インドでみた、人身売買のこと

「人身売買」とは、人をお金で売ったり買ったりすることです。とくに今、世界中で、まずしい村の女の子たちがこの「人身売買」のぎせいになっています。女の子たちは「いい働き口があるよ」などと言われ、だまされて連れて行かれてしまいます。そして、たくさんの子が売春宿やその他の場所に「売られて」しまうのです。この問題は、世界中でとてもしんこくです。インドでもそれは同じです。

コルカタ(カルカッタ)の市街地に、売春宿がひしめいている通りがあります。牛がいて(インドでは牛はとくべつな動物なので、街の中でもどこでもにいるんだよ!)、屋台もあって、一見すると、コルカタのどこにでもありそうな通りなのです。しかし、一つだけちがうところがあります。午後の3時、4時にもなると、道路の両わきには売春をする人が300〜400メートルくらいにわたって、ならび出すのです。たくさんおけしょうをして、ピチピチの服を着て…。その人たちは一生けんめいおとなっぽく見せているけど、ほとんどはどう見ても10代前半の女の子たちなのです。インド人っぽくない、どちらかと言えば私たち日本人のような顔をした子も4割くらいいました。「あの子たちはどこから来た子なのかな?」私はふしぎに思って、いっしょにいたソーシャルワーカーのインド人女性に聞いてみました。「あの女の子たちは、とおくはなれたネパールという国から連れてこられた子たちなの。ネパールもインドと同じで、村はとてもまずしいから、たくさんの女の子が売られてくるのよ」。

道に並んだ女の子たちをよく見てみると、みんな指をくわえたり、むねやおしりに手を当てたりして、道行く男の人をゆうわくしようとしていました。近くによると、こうすいのにおいがプンプンしていました。まなざしはとてもするどかったです。なんだか、世の中の全てのものをあいてに、ひっしでたたかっているように見えました。それとも、もうだれも何も信用できなくなってしまって、あんな目をするようになってしまったのでしょうか・・・。

日本のみんなに伝えたくて、この通りのようすをカメラにおさめようとしました。でも、「あぶないからダメ」と、ソーシャルワーカーさんに止められてしまいました。あの場所のふんいきは、とにかくふつうではありませんでした。外国人がめずらしいのか、女の子たちは表情をかえることなく、私のすがたを目で追うのです。体全体にしせんを感じ、私のしんぞうはドキドキしっぱなしでした。

とつぜん横のほうからにぶい音が聞こえてきました。見ると、11〜12さいくらいの女の子が、若い男に力いっぱいなぐられたのです。最初の一発で、かのじょの細い体は地面にたたきつけられました。息が止まるかと思いました。あんなぼうりょくを見るのは、生まれてはじめてでした。あまりにとつぜんで、見ている私の手や足までガクガクふるえ出しました。でも、次のしゅんかんに、もっとおどろくべきことが起きたのです。なんとその女の子は、なぐられてすぐに立ち上がり、くり返しくり返しなぐり続けるその男に対して勇かんに立ちむかかったのです!力のさがあるのはだれの目にも明らかでした。男はぼうりょくをやめようとしません。それでもかのじょは歯をくいしばりながら、その小さな手で男の大きな体にむかっていきました。

すぐに、周りにいた人が2人を止めに入りました。女の子はなぐるのをやめたのに、男はそれでもやめようとしません。頭の中が真っ白になってしまっていた私も、そのときになってやっとわれにかえりました。

ソーシャルワーカーさんが長年仲よくしているという、とある女性の家に行きました。家は、さっきの通りから出ている細い道を少し曲がったところにあるアパートの中にありました。部屋はとてもきれいにそうじされていました。かべには、ヒンドゥー教のさまざまな神さまの絵がかけられていました。

