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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

キルギス:ユニセフ、避難を余儀なくされた人々の再出発を支援

【2010年7月6日 キルギス・オシ発】

© UNICEF/NYHQ2010-1344/Estey
キルギスのオシには遊ぶ場所がないと話すムザファルくん(14歳)。

オシ中央に広がる丘陵からの景色を眺めると、6月中旬にこの町で激しい暴力衝突が起きたとは想像し難いでしょう。建物からもうもうと立ちのぼっていた煙が治まって随分経過しました。しかし、目を凝らしてもっとよく見てみると、町の所々で、近隣一体が焼けてしまった箇所が真っ黒く点のようになっていることに気がつくはずです。

こうした真っ黒に焼けて荒廃した通りのひとつで、ハタムジョンさん一家は、生活を立て直そうと努力しています。ハタムジョンさんは、かつて小さな店を経営していました。現在、その経験を生かして、近隣の人々に支援物資を配布するための調整役として活躍しています。ハタムジョンさんは、倒壊した建物の中に唯一残った小さな机といすに座って計算しています。

「日中はここに来ていますが、夜は親戚のところに行きます。」「ここでは眠れません。ここには、ガスも電気もありません。」(ハタムジョンさん)

ハタムジョンさんの3人の幼い息子たちにとって、ここにはあまり楽しい場所ではありません。近所の子どもたちの多くが親戚のところへ行ってしまっている上に、学校は夏休みで休校。何もすることがありません。

「どこかへ行けたらいいのになあ」と、ムザファルくん(14歳)は、話します。「どんな場所だってここよりはましだと思うよ。」

家族を守るために
© UNICEF video
キルギスタン第二の都市オシの焼け落ちた家屋。

オシを幼い子どもたちにとってより住みやすい場所にするべく、ユニセフは、教育省と共に、地元の学校20校に活動センターを開設しました。このセンターでは、9月1日から始まる新学期に備えて、学校のリズムを取り戻せるように考えられたリクリエーション等が行われています。

また、ユニセフと地元のパートナーは、和解進行の手助けとして、異なる民族の子どもたちが一緒に遊べるように、オシ周辺の地域に子どもに優しい学習空間を設置する計画も進めています。

最終的には、暴動が起きた際に親戚や友人の家に子どもたちを避難させた人々が、子どもたちを再び連れ戻しても大丈夫だと感じられる場所となることが望まれています。

3歳の娘を持つ母親のイスマノバ・ミッシリョさんは、他の多くの母親と同じように、娘と別々に暮らなくてはなりませんでした。隣人のザキラ・コショカロバさんは、4人の子どもがいますが、4人ともコショカロバさんとは離れて暮らしています。ミッシリョさんとコショカロバさんは、近隣の人々と一緒に、ミッシリョさんの半壊した家で何とか残っている一間を共有して暮らしているのです。

必須支援物資
© UNICEF video
キルギスのオシで勃発した最近の暴動の影響を受けた人々のために、浄水剤を配布するユニセフスタッフ。

「所持品は全て無くなってしまいました」と、ミッシリョさん。「着の身着のままで、夫と娘と共に、取り残されてしまいました。」

こうした人々は、様々なところから寄付された衣服や寝具等、最も必要な必需品を徐々に手に入れています。この日、ユニセフがオシ全域で行った家庭用浄水剤キットも届けられました。

ユニセフは、コミュニティレベルで医療サービスを再開するべく、地元のパートナーと協力して活動しています。

「予防接種といった基礎保健ケアサービスの提供が課題です。」ユニセフのダミラ・アバキロバ保健・栄養担当官はこう話します。「緊急事態が起きている時でも、基礎保健ケアが平常時と変わらずに継続されているか、注視しなければなりません。」

こうした課題に加え、気温が摂氏30度以上まで急激に上がるキルギス南部の夏に関連した、季節性の病気も問題となっています。「人々が避難している現況を考慮すると、この夏には、下痢性疾患が2倍、あるいは3倍に増加する可能性があります。」(アバキロバ保健・栄養担当官)

民族分裂を乗り越える

こうした困難な状況にもかかわらず、ユニセフとパートナーは、この地域の異なる民族間の協力がさらに増えているという事実に励まされています。 アイティブ・サエエドさんは、この例のひとつを話してくれました。6月に民族間衝突が起きたとき、サエエドさんは護衛集団を結成して、ウズベク民族の移民労働者が、暴動から避難するために国境を越える手助けをしたと話します。

「私はキルギス人ですが、ウズベク民族の人たちと親しく仕事をしています。」サエエドさんは話します。「我々は、仲良くやっています。ウズベクの人たちを助けえるのは当然でしょう?」

避難を余儀なくされていたウズベク民族の多くは現在帰還しており、オシは十分に安全な場所であると感じています。ミッシリョさんは、近いうちに娘を引き取り、再び娘と一緒に暮らしたいと思っています。

オシに暮らす多くの人々は、先月の暴力的な衝突のことを思い出すと、気持ちが押し潰されそうになると話します。しかし、ミッシリョさんの表情は変わりません。既に多くの苦しみを目にして、自分自身もたくさん苦しみ、涙も枯れたとミッシリョさんは言います。しかし、娘のことを話す時は冷静でいることはできません。悲しみの涙が溢れるこの町で、ミッシリョさんには、まだやらなければならないことがあります。

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