ラオスからタイへ:性目的に売買される子どもたち
ソングリンの物語
<ラオス>
<バンコク、2001年9月27日>
バンコクのショッピングセンターに座り込んでいた13歳のソングリンは、だんだん怖くなりました。
ソングリンは男から、近くのホテルまで行ってくる間、そこで待っているように言われていました。男が彼女をまた売ろうとしているのが分かりました。男は以前、彼女を10,000バーツ(およそ220米ドル)で仲介の男に売りました。ソングリンは、目の前でお金が数えられるようすを見ていたのです。
仲介の男は、彼女を彼の家に連れて行き、家の仕事をさせながら彼女をどこかに売るつもりでいたのです。田舎から出てきた少女にとって、仕事の時間はとても長く感じられました。彼女はメコン川をはさんでタイと国境を接している、ラオスのサバナケット州の出身でした。
ソングリンは働いた分のお金がほしいと頼んだことがあったのですが、男は最初の半年間給料はなしだと答えました。けれども、ソングリンは病気になってしまいました。男は彼女が病気だということを信じようとせず、ソングリンを殴りました。病気はひどくなる一方で、ソングリンは食べたものを吐くようになってしまいました。
「仲介の男は、私を最初の男のところに送り返したの。自分の家で私が死んだら困るからって」ソングリンはそう説明してくれました。
「でも、元気になると、ショッピングセンターに連れていかれたの。私は、男が私に売春させようとしてるってわかってたわ」彼女は話を続けます。「お金を受けとるときに、仲介の男が話しているのを聞いたの。二人はタイ語で話していたけど、何を話しているのかはわかったわ」
「怖かったの。あの人と一緒に行きたくなかった」
ソングリンは女子学生に近づき助けを求めました。学生はソングリンを警察に連れていってくれました。警官は、男を捕まえるために、ソングリンにショッピングセンターに戻るように言いました。
ソングリンは男に言われた場所に戻って座り、待ち続けました。
男が戻ってくると、警察が近づいてきて、ソングリンが近くの店で盗みを働いただろうととがめました。男が、ソングリンは自分の連れで、自分がなんとかおさめるから、と言ったため、警察は男を逮捕しました。
ソングリンは貧しい地方の貧しい家の出でした。小学校の最初の1年しか学校に行くことができず、文字を覚えるのが精一杯でした。母親は、ソングリンが生まれる前に、立て続けに5人男の子を産みましたが、どの子も小さいうちに亡くなっていました。5歳より大きくなったのは、ソングリンが初めてでした。
ソングリンが5歳のとき、両親は離婚しました。彼女は母親と、母親の実家に身を寄せました。やがて母親は同じ村の若い男と再婚して新しい家に移り住みましたが、ソングリンは祖父母の家に残りました。母はさらに3人の子供を産み、その子たちは今、6歳、5歳、4歳です。12歳になったときに、ソングリンも母の家に移り母の家族と暮らすようになりました。
「お母さんが恋しかったの」そうソングリンは語ります。
1年後、母の妹がソングリンに声をかけてきました。一緒にタイに行って家族のためにお金を稼がないかというのです。ソングリンは一緒に行くことにしました。ところが、タイに行くために手続きなどを頼んだ斡旋業者に、二人は別れ別れにされてしまったのです。ソングリンは、最初の男が運営する斡旋業者に売られました。叔母を連れて行った業者は、警察の手入れを受け、叔母はラオスに戻されました。ソングリンはタイでひとりぼっちになってしまったのです。
最初の男が逮捕されると、ソングリンはクレドラカン保護・職業開発センターに連れて行かれました。カンボジア、ミャンマー、ラオスから売買されてきた女性や少女200人以上が収容されている施設です。
センターでは、本国に送還される日を待つ間、職業訓練、治療、カウンセリングなどのサービスが受けられます。
「私は織物を教わりました」ソングリンは言います。彼女は家が恋しくて、家族に会える日を夢見ているのです。「私は母の家で暮らします。継父はいい人で、やさしくしてくれます。もうタイにはいたくありません。家に帰りたいんです。」
|トップページへ|コーナートップへ戻る|先頭に戻る|