メニューをスキップ
財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたちは今 報告会レポート

報告会レポート

アグネス・チャン日本ユニセフ協会大使
モルドバ視察 帰国報告記者会見
STOP! 人身売買 積み残された子どもたち

■日時:2004年4月19日(月)13:00 〜 14:00

■場所:ユニセフハウス1階ホール

 2004年4月10日から16日までの日程で、東欧における子どもの人身売買の実態とその取り組みを視察したアグネス・チャン日本ユニセフ協会大使が、19日、ユニセフハウスで帰国報告記者会見を行いました。

 モルドバは、ルーマニアの東隣にあるヨーロッパの最貧国。1人あたりの国民総所得はインドとほぼ同じの460米ドル。総人口(427万人)の4分の1は海外へ出稼ぎに出ています。

 5月1日に予定されている中東欧諸国を中心とする10ヶ国のEU(欧州連合)加盟を前に、ユニセフはヨーロッパにおける子どもの人身売買に対して緊急な対策が必要との見解を出しています。モルドバで出会った被害者の現状は?東欧で人身売買が横行する構造的な問題とは?ヨーロッパで積み残された子どもたちの現状を、アグネス・チャン日本ユニセフ協会大使が報告しました。

視察日程

4月10日

日本出発。パリ、ウイーン経由でモルドバ入り。

13日

ユニセフ・モルドバ事務所を訪問
国際移住機関(IOM)事務所を訪問、人身売買の被害者とインタビュー

14日

人身売買被害者のためのリハビリセンターを訪問
人身売買の被害にあった子どもとその家族に会う

15日

全寮制の保護施設におけるユニセフのプロジェクトを視察
南、および中央バス・ターミナルを視察

16日

ホームレスの子どもたちのための避難シェルターを訪問
暴力、育児放棄、性的搾取、人身売買の被害者のための心のケアをするセンター を訪問
ラストラーダ(地元のNGO)の運営するホットライン・オフィスを訪問
夕刻、日本へ。

■アグネス大使からの報告 〜モルドバという国〜
アグネスチャン1

今回は、中東欧にも子どもたちの人身売買があるということで、私たちはモルドバ共和国という国にまいりました。正直言って、「モルドバってどこ?」って、最初は本当に分からなかったんです。地図で探してみたら、ルーマニアとウクライナにはさまれた、九州より少し小さいくらいの国です。人口は大体430万人くらい。人口の60パーセント強はルーマニア人、その他はロシア人とかそれ以外の民族。独立は91年、いまだに内戦状態といわれてます。ソビエト軍がまだ撤退してない独立国はモルドバだけといわれています。

 その不安な状態もあって外からの投資も乏しく、今ヨーロッパの中では一番貧しい国といわれます。貧しさをどうやってみるかというと、ヨーロッパではどのくらい稼げるか、給料のデータがあります。昨年1時間働いていくらかを見てみると、トップはデンマークで時給3000円です。モルドバは日本円にして40円です。公務員の平均月収が50ドル、でも生活していくには1人最低100ドルは必要といわれているんですね。その差はどうやって埋めるのか、それが出稼ぎです。

 モルドバは今人口の30パーセントが出稼ぎに出ているといわれています。それはほぼ、多分全部、若い人たちです。もちろん正式に仕事についている人たちもいますが、たくさんの人たちが不法に滞在して働いたり、あるいは実は人身売買の犠牲者になっているのではないかといわれています。人身売買の実態は見えないのですけれど、保護された子どもたちの最近のデータを見ると、ヨーロッパ全体の中ではモルドバが一番多いんです。だから最大の被害国とされています。ユニセフは90年代に入ってからずっとこの問題に注目しており、モルドバのユニセフ事務所の中に人身売買に対する特別のグループを作って取り組みを続けています。

