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財団法人日本ユニセフ協会

めざせ元気なアフリカ!ユニセフinアフリカ

日本人現地スタッフの紹介

東京都出身、国際基督教大学教養学部教育学科卒業後、ケニアとジンバブエの農村中学校の教師を経て、米国と英国の大学院で教育と開発を研究(修士・博士課程)。ユニセフ ジンバブエでJPO(教育・幼児教育)として働き、JICA国際協力専門員を経てユニセフに17年ぶりに戻る。2007年1月よりナイロビの東部・南部アフリカ地域事務所 ESARO勤務。

 

図1: 東南アフリカ諸国の学校に行っていない学齢児童の数

図1: 東南アフリカ諸国の学校に行っていない学齢児童の数

アフリカ大陸の東と南にある20カ国の国々で、下の地図で色のついた国々です。
エリトリア、ソマリア、エチオピア、ウガンダ、ケニア、タンザニア、ルワンダ、ブルンディ、マラウィ、モザンビーク、マダガスカル、コモロ、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、スワジランド、レソト、アンゴラの20カ国です。
これらの事務所を支援する地域事務所(ESARO: Eastern and Southern African Regional Office)はケニアの首都ナイロビにあります。

ジンバブエ カロイの小学校で エイズ孤児の子どもたち −支給された制服を着て笑顔を見せてくれました。

ジンバブエ カロイの小学校で
エイズ孤児の子どもたち
−支給された制服を着て笑顔を見せてくれました。

上の地図にあるように、東南アフリカ20カ国の中だけでも80万人以上の子どもが学校に行けない国が5カ国、30万人以上の子どもが学校に行けない国が7カ国あります。20カ国で計1,130万人の学齢児童が学校に行っていません(ユニセフ ESARO推計)。子どもたちが学校に行けない理由は様々です。ソマリアのように内戦や紛争のために8割以上の子どもたちが学校に行けない国があります。また、多くの国では、干ばつや大水のような自然災害も大きな障害となっています。気候変動のためにアフリカ地域の自然災害は年々ひどくなっているのです。スワジランド、レソト、南ア、ナミビア、ボツワナなどの南部アフリカの国々では、HIVエイズによって親をなくしてしまった子どもや、病気の親を看病しなくてはならない子どもも多くいます。このような子どもたちにとって学校に行くことは大変な困難です。そして、「授業料が払えない」「授業料が無料でもノートやペンを買うことが出来ない、制服を買えない」「家の仕事を手伝わなくてはならない」など貧しさに関連する理由が、多くの国々の子どもたちを学校から遠ざけることになっています。さらに、遊牧民の子どもたちのように伝統的な生活習慣から学校に行くことが出来ない子どももいます。

ケニア ナロックの小学校 算数(お金の計算)の授業に活気のある教室。

ケニア ナロックの小学校
算数(お金の計算)の授業に活気のある教室。

でも、20カ国どの国でも、学校は楽しそうで生き生きとした子どもで一杯です。子どもたちの笑顔に背中を押されるようにして、毎日、仕事をしています。一人でも多くの子どもたち小学校に行けるように、そして、楽しく学ぶことができるようにと念じつつ。

これらの子どもたちが小学校に行けるようにするためには、学校が子どもたちの求めるものを提供できるようにしなくてはなりません。全ての学校が「子どもにやさしい学校(CFS: Child Friendly School)となって、子どもが学校に行って、安心して楽しく学ぶことができるようになることが大切です。このCFSは、東南アフリカの多くの国々で広まっています。このCFSの普及にユニセフは大きな役割を果たしています。

「子どもにやさしい学校」とは?

