【2017年1月5日 サアダ(イエメン)発】
2015年3月に内戦が激化したイエメンでは、200万人以上の子どもたちが学校に通えていません。現地で子どもたちのための活動を続けるユニセフのスタッフが、教育は、夢をかなえる手段であるだけでなく、暴力を予防することができるものだと語る1人の子どもに出会いました。ユニセフ・イエメン事務所のビスマルク・スワンギン広報官による報告です。
© UNICEF Yemen/2016 |
イエメンで内戦が激化する以前、10歳のファハドくんは家族とともにイエメン北部の町サアダで平和に暮らしていました。日課は、朝起きて学校に行き、友達と遊んだあと夕方家に戻り、家族と食事をし、宿題をすることでした。
ファハドくんの家族は、寝室が3つある居心地の良いアパートで普通の暮らしを送っていました。母親のオム・ファハドさんは、ファハドくんの部屋も含め、いつも家の中をきれいにすることに気を配っていました。「毎朝学校に行くのが楽しみだったように、午後に家に帰るのも楽しみでした。家での生活は快適でした」とファハドくんは話します。
しかし、2015年3月にイエメンで内戦が激化し、ファハドくんの自宅に面した通り一帯にまで戦闘が及ぶと、すべてが変わってしまいました。ファハドくんは砲弾や銃弾の音で目覚めたときのことを覚えています。父親は直ちに家族全員に車に乗るよう指示し、故郷の村に逃れました。
その道中、容赦ない砲撃から逃れようとする大勢の人々で道が溢れ、混沌を極めていたことを、ファハドくんは覚えています。父親は、少し運転した後、車での移動が安全ではないと判断し、家族は車を捨てて、歩いて村に向かうことになりました。
「1時間歩いたら、僕の足はパンパンに腫れてしまいました。家に帰ろうって言ったら、お父さんにそんなことをしたら殺されると言われました」(ファハドくん)
丸2日歩いて、家族はようやく村に辿り着きました。しかし、そこには全員が寝泊まりできるスペースはなく、ファハドくんも含めた男性は皆、外で寝ることになりました。「夜眠ることはできませんでした。僕たちの家や学校、友達がどうなってしまうのか、心配でたまりませんでした」とファハドくんは言います。
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ファハドくんは、村での滞在はほんの短い間で、すぐにサアダに戻って正常な生活に戻れると思っていました。しかし、1年半が経過しても内戦の終わる兆しはありません。
避難してから数週間後、父親は荷物を取りにサアダに戻りました。そこで、家が崩壊したことを知って、ショックを受けました。家族はすべての所持品を失いました。生涯かけて大切にしてきたものすべてが、瓦礫となってしまったのです。
ファハドくんは、父親に教科書やおもちゃ、自転車を持って帰ってきて欲しいと頼んでいましたが、それは叶いませんでした。村から戻った父親は、動揺を隠しきれない様子で家族にショックな出来事を告げました。「僕は、村の仮設住居の裏手に行き、静かに泣きました。すると、僕の様子を見にお父さんがやって来ました。そしてお父さんも一緒に泣き始めました」(ファハドくん)
ファハドくんは今も希望を持ち続けています。それは、土木技師になるという夢です。自分の町や国を再建したいからです。そのために、状況が良くなったら、サアダに戻り、勉強を続けたいと願っています。
「友達にまた会いたい。また一緒に遊びたい。戦争が終わって、すべてが元通りになって欲しい」と、ファハドくんは世界に向けたメッセージを語ります。
ファハドくんは、イエメンの絶え間ない紛争の内戦の解決方法は教育だと信じています。「教育を受けた人たちは、戦争がいけないことだと理解できるはず」。
紛争当事者の指導者たちは教育を受けた人たちでもあると伝えられると、ファハドくんは「でも、戦闘員のほとんどは受けていない」と即座に答えました。
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ファハドくんは、現在のイエメンの内戦により避難を余儀なくされ、故郷から遠く離れて必死に生き延びようとしている140万人の子どもたちの一人です。そのような子どもたちが教育の機会を失わないように、ユニセフは被害を受けた約700の学校の修復、学用品などの提供、子どもたちを学校に通わせるための両親やコミュニティに対する啓蒙活動などを、「バック・トゥ・スクール(学校に戻ろう)」キャンペーンを通して支援しています。また、教員に対しては、恐怖を経験した子どもたちへの心理社会的ケアの研修を実施しています。
もし、この世代の子どもたちが教育を受けられなければ、イエメンは長期的に暗い影響を受けることになります。ファハドくんのような子どもたちが抱いている、より良いイエメンを構築するという夢を実現するために、子どもたちの教育と保護への投資が何よりも優先されるべきなのです。
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