【2015年11月20日 相馬発】
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福島県相馬市では、大地震と津波の被害に加え、市内全域が原発事故の影響を受けました。教育現場も大きな混乱の中に置かれましたが、市の教育委員会は、学校活動の再開とともに、いち早く、震災の経験を子どもたちが生きる力を学ぶ機会として活用する、足かけ5年にわたる学習の取り組み「相馬の子どもが考える東日本大震災」を発案。震災の年の夏、日本ユニセフ協会の支援を受け、市内全ての小中学校で、震災を振り返り相馬の未来を考える授業が始まりました。
市の復興計画の主な施策の一つに位置付けられ、翌2012年に「ふるさと相馬子ども復興会議」(以下「復興会議」)と名称を変えて続けられてきたこの取り組みは、子どもたちがふるさとについて学び、ふるさとの今と未来を考え、学習した内容と自らの考えをおとなに向けて発表するプロセスを重ねてきました。
そして、現在の形態での取り組みの最終年となった2015年も、11月20日、子どもたちが約半年間にわたって取り組んだ学習の成果が発表されました。
初年度から3年目まで広く「震災・復興」をテーマに取り組んだ「復興会議」は、第3回国連防災世界会議の東北での開催を控えた2014年、将来の”万が一”に備え、またそうした事態が起きた時に何ができるのかを子どもたちが考える機会とするため、そのテーマを「防災」に特化。子どもたちは、「復興会議」の学習を通じて、かつて相馬を襲った数々の災害の歴史を遡りつつ、将来の災害の可能性を知り、ふるさとの備えを調べ、その有効性を検証しました。
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あるグループは、2013年に完成した市の防災備蓄倉庫『相馬兵糧蔵』はじめ、市の防災設備を実際に訪れて調べ、地域の防災対策を検証。また、学校から避難所までに複数ある避難ルートの実際の所要時間を計ったり、道の状態を確認しながら最適なルートを検証するグループもありました。既におとなが作った「避難計画」を自分たちの目で改めて検証した子どもたちもいました。
震災当時小学1年生だった6年生は、「あの時は、訳が分からないまま部屋の中にいなければならず辛かった。後輩たちにはそんな思いをさせないよう、放射線のことをきちんと教えてあげたい」と、放射線に関する資料を作ったり、1年生と一緒に校内の避難経路を歩きながら、危険なところ、気を付けることを教えてあげたりと、小さな子どもたちを気遣う内容も多く見られました。一方中学生からも、「地域をつなぐ中心的な存在になれるよう活動を続けたい」と、幼稚園や小学校、中学校、地域が一緒に行う避難訓練の中で、小さい子の手を引いて避難したり、炊き出しや避難所開設を地域の人と一緒に行うなどの取り組みを行ったとの発表がありました。
「市も復興計画を作って進めていますが、今日のみなさんの発表を聞いて、ぜひ参考にしたいと思います」。2011年に市議会の議場で開催された第1回発表会から公務が許す限り毎回出席し、子どもたちの発表に耳を傾けてきた立谷秀清市長は、子どもたちをこう激励しました。
中村第一小学校の6年生は、発表の最後に黄色い小さな花をプロジェクター映し、次のように語ってくれました。
「震災後、荒地待宵草があちこちで咲くようになりました。私たちは相馬の復興を担う次の世代です。野に咲く荒地待宵草のように、次の世代がさらに花咲くよう、まちづくりに参加していきたいです」
復興に向けた工事が各地で本格化している東北の沿岸地域では、子どもたちもまた、未来に向けて動き始めています。子どもたちの発表内容は、本年度も「提言」としてまとめられ、代表者の手によって相馬市に提出される予定です。
2014年3月27日: 『未来をつくる私がおとなに伝えたいこと』
2013年11月22日: 「相馬の子どもが考える東日本大震災」
2012年11月4日: ふるさと相馬子ども復興会議全体発表会
2011年11月6日: 相馬の子どもが考える東日本大震災発表会
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