Child Pornography - Victimization on the Internet |
Dr. Ethel Quayle |
私たちはインターネットによって随分変えられ、また、私たちもインターネットを変えています。(中略)ネットは人の気分を変えさせる上で非常に力があることがわかっています。情報を入手するのには方法がありますが、犯罪を犯そうという時の抑制力を変え、よりリスクのある行動をとるようになるわけです。
そしてインターネットは交換媒体となります。特に写真の交換、いろいろな性に関する素材、性的マンガ、どこに行けば子どもたちがいるかといった情報もネット上で共有されるのです。インターネットは私たちの社会の従来からの規制に対して、挑戦を突き付けるものです。
大多数のマンガは性的な問題を孕むものではないし、日本のみならず世界を豊かにしているものです。通常いわゆるマンガ・アニメにおいては、キャラクターの描き方に違法性があるとは見なさないことが多いのですが、マンガの内容そのものが子どもを性虐待することと繋がっているならば、実在の子どもたちがそういった性対象として見られてしまう可能性があるのです。こういったものについてわかっているのは、インターネット上に掲載されたマンガによる日本の子どもたちの性的利用が、決して日本国内に限られるものではないということです。インターネット上の画像を、世界中また特に西欧諸国の人々が目にすることになります。日本で作られた子どもの虐待画像が他国の人々によってその性的欲求を満たすために使われているのです。これは、私たちが考えなければならない重要な点です。
子どもポルノをオンラインで見るということと、(実際の子どもへの)接触犯罪を犯すということとの正確な関係ははっきりしていません(中略)しかし、こうした画像を視聴することと犯罪を犯すこととの相互関係についての調査は、いろいろと試みられています。一例はアメリカのヘルナンデス氏による刑務所内の入所者に関する調査です。それによれば、実際に子どもポルノを受動的に視聴した人の76%が接触犯罪を犯していたというのです。研究の方法論にも違いがあり、調査結果も様々です。例えば、視聴した者の12%が実際の犯罪を犯すというものから、40%が犯すというもの、さらにはヘルナンデス研究におけるように、80%近くが画像を見るだけではあきたらずに子どもに対して接触犯罪を犯したというように幅のある調査結果が出ているのです。
(中略)
子どもが虐待を受けている画像は何も新しいものではありませんし、インターネット上だけではありません。しかし、インターネットに載せることで、より幅広く多量に流通されることになってしまいました。これが今までと大きく違う点だと思います。虐待画像にアクセスする人全てが皆同じ要因によって動機づけされてしまうというのは単純な議論だと思います。こういった画像は性的空想やマスタベーションを助ける目的のために収集されることが一番多く見られるかと思います。
犯罪者である加害者の方に焦点を絞ってきたために、被害者になっている子どもたちの方をないがしろにしてきたのではないかという問題点があります。(中略)つまり一連の加害者・被害者がいる中で、被害者をないがしろにし無視するだけでなく、彼らのニーズに応えられないまま終わってしまっていたのではないかということです。(中略)つまり、実際の子どもを被害に遭わせているのではなく、写真を使っているだけであるというのです。しかし、実はこういった画像こそが性的空想や行動のために利用されているのです。そしてもう一つは、子ども自身が実際にこのようなポルノ画像を目にすることで被害に遭っているとも言えます。(中略)やっと最近になって、この点について焦点が当てられるようになりました。子どもを被写体とするだけでなく、子どもたちにこのような虐待画像を見せてしまう、配布を託してしまうということでも被害をつくりだしていると思います。
私どもの研究を通して更に見えてきたことは、より若年の子どもたちが自分自身を被害者にしてしまっていることです。携帯電話・インターネットなどを使って自分の画像を流すことによって、長期的にどのような結果を招くのか、どのような搾取をされてしまうのか意識しないまま、自ら被害者となってしまっている子どもたちも沢山いるのです。これも考えるべき問題です。]
(以上は、ECPAT/ストップ子ども買春の会作成:『ECPATシンポジウム インターネットと子どもポルノの被害 報告書』より一部抜粋) |
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