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ユニセフ協会からのお知らせ

日野原重明氏 日本ユニセフ協会大使に就任
アグネス大使らを迎え就任記者発表会を開催

【2007年4月9日東京発】

(財)日本ユニセフ協会は、9日、日野原重明氏(明治44年10月4日生山口県出身)をアグネス・チャン氏(1998年4月6日に就任)に続いて2人目となる日本ユニセフ協会大使に任命しました。

聖路加国際病院の理事長をはじめ、国内外の医学会の会長・顧問等数々の要職を勤められる日野原氏の活躍は、医学、医療の現場に止まらず、多方面にわたっています。長年に渡る全国での講演活動や多くの著作を通じ、医師としての立場・医療という領域を超え、いのちの大切さ、平和の尊さなどを、特に次代を担う日本の子どもたちに訴え、その活動や発言は、多方面から支持を得ています。こうした日野原氏の精神と活動は、子どもの権利を実現しようとするユニセフの精神・目的と相通ずるものであると考え、この度、日本ユニセフ協会大使にご就任いただく運びとなりました。

記者発表会の会場となった東京・高輪のユニセフハウスには、アグネス・チャン大使の他、ユニセフ本部(東京事務所)、外務省の方々も、お祝いに駆けつけ、また、TV番組収録のためご出席が叶わなかった黒柳徹子大使からも、お祝いと応援のメッセージが届けられました。


日本ユニセフ協会は、1998年にアグネス・チャンさんという素晴らしい大使をおむかえしました。爾来、アグネスさんは常に協会のスポークス・パーソンとして子どもの権利擁護の先頭に立ってこられました。今日、ここに日野原先生を日本ユニセフ協会大使としてお迎えし、アグネスさんとお二人で協会の先導役をつとめてくださることになったことは、私ども協会役職員にとり、この上ない喜びと励ましであります。 (日本ユニセフ協会副会長 東郷良尚)

野球で言えば「9回」ですが、 私の一番大切な人生がこれから始まります・・・日野原大使

日野原重明氏 
略歴 1911年生まれ。1937年京都帝大医学部卒業。

1941年聖路加国際病院の内科医となり、内科医長、院長等を歴任。現在、聖路加国際病院名誉院長・同理事長、聖路加看護大学名誉学長。
(財)ライフ・プランニング・センター理事長。
日本音楽療法学会理事長。
全日本音楽療法連盟会長。
1993年勲二等瑞宝章受勲。

著書: 『死をどう生きたか』(中央新書) 『現代医学と宗教』(岩波書店) 『看とりの愛』『老いに成熟する』『音楽の癒しのちから』(春秋社) 他多数。

私が医者になったのは、丁度70年前。最初に看取った患者さんは、16歳の女の子でした。結核の患者さんだったのですが、化学療法がまだ無かったので、彼女は治療を受ける事無く亡くなりました。その子に対する気持ち、そして、その後私自身も結核を患い、患者さんの気持ちを実感することができました。

日本ユニセフ協会大使は、ユニセフの顔として、世界の子どもたちが置かれて状況を広く人々に知らせ、その解決に向けて一人ひとりに何ができるかを訴えるという大変重要な役割を担っていらっしゃいます。日野原先生のようにパワーのある方が大使に就任されることは、世界の子どもたちに大変大きな勇気を与えてくれるものと思っています。(外務省 国際協力局地球規模課題担当参事官 大江 博氏)

6年半前に「新老人の会」を旗揚げしました。シニアの人々が持っているポテンシャルを、後世の人々に伝えてゆくこと、モデルを示してゆくこと、子どもたちに「いのち」というものを教えて行くことを目的としています。子どもたちのいのちが損なわれないように、そうしたいのちが、社会のために有益に使われるようになるためには、私たちは世界中を見渡さなければなりません。いろんな意味でハンディキャップをもっている子どもたちを救わなくては、5歳までに1000万人が命を落としているという恐るべき現実を変えてゆかなくてはなりません。 故に、「新老人の会」の活動の究極の目的は、子どもたちのいのちを守る事。子どもたちの未来を守るための平和を創ってゆくこと。そのように思っておりました。

そこに、今般、日本ユニセフ協会大使のお話を頂きました。

ですので、私の大使としての活動は、とにかく子どもたちの為に可能な限り献身することと思っています。今私は95歳と6ヶ月になります。野球で言えば「9回」です。普通なら勝負はほぼ決まっているはずですが、私は、この「9回」から、私の一番大切な人生が始まると思っています。9回を過ぎて15回位まで、ピッチングをやったり、打撃をやったりということは、全て子どもたちのためであると。そのためには、更に睡眠時間を削ってでも頑張りたいと思います。

新老人の会の皆さんにも、日本の子どもたちにも、そして今日ここにお集まりのメディアの皆様にも、世界の子どもたちを守るユニセフのキャンペーンへのご参加をお願いしたいと思います。


私たちの場合、「1+1」は100を超えます・・・アグネス・チャンさんからのメッセージ

日野原先生が、先程、大使任命状を受け取られた時、私自身が1998年に大使に任命された時の気持ちを、一瞬思い出しました。嬉しいという気持ちと、大役を仰せつかるという不安な気持ちと・・・。そして、その時、東郷さん(当時日本ユニセフ協会専務理事)から言われたことを今でも良く覚えています。「子どもたちが可哀想だから、『お涙頂戴』という活動をするんじゃないんだよ。子どもたちは生まれながら等しく権利を持っているんだ。でも、今、いろんな理由でその権利が守られていない。私たちには、その権利を戻してあげる責任があります」って。それを聞いた時、私は、なんていう素晴らしい団体の一員になったんだろうって。

それからは、本当に日々勉強です。知らなかった問題がたくさんありました。たくさんのことを勉強しました。そしてメディアの方々の力も借りて、たくさんの人に伝えてきました。でも、これからは私一人じゃないんですよね。「1+1=2」じゃないんですよね。私たちの場合、「1+1」は100を超えてしまいますね(笑)。本当に力強く思います。今までの100倍位の力で、世界の子どもたちのことをみんなに知らせてゆけます。そんな嬉しさで、胸が一杯です。

先生の大きな愛や知識を子どもたちのために・・・黒柳徹子さんからのメッセージ

日野原先生、日本ユニセフ協会大使にご就任とのうれしいニュース!ついこの間、100才まで仕事するのには、どうやればいいか、教えて頂いたところでしたね。先生も、95才から全くやったことのないゴルフをおはじめになり、これまで使ったことのない脳や体をつかって、生き生きと、新しく歩き出した、とおっしゃいましたね。ユニセフは、子どものために働く所ですが、先生のお持ちの大きな愛や知識を、世界の子どものためにお使い頂くこと、すばらしいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。心から拍手お送りいたします。

私が医者として駆け出しの頃、日野原先生の講義を拝聴しました。その時、先生は、聖書の一節を引用し、「そこに救いの手を待っている人が居たら、全ての損得を忘れ、行動を起こす勇気を持ってくれ」と、私たちに教えてくれました。日本子どもたちも戦後の大変な時期にユニセフを通じて世界から支援を受けていました。私どもユニセフは、世界の子どもたちは生まれた時から健康に生きる権利を持っていると信じています。そのことを伝えていらっしゃる日野原先生は、ユニセフにとって、最もふさわしい大使の一人でいらっしゃると考えています。 (ユニセフ東京事務所 副代表 平林国彦)

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