〜人身売買の“波”〜
アグネスチャン2

 人身売買は第4の波になっているといわれています。最初の波はアジアの人たち、子どもたちを売買します。東南アジアだけでなくて、もちろん南アジアも含めて。第2の波は南米。コロンビアやブラジル、ベネズエラなどの女の子あるいは子どもを売買する、それが第2の波。第3の波はアフリカ、やっぱりサハラ以南から子どもたちが売られて、アラブ諸国などで、性的な目的、あるいは奴隷のように、家の中や工場で働かされる。そして今が第4の波です。それは東欧からやってくる。そのほうが近くてヨーロッパに運ぶのに運賃がかからない。しかも経済の格差がありますのでちょっとしたお金で買えます。後でお話しますが、その子は、現地のお金の単位で100レイ(1ドル=12.87レイ、2001年9月現在)、日本円で約1000円で自分の村の知り合いのおばさんによってロマ人に売られた子がいました。近くて、安くて、しかもとても素朴でかわいい。今、第4の波がとても盛んです。

 モルドバは私が着いたときは桜が咲き乱れていて、とても美しい国でした。景色は、やさしい北海道という感じ。緑もきれいだし、土の色は黒々としていて、旧ソ連のころはモルドバはスイスといわれたそうです。景色がきれい、そして野菜、果物、あと有名なモルドバワインを提供していた。そのかわりいろいろなものをもらっていたということです。独立してそのルートがなくなりまして、今経済は本当に苦しいです。

 首都はキシニョフといって、80万人から100万人の大都市、「え?これが最貧国?」と思うくらい町並みもきれいなところです。旧ソビエト時代に作られた建物がすごく美しく、市場に行っても物はありましたし、新しい店もありました。でもよく聞いてみると、50パーセントの収入を5パーセントの人たちがもらっているんだそうです。残りの50パーセントを95パーセントの人たちが分けるという状況になります。市場で物を売ってる人たちに聞いたら、やっぱり毎日毎日働いても食べていけないほどだそうです。特に男の人は失業率が高く、本当に出稼ぎ行かなければどうしようもない状況。 image

男が働いても食べられないならどうするんですか?って聞くと、農業している親から分けてもらうと。やりくりして本当に皆大変みたいなんです。そのキシニョフから離れて30分から1時間ドライブすると、ああ、本当に貧しいんだなぁと分かります。農村の状況は本当に厳しいです。後で写真をお見せしますが、景色がすごく美しいため、その深刻さってなかなか伝わらないかもしれません。けれども、これから1人1人の子どもたちの話をしていけば、この深刻な状況を分かっていただけると思います。

〜被害者たち〜

 私が最初会った被害者は、性的な目的でだまされてモスクワに強制的に連れて行かれた女の子です。会ったとき、彼女は20歳、名前はデターニヤ。本当の名前かどうかは分かりません。彼女の両親はいつもお酒に酔って、いつもケンカをしている。自分にも手を出す。それに耐えられず16歳で家出をすることにしました。モルドバは、大人がお酒におぼれるケースがとても多いんですね。

 彼女はバスに乗って、キシニョフに向かいました。そのバスの運転手さんが、とてもやさしそうな年配なおじいちゃんだったということです。彼女に話し掛けて、モスクワ行けばいい仕事あるよ、紹介してあげるよ、大丈夫だよと。すごく心細かったし、やさしそうだったから、彼女はそれを信じました。キシニョフにつくとその運転手さんが親切にパスポートまで作ってくれて。それでモスクワ行きの電車賃まで払って乗せてくれた。1日半たち、電車を降りると別のモルドバ人が待っていて、彼女をアパートに連れて行きました。そこには他のモルドバ人の女の子もいました。彼女はその日からすぐ売春の仕事をさせられました。

