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「もし今何かできるなら、私はこの国を変えたい」
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© 日本ユニセフ協会 |
20年以上も前、ソマリアの崩壊の第一歩となった内戦で使われた60年代にソ連で製造された戦車の残骸の前に立つアグネス大使。南部と異なり、98年以降大きな武力衝突が起こらず、観光客も入り始めていたソマリアの北西部地域。しかし、2008年には国連施設など数箇所が自爆テロに見舞われ、昨年は、NGOの国際スタッフが3度も誘拐された。南部で勢力を伸ばしているイスラム原理主義勢力にも、多くの北東部出身者が参加していると言われている。
「”世界から忘れられた緊急事態”を日本に、そして世界に伝えて欲しい。」 昨年秋、ユニセフ・ソマリア事務所から寄せられた声に応え2月17日から22日までの6日間、アグネス大使はソマリア北東部のハルゲイサを訪問しました。
各地で激しい戦闘が繰り広げられている南部・中部地域に比べ、機関銃を持ち歩く人も無く、一見平和に見えたハルゲイサ。しかし、アグネス大使を待っていたのはユニセフ職員が使う防弾装甲を施した特殊な四輪駆動車でした。「アグネス大使には、必ずこれに乗っていただきます。」「私たち国連職員と同様、活動できるのは朝7時から夜6時までです。それ以外の時間は、ホテルから一歩も外に出てはいけません。」 国連を標的にした自爆テロが起こり、イスラム原理主義勢力などによる更なるテロ行為の危険が高まる中、アグネス大使一行には、24時間、十数名の武装した護衛が付けられました。
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「アグネス大使には、必ずこれ(防弾車)に乗っていただきます。」「私たち国連職員と同様、活動できるのは朝7時から夜6時までです。それ以外の時間は、ホテルから一歩も外に出てはいけません。」 今回の視察に同行した報道機関の方々も、アグネス大使とともに、ユニセフ安全管理担当官(写真中央・アグネス大使の左側)から、治安状況や安全対策についてのブリーフィングと指示を受けた。
そうした中でアグネス大使が見たものは、20年あまり続く内戦と、機能する「政府」が無く、頼れるものが無い中、「知恵」と「勇気」という武器を手にした女性たちが、子どもたちのために立ち上がっている姿でした。
「友人の女性や隣近所の人々が、理由も無く虐殺されていました。死体が町中に転がっている中を、物乞いをしながら逃げてきました。途中で子どもは死にました。」「鞭打たれ、首を切り落とされ・・・その悲惨さは言い表せません。」 1952年、イギリス女王エリザベス2世を迎えるためにハルゲイサに作られたステートハウス。内戦で廃墟となったその場所につくられた国内避難民キャンプには、首都モガデシュや南部各地で繰り広げられる凄惨な状況を逃れた人々がたどり着いていました。何もかも失った彼女たちに、食べ物や水、薬、さらに仕事や教育の機会を提供していたのは、「政府」ではなくこのキャンプの周辺にすむ女性たちでした。
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1952年、戴冠直後のイギリス女王エリザベス2世を迎えるために建てられた「ステートハウス」。内戦などで破壊されたその建物の周囲には、4万人近くの国内避難民が住んでいる。かつてエチオピアからの帰還難民を迎える土地だったこの場所に、最近、深刻化する南部の紛争を逃れた人々が続々と到着している。
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アグネス大使の視察や同行記者の取材には、常に10数名の武装した護衛が用意された。 |
「もし今何かできるなら、私はこの国を変えたい。」「私たちは新しい世代です。私たちがこの国を変えます。」 キャンプの避難民を支える女性たちは、この国の将来をになう子どもたち、特に女の子たちがコミュニティーのリーダーになれるよう、様々な機会を提供していました。
「FGMを解決するためには、それを生業にしている施術師の女性たちに、新たな仕事の機会を作らなきゃ」 ソマリアの未来の女性リーダーの一人は、アグネス大使に、この国の女性の97%が受けていると言われるFGM(女性器切除)を根絶するために彼女たちが考える方法を教えてくれました。
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ステートハウス国内避難民キャンプに兄弟5人と住むホダン(16歳)。何年か前、近所のおばさんたちに無理やり施術師のところに連れて行かれ、FGMを受けさせられた。幼い姉妹と2人の兄の面倒をみながら、英語の勉強を続けるホダン。「もし今何かできるなら、私はこの国を変えたい」と語る彼女は、ユニセフが支援するコミュニティの女性リーダーを養成する研修コースにも参加している。
「この国は長年にわたっていろんな国がちょっかいを出してきた国。そして今、この国の人々は世界から忘れられてしまっています。この国を作るのは子どもや若者、特に女性たち。自らこの国を変えようと動き始めた彼女たちの背中を押すために、私たちは何ができるでしょうか?」(アグネス大使)