シュクラムカジさんと名のるその女性は、今40さいだそうです。13さいで「働き」はじめるまでは、学校でも成せきゆうしゅうで、しょうらいはお医者さんになりたかったのだとおしえてくれました。しかし、お父さんがけっかくという病気で亡くなり、お母さんの体もじょうぶではなかったので、シュクラムカジさんが家族のためにお金をかせがなくてはいけなくなりました。ちょうどそのころ村に来ていた人に「コルカタみたいな大きな街で働けば、きっと家族をやしなうだけのお金がもらえるよ」と言われたシュクラムカジさんは、本当はずっと家族といっしょに村でくらしていきたかったけど、他に方法がなかったためにその人についていきました。

しかし、コルカタに来てみてびっくりです。まさか、その「仕事」が、自分の体と引きかえにお金をもらう「仕事」だったとは!一日に何人の男性のあいてをしたかということすら思い出せないくらい、13才の少女の心はズタズタにひきさかれていきました。「お客さん」は、シュクラムカジさんがいやがるようなそぶりを見せると、タバコの火をおし付けたりなぐったりしました。かれらがおいていくお金の半分は売春宿のオーナーが、のこりの半分はシュクラムカジさんがもらいました。もらえるお金の額は、その日その日でかなりのさがありましたが、けっきょく、食べものやら住むところやらでオーナーにかなり引かれてしまったそうです。にげたかったけど、そのたびに思い出すのは、自分が送るお金で生活している村の家族のことばかり。「私がいなくなってしまったらお母さんや弟たちはどうなるの?」。

初めて里帰りがゆるされたとき、お母さんに「どんな仕事をしているの?」と聞かれました。本当のことを言ってお母さんを悲しませたくなかったけれど、まよったすえにじじつを打ち明けることにしました。お母さんはショックをうけ、親子でなみだを流しました。

そんなシュクラムカジさんも、15さいのときに、本気でだれかを好きになりました。お金持ちの家の息子と言っていたその若い男の人とは、「お客さん」として知り合ったそうです。ほかの人とはちがってとてもやさしく、たくさん話をしました。「あと数年で大学が終わるから、そうしたらきみがここで働かなくても家族が食べていけるように、ぼくが何とかしてあげるよ」。その人はいつもそう言ってくれ、シュクラムカジさんにきぼうをあたえてくれました。やがてその人は、彼女の家にいりびたるようになりました。電気代や食べもののお金などは全部シュクラムカジさんがはらいました。が、それでも彼女はしあわせでした。

しかし、ある日突然、その人はシュクラムカジさんの目の前からすがたをけしました。もうすぐここから出られると期待していただけに、彼女はひどくおちこみました。そして、よけいに人をしんらいできなくなってしまいました。

げんざい、シュクラムカジさんは自分の家で「働いて」いるそうです。でも、数え切れないくらいたくさんの男の人ではなく、一人のとくていの人をあいてにしているのだそうです。

たんたんと、それでも一つ一つの言葉をしっかりとかみしめるように、シュクラムカジさんは話してくれました。でも、ひととおり話しおえると、今度は笑顔になって日本や日本での生活について質問してきました。私には、どうしても彼女に聞けずにいたことが一つだけありましたが、その笑顔を見て聞いてみることにしました。

「これからの夢はなんですか?」

「もうこの年だし、そろそろ働けなくなってしまうでしょ?私のなかまのほとんどは、これくらいのねんれいになると働けなくなって、しまいには道ばたで物ごいをするしか道がなくなっちゃうんだよ。でも、私はそんなのはまっぴらごめんだね。もうじゅうぶんいやな思いはしたんだから。実は今ね、お金をためてるところなの。村に帰って、小さな家をたてようと思って。そこでのんびりすごすのが、今の私の夢」。

それを聞いたとき、ここに来るとちゅうに見たあの女の子のことを思い出しました。女の子や女性は、よく「弱い」とか「弱者」とか言われてますが、そんなこと全然ないんだっていうことに気づきました。本当はとても強いんだ、って。

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