 稼ぎが悪ければ手や、その辺にあるものを使ってぶたれる。紫になった顔、あざだらけの体でも、また仕事をさせられる。ご飯も食べさせてもらえなかったりする。3回逃げようとしたけど、3回とも失敗。連れ戻されて、さらにぶたれる。仕事をさせられる。収入はない。モスクワはすごく寒いのですが、やっぱり体を見せないといけないのですから、彼女もすごく寒かったという。向こうの女性はきれいな人が多く、彼女もまたとても美人です。靴ももらえません。だからいつも古い靴でとても寒かったという。2年半くらいたったころ、彼女は自分が妊娠していることに気づきました。子どもは守りたい。どんな目にあうか分からないから、知られたら大変。ようやくその頃にはロシア語も少ししゃべれるようになって、ロシア人の友だちもできていたため、その子に頼って家でかばってもらいました。でも病院のような人の多いところに行くとまた見つけられるかもしれないので、自分で産みました。また、彼女は農村で育てられたので、法律のことも何も知らないんです。子どもの出生届けを出さなければ、子どもは国籍をもらえず、身分がなくなります。不法だからあなたは捕まえられる、刑務所に入れられると言われたんですが、彼女は勇気を出してモルドバの大使館に行きました。そこで身分が確認され、そして保護団体によってモルドバに帰ることができたんです。
 今子どもは10ヶ月です。1つ大きな問題は、モルドバはまだすごく保守的な国だということです。特に、村では誰の子か分からない子どもを連れてきた女性を、帰ってくるなと排除します。でも幸い彼女のお母さんは彼女を一生懸命かばっているので、今は一応村の中で生活できています。

IOM事務所で

 ユニセフも支援しているIOM(国際移住機関)という、イミグレーション(移住)を手助けする国際団体があります。彼らには駆け込み寺があるのですが、場所は絶対に秘密で見せてくれないというんです。私は絶対見せてくださいとお願いして見せてもらうことができました。ユニセフは“子どもフレンドリーウィング”というのを作っています。たとえば帰ってくるときは18歳でも、被害者として出て行くときは大体子どもです。帰ってくるとき子どもを連れてくる人も多い。子どものためのウィングがやっぱり必要なんですね。彼女もそこでリハビリを受けていますし、今はその子どもも皆さんの募金による支援を受けることができます。
 彼女は奨学金を受け取り、学校に通っています。洋服を縫うのが好きだから、いつかは専門学校に行って、そういう仕事に就けばいいなぁと夢見ているんです。

 彼女の話を聞いて、私もバスで行ってみました。もう運転手さんはみんな怪しく思えました。悪いと思いながら、この人もか、この人もかって。この人もだますのかなと。地方から着くバスと、外国に行くバスが同じバス停です。しかも私はロシア語もルーマニア語も読めないので、どこがどこに行くのかよくわからない。現地の人も分からないんです。誰かに聞かないと、そこにいる人たちに聞かないと、どうすればいいのか分からないんです。そういう情報不足も、子どもたちにとっては本当によくない状況だと思いました。だまされやすいのではないかと思う。

 もう一人の子は、そのバス停から、そのままポーランドに連れて行かれた子です。彼女の農村まで私たちは行くことができました。性的搾取の子は、恥ずかしいといって私たちが直接会うのをすごく拒みます。でもこの子は性的搾取じゃないんです。彼女は体が不自由で手と足に障害があります。生まれながらに足の先の部分がないんですね。指も3本がくっついてしまっているという、ちょっと軽い障害をもっていました。

レバカ村の少女

 彼女はモルドバではなく、トゥルクメニスタンというところで生まれた人です。お父さんが出稼ぎに出て、向こうの人と結婚して彼女が生まれたんですけれど、お母さんが失踪。そして新しいお母さんをもらってモルドバに戻ってきたのですが、生活が苦しくて家も建てられない。私たちが訪ねた家も泥とわらで固めたみたいな家でした。彼女とお母さんがキシニョフのバス停に行ったとき、お母さんがトイレに行っている間に、ロマ人の人に声をかけられたんです。「あなたは障害持っていますね。これは福なんですよ」と。「あなたはラッキーですね。これを頼って家族のために大稼ぎできますよ。私についてくれば大丈夫ですよ」と言われて。13歳のときでした。彼女は何とか家族を食べさせてあげたい。「え? 本当に私で稼げるんですか?」と信じてそのままバスに乗った。