  1. 子どものあらゆる権利を尊重し、実現する学校
  2. 男女平等で、人種・宗教・言語・障害の有無などによる差別のない学校
  3. 子どもを暴力や危険から守り、物質的・精神的に保護し助ける学校
  4. 学力に加えて、様々な問題や課題に対処して生きていく力や技術が身につく学校
  5. 子どもが元気で健やかに育つ学校
  6. コミュニティに根づき、親・保護者・生徒たち自身が意思決定に携わる学校

2008年3月、ナイロビ便り

アンゴラの首都 ルアンダの小学生 仲良しの二人。

アンゴラの首都 ルアンダの小学生
仲良しの二人。

私の家はケニアの首都ナイロビ郊外にあります。近くに森があるので、時々、餌を求めて猿の群れが庭に来ます。庭の木々に実った無花果、枇杷、グアバ、アボカド等を食べながら家から家へと移動するらしいのです。先週、家に帰ると、お手伝さんが興奮して話してくれました。「今日、10頭くらいの猿の群れが来ました。庭の木々をつたって遊んでいると思ったら、小猿が窓から家に入ってきて、食卓にあるバナナの房を取っていったんですよ。賢いですね。人間の子どもみたいに、他の小猿たちとバナナを分け合って食べていました、可愛かったです!」。あまり嬉しそうに話してくれるので「何故、窓を閉めておかなかったの?」と尋ねることができませんでした。人間は危害を加えないと知っている大胆なナイロビ郊外の猿たちです。

ウガンダ北部 学校に行こうキャンペーンで記念撮影

ウガンダ北部 学校に行こうキャンペーンで記念撮影

それにしても、猿でさえ「分け合う」ことができるのに、人間は何故、ここまで独り占めをするのだろう?と考えさせられました。ケニアの2008年は暴力と混乱の中で始まりました。昨年12月27日の大統領・国会議員選挙の後、大統領選挙の結果に選挙結果に不正があると抗議する野党ODMを支持するルオやその他の民族と、与党を支持するキクユの間での民族抗争に発展していきました。2ヶ月の間に1,000人以上の死者(実際の犠牲者数は、この数字をはるかに上回ると言われている)と50万人以上の国内避難民が出ました。

首都ナイロビから北西250kmに位置するエルドレットには、昨年末の暴動で難民が殺到しました。難民キャンプの子どもたちは、テントの学校で勉強しています。

首都ナイロビから北西250kmに位置するエルドレットには、昨年末の暴動で難民が殺到しました。難民キャンプの子どもたちは、テントの学校で勉強しています。

民族間の暴力がひどかったナクルという町のイボンヌという女の子は、2月になって国内避難民キャンプの近くで再開した学校で嬉しそうに話してくれました。「家が焼かれてしまったけれど、逃げる時にお母さんが私の洋服を2枚持ってきてくれたの。そのうち1枚は日曜日に教会に行く時に着るお気に入りの一張羅だけれど、今日は学校に行く初めての日だから特別に着ることを許してもらえたのよ」校舎も破壊されたので、再開したのはテントの学校です。それでも子どもたちは学校に戻ることが嬉しいのです。教室は多くの子どもにとっての「やすらぎの場所」です。安全で友達と学び遊ぶことのできる場所は、子どもたちが恐れや不安の体験から回復するための場所となります。コミュニティも、子どもが学校に通い始めると日常生活が少しだけでも戻ったと感じるようになります。
(参照:ユニセフ本部ホームページ

この暴力と混乱の中で学校の果たす役割が問われています。学校が未来の平和を築く場所となるために、民族融和教育や平和教育をすることが求められています。そして、子どもに投資することに希望を感じます。

2008年2月、ユニセフケニア事務所の広報官に募金を手渡すケニアの日本人学校から、事務所を訪ねてくれたKさん。

2008年2月、ユニセフケニア事務所の広報官に募金を手渡すケニアの日本人学校から、事務所を訪ねてくれたKさん。

混乱が収まりつつあるスラムで子どもたちが家から家を回って古着を集めています。着の身着のままで焼き出されてしまって、スラムの空き地に避難してきた人々を助けるために。大人たちも子どもに促されるようにして、少ない食物や食器などを国内避難民の人たちに持ってくるようになったそうです。

2月のある日、ナイロビ日本人学校6年生のKさんからメールをもらいました。「TVでケニアの小学生たちが、学校が壊されたり燃やされたりして学校に行けないと知りました。日本人学校で募金をしたので、ユニセフに持っていってよいですか?」との内容でした。30人程度しかいないナイロビ日本人学校の生徒たちがお小遣いから募金をしてくれました。「子どもから子どもへ」子どもたちは分け合います。そして、大人たちは、子どもから多くのことを学んでいると感じました。

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