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公益財団法人日本ユニセフ協会
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ネパール大地震緊急募金 第7報
ユニセフ・ネパール事務所
穂積智夫代表 メッセージ
「ネパール大地震から一週間」

【2015年5月2日 ネパール発】

ユニセフ・ネパール事務所の穂積智夫代表
© UNICEF Nepal/2014/CSKarki
ユニセフ・ネパール事務所の穂積智夫代表

先月25日にネパールで発生したM7.8の大規模地震。生き残った多くの子どもたちや家族が避難生活を続けています。現地で支援活動を続ける、ユニセフ・ネパール事務所の穂積智夫(ほづみ・ともお)代表より、現地の様子の報告とともに、日本のみなさまからお寄せいただいているあたたかいご支援に対する感謝のメッセージが届きました。ここにご紹介いたします。

* * *

「ネパール大地震から一週間」

4月25日、マグニチュード7.8の大地震がネパール中部を襲った時、私はカトマンズを一望できる山の上にいました。3人の同僚と一緒の山行でした。お昼少し前、もう少しで山頂というところで、突然自分の視界がぶれ始めました。山道を飛ばして登ってきたので、もしかしたら脳内出血でも起こしたのかもしれない(自分は至って健康ですが)という不安が、一瞬頭を掠めました。たまらず倒れ込んでから周りを見渡すと、山全体が割れるかと思うほど震えているのがわかりました。後ろを見ると、同僚達も私と同様に座り込んで、呆然としていました。地震の第一波が終わった後、ようやく立ち上がってカトマンズを眺めると、市内のあちこち、十数箇所から巨大な土煙が昇っているのが見えました。また、それとは反対側の山間部を見ると、一つの山の斜面から雲のような形をした土煙が舞い上がっていました。前者は大規模な建物の倒壊があった場所、後者は土砂崩れがあった場所だと思います。地震の起こる5分ほど前に、一緒にいたニューヨークから来た同僚に、カトマンズ市中のビムセン・タワーと呼ばれる高さ62メートルの塔がある場所を指差して教えたのですが、その塔が全壊して跡形もなく消えていました。自分は一緒にいた同僚達と山を駆け下り、緊急支援の即時開始のためにオフィスに向かいました。

次の日、カトマンズ渓谷内では古都バクタプルの被害が特に甚大であると聞き、視察に向かいました。年末年始に日本から来た家族と一緒に楽しく巡った古寺、仏塔のいくつかが全壊あるいは半壊しており、また普通の家も多数損壊していました。人々は家を無くし、あるいは余震を恐れて、プラスチック・シートを張り巡らした簡易シェルターの下で暮らしていました。既に子どもの下痢などの症例が報告されていると聞き、震災前に災害準備のために倉庫にストックしておいた衛生キットを早急に送り、パートナーとともに給水車による水の供給を始めました。

5月1日には、被災地の一つでありカトマンズから80キロほど離れたダディン郡に、ニーズ・アセスメントに行きました。郡庁のあるダディン・ベシは、カトマンズと同じくらい全壊・半壊の家がありましたが、それでも同郡で最も被害が少なかったところだと聞きました。ダディン郡の北部の方(車道がなく、徒歩で通常でも2日から3日かかる)では、村落の建物全てが全壊した場所がいくつもあるとも聞きました。郡病院に行くと、建物の中は負傷者でいっぱいで、入りきれない人々が、病院敷地内に張られたターポリンの下に布団を敷いて寝かせられていました。そこにいた30分ほどの間、4件もの救急患者が搬送されてきました。そのうちの1人は3歳くらいの男の子で、左足大腿部に骨折した部位を支える添え木がなされており、火がついたように泣き叫んでいました。また、もう1人は7歳くらいの女の子で、左足下部に完全に化膿し、ひどい臭いを放っている傷を負っていました。いずれの場合も最低限の応急処置はなされていましたが、早急に本格的な治療が必要なことは明らかでした。状況から見て、二件とも4月25日の大地震の時の怪我人が6日目の5月1日にようやく群病院にたどり着いたわけで、このこと一つを見ても、今回の被災地の地理的に困難な状況がわかると思います。持ってきた大型医療テントを二つ寄贈し、郡庁その他のパートナーと連携した今後の支援の話をして、一旦その場を去りました。

ユニセフは、地震初日から今日まで一週間、政府、他の開発機関およびNGOと共に、全力を挙げて子どもと女性を多数含む被災者の救援に当たっています。スタッフ自身が被災者で、そのうちの何人かは親戚をなくしましたが、子どもたちのために頑張っています。ネパールでは人口の40パーセントが18歳以下の子どもで、単一の年齢グループとしては最大です。したがって、この災害は、「子どもの緊急事態」でもあります。

ネパールの人里から遠く離れたMaidi村に、支援物資をとどける穂積代表(2015年5月1日)
© UNICEF/NYHQ2015-1098/Panday
ネパールの人里から遠く離れたMaidi村に、支援物資をとどける穂積代表(2015年5月1日)

具体的にユニセフがこれまで行った支援は、(1)被災者への安全な水の供給と衛生の確保、(2)医療施設への必須医薬品、ワクチン、テントなどの供給、(3)子供達が安全に遊べ、彼らの精神的外傷からの回復を助ける安全なスペースの確保などです。世界各地から緊急サポート・スタッフを募り、ユニセフ・ネパール事務所スタッフと合わせてこれまでで200人、今後は250人体制でプログラムを実施します。また、関係のプログラム必需品をユニセフの供給基地のあるコペンハーゲンやデュバイから空路で、またインドやバングラデシュから陸路で国内に搬入・分配しています。

このように多くの活動が開始されましたが、今後さらに多くの支援が緊急に必要です。

例えば、ネパールでのこの時期は、新学期に当たります。できる限り早く学校が再開され、子ども達の教育と日常生活が回復される必要があります。これは、教育の継続とともに、子どもたちの被った精神的外傷を和らげ、彼らが暴力・人身売買などのリスクに晒されることを防ぎます。そして、子どもたちが学校に行っている間、親が働くことに専心でき、生活を再建することも助けます。

また、ネパールでは子どもの栄養失調率が高いのですが(通常でも5歳以下の子どもの30パーセントが低体重、37%が低身長、11パーセントが中度・重度の栄養不良の状態にあります)、それがさらに悪化しないよう、補助食、治療食、ビタミン剤等を大量に供給する必要があります。さらに、母乳による育児や補助食などの正しい栄養摂取、下痢症を防ぐための安全な水の供給と最低限の衛生の確保を、特に小さな子どもたちのために徹底させる必要があります。

そして、残念なことにこの地震で親を失った子ども達が、性的暴力や人身売買などの被害者にならないよう、適切に保護される必要があります。

国としてのネパールの貧困、アクセスの難しい地形などを考えますと、復興への道は長く、困難なものとなることが予想されます。本格的な支援は、まだ始まったばかりです。

これまでの日本の皆様のご支援に心から感謝し、今後ともその継続を切にお願いします。

ユニセフ ネパール事務所代表
穂積智夫

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