 バスはポーランド行きです。ポーランドにつくと、彼女はもう一人、体の不自由な男の人と一緒にロマ人の家族と住まわされました。そして毎日毎日、人ごみの多いところに車で連れて行かれて、物乞いの仕事をさせられました。お金をもらうとすぐ見張りがきて、取り上げられます。「私もお金もらえるって聞いたじゃないですか。お父さんとお母さんに送りたい」と彼女が言っても「だめだ」と聞いてくれない。ぶたれる。時には食事も与えてもらえない。まとめて払うからという言葉をひたすら信じる。信じる彼女も本当に子どもだなぁと思います。やっぱり子どもなんですよ。13、14歳で、言葉もしゃべれない。逃げられない、連絡する方法もわからない。そのまま我慢して3年。3年間やり続けました。そこで少し大きくなって少し自信がついたころ、彼女はある日警察に助けを求めました。でも彼女は出生届が出ていなかったので長い間拘束されて、身分確認するまで時間がかかりました。その後ようやく身分が確認され、保護団体によってモルドバに戻ってくることができた。

 今は村に戻っています。実は彼女は一度も学校に行かせてもらったことないんです。読み書きができません。今はユニセフの奨学金もあって、彼女は今7歳の妹と同じクラス、1年生です。初めて字が書けるようになり、すごく喜んでいる。子どもが大好きだから、自分は保母さんになりたいと夢を見ています。

 私たちが訪ねたとき、家の電気も暖房もストップしていました。旧ソ連のときはただだったのですが、今はお金を払わないとだめなのです。一家の稼ぎはお母さんが近くの農場で受け取る1ヶ月3000円だけ。食べていくことができません。お父さんは酔っ払いです。毎日酔っています。食事を見せてくださいといったら、トマトとジャガイモ。自分たちの庭で作っているので。それとスパゲッティが入っているスープで、朝も昼も夜も同じ食事です。私はヨーロッパはおしゃれで、豊か、先進国だと思ったんですが、モルドバへ行って、ヨーロッパの影、暗い部分、本当に貧しいヨーロッパを見たというような感じがしました。幸い彼女は怪我はありませんでした。多少ぶたれても帰ってきたときの健康状態はそんなに悪くなかった。もう一人私たちが会った女の子は、怪我して帰ってきた子です。

〜3人目の被害者〜
イスノバツラ村の少女

 彼女は完全に売買された子です。やっぱり貧困で、お父さんは逃げました。お父さんは彼女たちを認めません。お母さんはアル中です。小さいときから本当に大変な生活をしていて、彼女が16の時、近くのおばさんが家にきて「仕事があるよ。モスクワに行って宝石を売る仕事だ。これはいい仕事だよ。売った分だけ歩合がもらえる」と言われました。彼女はいい仕事だと思いました。「お母さんに相談してはいけないよ。黙ってついてくれば紹介してあげる」村の人だから信じられると思って、彼女はお母さんをだましてその人に着いていきました。ちょっとした荷物をまとめて、お母さんに友達の家に泊まると言って。100レイで彼女はキシニョフで売られました。そしてその人たちは彼女をモスクワに連れて行きました。町でニセの宝石とか、金を売るための研修を、一応2日間受けたんだそうです。どういう風に人をだませばいいかって。ちゃんとネットワークがあるんですね。彼女は自分が歩合給をもらえると思っているから、それでもがんばろうと思った。でもあまり売れない。

 売れないとこんどはひどくぶたれるそうです。手やいすの足で本当にぶたれたと。売れた分は、すぐに取り上げられて、お金をもらえない。反抗するとまたぶたれる。ある日3ヶ月たったころウォッカのボトルで叩かれ、頭を大怪我したんだそうですね。結果として病院に行き、そして彼女は一生懸命医者に自分はこういう目にあっているんだと訴えました。すると医者は治療したら見張っているのでその間に逃げなさいと言ってくれたのです。彼女は逃げました。寒いロシアの森をわーっ、と走ったんだそうです。走って、走って、走って。いろんな人に親切にしてもらって、汽車を乗り継いで乗り継いでモルドバに戻ったんです。警察に駆け込んで、そこで身分が確認され、お母さんが迎えに行ったとき、彼女は大怪我をしていて本当に半死状態。危ない状態だったそうです。今はもうとても元気で、ユニセフが支援するリハビリテーションセンターに入っています。それで私たちは家を訪ねることができました。家の状況はさっきの子の家と変わらず、やっぱりすごく悲惨です。

