちとその家族です。西ティモールに残された10万人の避難民の帰国の目処は未だにたっていません。東ティモールの人たちとの和解も困難な状況です。すべてを破壊された東ティモールの子どもたちの生活も厳しいものでした。」
|先頭に戻る|
40年以上も断続的に内戦が続くスーダン南部。「できるだけ、多くの真実を見てきたい」と日本を旅立ったアグネスさんは、1999年8月11日に国連のスーダン南部支援の拠点基地ロキチョキオに到着しました。ロキチョキオで戦傷病院などを慰問後、13日から17日までワオ郡の村マペルに滞在し、難民たちの村での生活やユニセフを始めとした国連機関の活動を精力的に視察しました。15日には、わずか2日前に戦闘のあったというアチョンチョンを訪れ、争いの生々しい傷痕を目の当たりにしました。またケニア北部のカクマキャンプでは8万人を超える難民の生活を視察しました。
アグネスさんが出会った少年サンティーノ君(12)は、以前、スーダンだけで7万人もいるといわれている子どもの兵士でした。「僕は8歳の時から戦場にいたんだ。自分を守るためには兵士になるしかなかったから。軍隊では、地獄を見てきた。だから、僕の宝は生きていること。」
戦争が終わらない限り十分な援助はできない。平和が何よりも大切、でも、大人も子どもも“平和”がどんなものか知らないんです。平和への足がかりをなんとか探していきたいと語られました。
|先頭に戻る|
4月6日付で日本ユニセフ協会大使となったアグネス・チャンさんが、6月10日より17日まで初の海外視察のため、タイ国を訪問しました。
アグネス大使は、バンコクでのアナン元首相(ユニセフ・タイ親善大使)、マーガレット・ドゥ・モンシー女史(ユニセフ・東アジア地域事務所で子ども買春問題を担当)との会談など公式日程の他、北部山岳地帯チェンライ県まで足を延ばし、児童労働の最も過酷なかたちである「子ども買春」の実態をつぶさに視察して参りました。
「チェンライ県のホテルでは、実際に買春の犠牲になっている14歳と15歳の2人の少女に出会い、大きなショックを受けました。厳しい状況に置かれた山岳民族の村では、買春によってエイズに感染させられてしまった子どもたちと出会い、悲痛な思いで胸が一杯になりました。バンコクのスラムでは、日本人の父親が残していった子どもたちの生活を見て、やりきれない気持ちで怒りがこみ上げてきました。」というアグネス大使。
「初めての海外視察はユニセフ協会大使としての自覚と、新たな決意を固めるのに十分な重い内容でした。日本の皆さんに是非こうした現実を知っていただきたい。」