|
アフリカ干ばつ緊急募金 第80報
|
One year after Somalia's famine, a story of recovery |
アミナは4歳の息子イスマイル・モハメッドを連れて、水を汲みにいくため、住んでいるモガディシュのキャンプのはずれに向かって足早に歩いていました。日が上った頃、赤ちゃんの鳴き声と遠方からの砲撃の音が聞こえてきました。アミナはこう言います。「水が少ないから、朝早くに水汲みにいかなければならないの。そうしなければ、水汲み場で長い行列に並ばなければならなくなるし、水がすべてなくなってしまうこともあるのよ。」
アミナは黄色いプラスチック容器を水でいっぱいにすると、すぐ家に向かい、朝ごはんの準備を急ぎます。プラスチックのシート、ダンボール、色鮮やかな織物で出来た彼女の家は、夜通し降る激しい雨を防ぐのは難しい造りです。「私たちのテントは風雨にさらされていて、子どもたちはよく寒がっているの。」焚き火でお湯を沸かしながらアミナは言いました。「でも村に住むよりこっちの方がいいわ。だって食べ物、水、薬が手に入るから。」
© UNICEF Somalia/2012 |
昨年7月、モガディシュのユニセフが支援している栄養補給センターに着いたとき、イスマイル・モハメッドは重度の栄養不良で、はしかとコレラにかかっていた。いま、彼は健康で元気な4歳児だ。 |
1年前、干ばつと激しさを増す紛争、そして支援スタッフすら現地に入ることが難しくなってしまった状況が、アミナの家族が住んでいたソマリア南部のシャベル川下流域に大飢饉を招きました。お茶を飲みながらアミナの夫モハメッド・イブラヒムが言いました。「飼育していた家畜は全て死んで何も残っていない。息子が病気になり、村を去らなければならなくなったんだ。」アミナも声を震わせながら苦しい体験を語ります。「モガディシュに着いたとき、イスマイルは既に深刻な状態だったわ。体がむくみ、肌の皮がむけ始めていたの。」イスマイルは重度の栄養不良で、他の同じ症状を持った子どもと同じ様に、はしかとコレラにかかっていました。体がひどくむくみあがり、目を開けることさえもできなくなっていたのです。 「彼が目を閉じたときすごく心配したわ。どうしたらいいかわからなかった。どこに助けを求めたらいいの?って自分に問いかけていたの」 と、アミナは話しました。
イスマイルの父は、支援スタッフからソマリアのNGO、SAACIDが運営し、ユニセフが支援している栄養補給センターについての話を聞きました。そこでは、イスマイルが重度の栄養不良の一形態として知られているクワシオルコルであり、早急に治療が必要であることを知りました。「彼がここにきたとき、むくみの量—水腫—は非常に高い状態でした。その時、私たちが彼に対してできることは限られていました。」と、栄養補給センターではじめてイスマイルの治療に当たったSAACIDの看護士アブドゥラヒ・モハメッドは語りました。イスマイルは、ベルギーの国境なき医師団によって運営されている病院に運ばれ、水腫がおさまるまで2週間入院することになりました。「その後、我々の栄養補給センターで、治療プログラムを受けました。ご覧の通り、今はもう彼は元気で、キックをしています。」
2011年7月20日の飢饉宣言以前、何千人ものソマリア南部の子どもたちが亡くなっていました。しかし、最大規模の人道支援活動が、沢山の命を救いました。
過去数年にわたって、ユニセフはソマリアで、45万5千人以上の急性栄養不良の子どもたちを治療し、そのうち約22万5千人が、重度の栄養不良でした。—その圧倒的多数は、中部と南部の子どもたちでした。
イスマイルは驚くべき回復をみせ、母親は彼の変化に驚きを隠せません。「彼が回復したとき、私の胸に希望が復活しました。今とても嬉しいです。」
いまだ、ソマリアの多くの地域で、厳しい状況は続いています。250万人−半分が子ども—がまだ支援を必要としていると推定されます。「一年前ほどではないが、いまだにイスマイルのように苦しんでいる子どもたちがいます。我々の栄養補給センターでは、彼の様な子どもをまだ見かけますが、必要性は一年前ほどではありません。”とモハマッド看護士は言います。
緊急支援が引き続き必要なのは明らかですが、それだけでは十分ではありません。ユニセフは、最も弱い立場の人々の“回復”を後押しするため、コミュニティレベルでの基本的サービスについても強化しています。それが、長期的に考えて、干ばつや食料不安などの危機を減らし、イスマイルの様な子どもたちが普通に子どもらしい生活を送ることができるようにするためのただ一つの方法なのです。