〜EU拡大がもたらす影響〜
image2

EUが拡大、5月1日、15カ国から25カ国になります。人口はアメリカの倍になります。GNPはアメリカと同じくらいになります。私たちも今回モルドバに到着するまでは、乗り継ぎ、乗り継ぎじゃないといけませんでしたが、域内の往来はとても簡単です。もうパスポートに印一つなく入れて、入ったら全部自由です。ユーロはEUの中だけではなくて、モルドバでも使えます。人の流れ、お金の流れがとても自由になりました。いいところもたくさんあると思いますが、でもこのように自由になった分、やっぱり一番弱いものが搾取されるんだなと思いました。
 しかも今回感じたのは、本当に水面下に想像を絶するほど大きな組織が動いているんだぁなということです。カンボジアとかタイとかそういう時もマフィアとかやくざとかいろいろ絡んでるといわれましたが、モルドバが一番不気味でした。怖いんですよね、見えないというのが。BBC(英国放送協会)にレポートを提供したジャーナリストと連絡がとれたのですが、盗聴されているかもしれないと携帯では話してくれないんです。会って目立たないところで話しましょうと。そのくらい恐れられていたんですね。

 人身売買ってウィルスのようだと思いました。どんどん変化するし、ワクチンもない。抵抗力の一番弱い人がかかってしまう。薬がなければ死んでしまう。でもそのウィルスが広がっているのは間違いない。鳥インフルエンザも大変だけれど、この人身売買のウィルスのほうがもっと怖いと私は思います。

NGO電話

 人身売買の売り先は、ヨーロッパが一番多かったです。バルカン諸国。でもそれがポーランド、モスクワと広がり、南はトルコ、アラブ諸国、そして今、日本が売り先となり始めた。2ヶ月前モルドバの求人誌で、日本のクラブでダンサーになりませんかという広告が出たそうです。最後の日私たちが訪ねた「ラストラーダ」というホットラインには、開始から3年間で9000件の相談があったそうです。あの広告が出たときも、日本に行っていいかと女の子からたくさん電話がかかってきたそうです。調べてみたらその旅行会社は嘘の旅行会社だった。警察に届けて調べ始めると広告は消えたのですが、でももしかしたら、もうすでにこちらでモルドバ人が働いているかもしれません。

 「モルドバ人をお嫁さんにしませんか?」というインターネットサイトを私も見ました。写真が怪しいです。モルドバ人の女性が働くバーもあるようです。そういうのも日本のインターネットで、日本語で宣伝されているんです。ウィルスは日本にもやってきているんですね。お金があれば何でも買える。性的な目的だけではなくて、モルドバの子どもは物乞いや物売り、臓器提供、そして養子としてあちこちに売られていきます。売られていると、本当にそう思います。他人事ではないので絶対に許してはいけないと思います。

 ユニセフは今、予防に取り組んでいます。さっき言ったような、駆け込み寺、子どもたちに力をつけるための生活スキルのプログラム、いろいろなNGOと協力した相談所。いろんなことをやっています。子どもに力をつけて、だまされないように。また家族も支援して、家族が強くなって子どもを売らないですむような努力も行っています。もちろん政府と法律を一緒になって作ったり、連携して、国際的な協力を呼びかけたりもしています。でも対抗する力がすごく大きいので、皆さんの意識を高めてご協力いただかないと対抗できないと思うんですね。

 私もこんどモルドバの女性が働くバーにも行ってみたいと思います。もし本当に強制的に連れてきてこられた人たちがいたら、日本にも保護する場所があると聞いたので、そういうところの名刺を3枚くらい置いていこうかなと思っています。皆さんもぜひこういった人身売買の状況を報道してください。「許せない、みんなで助けよう。子どもたちを家族に戻そう」という動きを広めていきたいと思います。

アグネスチャン8

 長いお話となりましたが、早く日本でも人身売買禁止の法律が成立すればいいなと思います。そうでないと、法律がないからここが穴場だと思われる。もうすでにたくさん南米とアジアの女の子たちが売られてきています。日本が穴場だと思われたくないし、ちゃんと取り締まって、子どもたちを守れる国だと自負していきたいと思います。ぜひ皆さんのご協力をいただきたいと思います。
 本当に聞いてくださってありがとうございました。

トップページへコーナートップへ戻る先頭に戻る