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エボラ出血熱緊急募金 第38報
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© UNICEF Sierra Leone/2014/Bindra |
アマドゥくんと妹のアワちゃん。シエラレオネ東部のケネマの自宅にて。 |
4歳のアマドゥくんは、朝4時半にお姉さんのメアリーちゃんを起こします。頭が痛くて眠れないのです。「お母さんはどこ?」と尋ねるアマドゥくん。約2カ月前、ケネマにあるエボラ治療ユニットを退院してから、ほぼ毎日、同じ質問を繰り返しています。
早朝に起こされたにも関わらず、やさしく接するのは、15歳の姉のメアリーちゃん。アマドゥくんを自分のベッドに連れてきて、布団をかぶせ、アマドゥくんの体をやさしくなでます。
「どう説明したらいいかわかりません。自分自身でさえほとんど理解できていない状況を、4歳の弟に説明するなんて・・・私にはできません」とメアリーちゃんが語ります。
シエラレオネではエボラの感染が確認されて以降、600人近い子どもたちが一方または両方の親をエボラで失っています。西アフリカでは、特にエボラから回復した子どもたちは、コミュニティや親戚から汚名の烙印を押され、拒絶されています。こうした子どもたちは、メアリーちゃんのように、早く成長し、おとなの代わりを務めることを求められているのです。
「母は近所で具合が悪くなった女性の看病をした後、体調を崩しました。マラリアに感染したのだと思っていましたが、体調は急激に悪化しました。近所の人が救急車を呼び、ケネマの公立病院に連れて行かれました。それが母を見た最後のときでした」と語るメアリーちゃん。
間もなく母親は死亡しました。しかし、病院が死亡の連絡をしたのは、それから約1カ月後でした。
「とても悲しかったです。母が生きていれば、私を励ましてくれたはずです。母とはたくさんおしゃべりをしました。いろんなことを一緒に楽しみました。母が亡くなってから、そんなふうに私と話してくれる人はだれもいません。ただただ、母が、母の愛情が、母のすべてが恋しいです。静かに座っていると、母は祖父や父の話、ふたりと別れたときのこと、父が海外に旅行をしたときの話などをしてくれました。こうしたすべてのことが恋しいです」と、メアリーちゃんは語りました。
© UNICEF Sierra Leone/2014/Bindra |
15歳のメアリーちゃんと弟妹。 |
多くの子どもたちが親族などに引き取られていますが、メアリーちゃんの親戚の多くもエボラでなくなっていることから、近所の人たちの力を借りて生活をしています。
「母が亡くなってから、悲しみに浸る時間などありません。弟のアマドゥと妹のアワの幸せだけを考えています。ふたりのために料理を作り、家の掃除をしています。初めのうちは、近所の人たちは私たちと接することを怖がっていましたが、ソーシャルワーカーの人が話をしてくれてから、時々お米をくれるようになりました。私たちは何も持っておらず、困っていることがたくさんあります」と語るメアリーちゃん。
友達のなかには、メアリーちゃんから離れていった子もいるといいます。「私ともう話したがらない友達もいます。怖がっているのです。親友は妹がエボラにかかったので、エボラのことをよく知っています。彼女とは、母がどのように具合が悪くなったのか、私たちはどうしたのか、どんな気持ちだったのか、そんな話をよくしています」。
「母は私が勉強できるようにする、と約束してくれていました。看護師になってほしいと思っていたのです。今は学校が休校になっていますが、再開しても、私はもう学校に通えないかもと心配しています」と語るメアリーちゃん。シエラレオネではエボラ感染を受け、現在すべての小中学校が休校となっています。
ユニセフはエボラ感染の影響を受けている子どもと家族への支援のために、総額6,100万米ドルの資金を要請しています。しかし、現在寄せられている資金は40%以下にとどまります。
想像もしていなかった困難に直面しているにもかかわらず、メアリーちゃんは希望を抱き続けています。「まず、弟と妹の面倒をしっかりみたいと思います。そして、人の役に立ちたいと思っています。私たちがエボラから生き延びたのは、理由があるはずです。だから、私たちは生き続けなければいけないと思っています」
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世界保健機関(WHO)は、10月17日にセネガル、20日にナイジェリアのエボラ出血熱感染が終息したことを宣言しました。