© UNICEF Angola/2005
シプリアーノ5歳
重度の栄養不良とマラリアを発症し
治療センターで集中治療を受けている。
シプリアーノ(5歳)。弱々しいその姿はこの国の過酷な現状を物語っています。長く続いた内戦の爪あとの中で、アンゴラでは多くの子どもたちの健康が脅かされています。ここ、カーラの治療センターでは多くの子どもたちがぐったりとベッドに横たわっています。
シプリアーノがこの治療センターに連れて来られたのは10日前のことでした。深刻な栄養不良で体重がわずか8.5キロほどしかありませんでした。幸運にもシプリアーノは徐々に回復し、体重も1キロ増えました。今では一人で起き上がり、ベッドの上に座ることもできます。
シプリアーノのほかに74人の子どもたちが治療センターに入院していました。シプリアーノは元気に家に帰ることができた幸運な子どもたちの一人でしたが、同じ時期に治療を受けていた子どものうち19人が亡くなり、19人が治療が終わらないうちに両親が家に連れもどしていきました。
保健サービスに対する中央政府の対応は十分ではなく、治療用ミルクや栄養補助食品が十分に供給されていない状況です。「3月の中旬から、治療用ミルクが底をつき、適切な治療が出来ずにいます。」州政府の栄養担当官、カルバロ氏は語ります。「ミルクに油と砂糖を混ぜたものを治療用ミルクの代わりとして使っていますが、その効果は高くはありません。政府の対応が滞る中、ユニセフに支援をお願いしたのです。」
© UNICEF Angola/2005
治療から10日。起き上がることができるようになったシプリアーノ。体重も一キロ増えた。
治療センターでは、シプリアーノのお父さん、ティトがずっと付き添っていました。
妻は家でシプリアーノのほかの6人のきょうだいたちの世話をしなければならなかったからです。ティトは息子から片時も離れず祈り続けていました。
「それは、それは、恐ろしい光景でした」ティトは自分の息子の容態がどのように急変していったのかを語り始めました。「小さなシプリアーノの体が、見る見るうちに細くなり、そして突然膨らんだかと思うと、シプリアーノの手や足から、突然水が噴き出してきたんです。もう、ただ恐ろしくて、恐ろしくて・・・」
シプリアーノの小さな手には包帯が巻かれ、鼻には栄養補給のためのチューブが通されていました。シプリアーノは、普通に食べることができず、笑うことさえできませんでした。
「治療用ミルクの供給や医薬品の供給など、保健サービスの分野において、アンゴラは長年ユニセフの支援を受けてきましたが、昨年、この分野における責任は国の保健省に委譲されました。政府が自力で国の保健サービスを軌道に乗せていく努力をする一方で、ユニセフは徐々に支援物資の供給を減らしていくというものでした」
カルバロ氏は語ります。
「しかし、この合意から一年が経ってもアンゴラ政府はいまだに治療用ミルクを自力で購入することが出来ずにいます。こうした状況の中、ユニセフがイタリア政府の財政支援を受けて、6.2トン分の治療用ミルクを提供してくれたのです。そのミルクは今、全国に供給されています。」
27年間に及ぶ内戦が終わり、アンゴラは国家再建に向けて動きだしているものの、シプリアーノを含む大勢の子どもたちの姿はアンゴラの過酷な現実を浮き彫りにしています。急性マラリア、下痢、はしか、結核などを患っている多くの子どもたちはぞっとするほど、ひどい状態になってはじめて、治療センターに担ぎ込まれてきます。子どもがかかりやすい一般的な病気の症状についての知識を兼ね備えている親が少なく、子どもたちをなかなか治療センターに連れてこないからです。
2001年以降、ユニセフはアンゴラ国内にある26ヶ所の治療センターを支援してきました。毎月、毎月1000人ほどの子どもたちがセンターに運びこまれてきます。うち20%が亡くなり、25%は治療が完了する前に家に連れ戻されていきます。
「こんなにも多くの子どもたちの命が失われているのです。治療を終えずに家に連れ戻された子どもたちが、家で亡くなる確率も決して低くはないのです。」ユニセフの栄養専門官は訴えます。「この悲しい現実を変えるために、アンゴラ政府は子どもたちを“絶対優先課題”としなければなりません。まずは、内戦で壊滅的な状態になっている国内の社会・保健サービスのインフラを建て直すことです。今、保健所や病院に直接行くことができるアンゴラ人はほとんどいません。この現状を変えなければなりません。」
ユニセフはアンゴラの保健省を支援する形で、保健分野の専門化を育成し、地方レベルでの保健センターの能力強化を図ろうと努力しています。
「栄養不良との戦いは、8割が予防、2割が治療です。地域住民と保健サービスとの隔たりがなくなれば、親が子どもの病気についての知識を持つことができ、子どもたちの栄養不良を未然に予防することが可能になります。これは子どもの生存に大きな変化をもたらすことができるのです。」
カーラの治療センターで治療を終えずに家に連れ戻された19人の子どもたちは、そのほとんどが家で亡くなったということです。
シプリアーノは幸運でした。