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マダガスカル:ユニセフ日本人職員からの報告
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ユニセフ・マダガスカル事務所 木部崎彩
アフリカ大陸の東、インド洋に浮かぶ世界で4番目に大きな島マダガスカルは毎年の様にサイクロンに見舞われます。ほぼ毎年被害が出ますが、その中でも2006年12月から今年4月までの度重なるサイクロンは過去50年間でも最大規模の被害をもたらしました。
今回訪れたのは、国の北西部、アンバンザという小さな町から4輪駆動車ででこぼこ道を35キロ、それからオートバイで13キロ、更に手こぎ舟で川を渡ってたどり着くアンブイマリナ村です。交通手段を頻繁に変えるのは、もともと未舗装で状態の悪かった道がサイクロンによる雨で度々迂回せねば車では先へ進めない状況の中で、ある地点より先はあまりに道がぬかるんだり落ち込んだりしているので、小回りのきくバイクでないととても辿り着けなかったりするからです。
© UNICEF Madagascar |
この場所には集落があったそうですが、今は砂で覆い尽くされています。人々は被害の少なかった家に避難しています。 |
アンブイマリナ村は今回のサイクロンで最もひどい被害を被った場所のうちのひとつです。3月中旬、インドララという大きなサイクロンの際、川が増水のため決壊し、ものすごい勢いで鉄砲水が村を襲ったということです。一番被害にあった場所は、現在では集落の跡形もなく、水によって運ばれてきた砂で覆い尽くされています。取材でいらした記者の方も、撮影するにも家々があまりにも影も形もなく流されていたので、唖然としていらっしゃいました。普段報道の世界と関わりのない私にとって興味深かったのは、大惨事である跡形のない状態よりも、半壊状態で被害のつめ跡が残っている方が映像では伝わりやすいということでした。
© UNICEF Madagascar |
学校の跡地には柱がただ一本残っているだけです。 |
惨事が起きた時、村人は皆木の上に登って自分たちのわらぶき家や家畜が流されていくのをただただ眺めているだけだったそうです。その上、大木が川の水と一緒に村を襲い、コンクリート製の小学校さえも丸ごと流されてしまったそうです。学校の敷地だった場所も砂だらけで、今ではコンクリートの柱がただ一本残っているだけです。その光景はサイクロンから2ヶ月経った今でも自然の猛威を物語っており、何とも言いがたい無力感に襲われる光景です。
マダガスカルの農村部は貧しい人がその日その日を精一杯生き延びている状況ですが、サイクロンの被害で沢山の人が家を失い、主食の米、生活の糧である野菜や家畜、外貨を得るための大事な輸出産品なども被害を受けました。アンブイマリナ村も例外ではなく、田んぼや畑、バニラ園などが大きなダメージを受けました。浸水や水の汚染による伝染病で病気になった人や子どももたくさんいます。もちろん病院も被害を受けていますし、過疎地なので薬が手に入りにくい上に、人々はお金がないので薬など容易に買えません。マダガスカルの平均国民所得は年間3万円くらいです。そういった中でこのサイクロンがもたらした被害は一般の人、農民にとっては特に大打撃です。立ち直るにもそのための資金や資源がとてもない人がほとんどなのです。
© UNICEF Madagascar |
仮設テントの前の子どもたち。 |
学校もしばらくはマンゴーの木の下で授業が行われていたそうですが、最近やっとテントを届けることが出来、その下で授業が再開されています。大きなショックを受けた、子どもたちの心の傷も心配です。そんな中で、学校生活を再開することは学業面だけでなく平常のリズムを取り戻すためにも重要です。 とはいってもアンブイマリナ村のテントはまだ5学年全部を受け入れる容量はなく、交代で授業が行われています。それに、日中は太陽がジリジリと照り付け35度を超す暑さになるような気候のもとで長時間勉強するのは容易ではありません。子どもたちが少しでも早く普段の生活に戻り、のびのびと勉強して成長していけるように、学校を再建設する必要があります。