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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2004年2月19掲載>

女子教育は国の未来:タヘラ校長とトバ先生の挑戦
<アフガニスタン>

 タリバン政権下にあったアフガニスタン。そこで、命をかけて女子教育を普及させようとした2人の女性がいました。
 あれから6年が過ぎ、今、彼女らは、限られた教材と生徒であふれ返った教室で授業を続けることに奮闘しています。たくさんの女の子が、うだるような暑さと焼けつくような塵が舞う国内避難民キャンプで、ひとつの小さな部屋に集まり、読み書きを習っています。アフガニスタンでは今、教育の需要があふれかえっています。新しい世代の生徒たちの望みや夢は叶えられるのでしょうか。

 アフガニスタン西部のへラート市。6月のある晴れた日の朝7時半。青く塗られた校門が開けられましたが、まだ誰も通る人はいません。通りを挟んだ向こう側の小さな文房具店の店主が店のシャッターを開け、ペンやノートや色鮮やかな結婚式の招待状用のカードが入ったかごを歩道に並べ始めました。男たちが焼きたてのナンをのせた自転車を勢いよく走らせて通り過ぎ、ブルカをかぶった女性達が市場へと急ぎ足で向かいます。きちんとした黒色のシャルワール・カミーズ(アフガニスタンの女性が着る衣装)を着て白色のスカーフをかぶった2人の小さな女の子が、校門に現れ、スキップをしながら中庭へと入っていきます。

 そして、年長の女の子たちのグループは校門をくぐると同時に、頭にかぶったブルカをとります。すぐに昇降口は、本でいっぱいのバッグや小さなリュックサック、青い布地のショルダーバッグを持った若い女の子たちでいっぱいになりました。笑ったり、おしゃべりしたりしながら、どんどん生徒達が集まってきます。友だちの名前を呼んだり、内緒話をする子もいます。空色、黒、白色の川が校門をぬけて流れをつくっています。しゃべり、笑い、呼びかけ合う声がひしめき合い、にぎやかな音がさらに大きくなります。中庭で元気よくはしゃぎまわって、子どもたちの川は渦になります−手をつないで走り回る女の子、腕を組んでクルクル回って遊ぶ女の子、手を振る女の子。ふと、新しい音がこの雑踏を破ります。繰り返されるチリンチリンという音。お話や遊び、クスクス笑う声を中断させ、女の子たちは中庭の一番奥にある2階建ての建物に入っていきます。8時、マレカ・ジャラリー女子高校の授業が始まります。

 タヘラ・ハキミさんは、38年間先生をしています。8年前、マレカ・ジャラリー高校の校長に就任しました。もちろんタリバンがヘラートに来たときには、7年ほどの間、中断を余儀なくされました。しかし、この間もハキミさんは自宅でこっそりと教室を開いていました。彼女は小さかったころから先生になろうと決めていました。彼女の夢はカブール大学で勉強することでしたが、その頃、父親は自宅から遠い大学へ通うことに反対でした。そのため1960年代半ばに就職するまで、彼女はヘラートで英語を専攻して勉強を続けました。今日、彼女はアフガニスタン西部の一番大きくそして最も有名な女子高を運営しています。

 学びという大きな船の操縦は簡単なことではありません。昨年3,000人の女子がマレカ・ジャラリー高校に登録しました。今年の登録者は5,000人までに跳ね上がりました。学生寮には限りがあります。主校舎には12の教室があり、3,000人の子どもが1日3交代制で勉強します。中庭の外には小さな丸いテントが用意され、クラスに入りきれない子どもを受け入れています。地元の教育部とNGOが協力して、新しく16の教室を夏の半ばまでに用意しようと建設中です。それが完成してもまだなお、1,000人の女子がテントで授業を受けなければなりません。すでに学校はさらに多数の入学希望を受けていて、その多くがヘラート市外からです。

 ヘラートはアフガニスタンの学びと文化の中心地とされてきました。14、15世紀には、市は最高の画家や詩人、建築家、音楽家を輩出した「アジアのフローレンス」として知られました。女性も市の芸術や文化の歴史の中心的存在でした。この美術や文化の長い歴史が、この市の若者の多くが学びに意欲的である理由かもしれません。タリバン政権崩壊後の2002年、初めての新学期には、ヘラート州の5万人以上の子どもが教室へ戻りました。その40%近くが女の子でした。2003年当初の数値で、30%の就学率の増加を示していました。長い間、学ぶ、発達する、成長するという機会を奪われていたヘラートの女の子や若い女性たちが、ようやく祖先たちがたどった足跡をたどりはじめたのです。

 タリバン政権がヘラートを支配していた数年間にハキミさんが自宅で開いていた女の子のための学校で、彼女は英語を教えました。何人の女の子が来ていたかは思い出せませんが、数がとても多かったことだけは思い出せます。そして自宅学校はタリバンに目をつけられるには十分でした。
 「ある日ドアを開けたら、そこに銃を持った4人の兵士が立っていました。彼らは私の家に入り、女の子たちのかばんを蹴って開け、本を調べ始めました。彼らは私を非合法の学校を開いたと言って非難したけれど、何も見つけられませんでした。そして彼らはこう言いました。必ずまた戻ってきて、私を捕まえたら刑務所に入れるか、それ以上にひどいところへ入れる、と」

 6年もの間、ハキミさんは武装した男たちの記憶を忘れられませんでした。しかし、彼女の言葉を借りて言えば、彼女は決して自宅のドアを閉めることはしませんでした。なぜこれほど長い間教育を提供しつづけたのかとたずねられると、彼女は少し考えてこう答えます。
 「あの頃、たとえ学校が閉ざされていても、いずれ明るい未来が来ることを常に考えていました。みなさんが私にこう言うんです。“あなたは先生です。女の子たちの将来のために、何かをする責任があります” 私もそう思ったんです。私はその責任を進んで果たそうと決心したのです」

 この女の子たちの将来は、マレカ・ジャラリー高校の地理の先生であるトバさんのような女性の手にかかっています。彼女は24年間先生を続けており、ヘラートの教育の歴史における貢献者のひとりです。校長のように、彼女もまたタリバン政権時代、自宅学校を開いていました。しかし、当局からの圧力が大きくなり、イランへ難民として避難しました。避難先でも教えたいという熱意はつづき、難民の子どものクラスを手助けしました。今はヘラートに戻ったトバさんはこう話します。「私たちは女の子たちに、一生懸命に勉強すれば先進国の子どもたちと同じ機会を得ることができると約束したのです」 しかし、これは彼女の生徒にとって納得するには難しい約束かもしれません。

 教室はきれいにペンキで塗られ、女の子たちには、机とイスがあります。これらは、この国の多くの学校において改善を必要とした重要な点でした。彼らは教科書も共有です。教材の数は足りず、ここは、11年生のクラスですが、一つの地図と小さなプラスチック製の地球儀だけしかありません。2年後には生徒達は学校を卒業し、大学進学への準備に入ります。トバさんは、教員の創造的な授業によって、生徒全員が大学進学を果たせると信じています。「昨年は地図さえなかったんですよ」と彼女がふりかえります。「だから、国々を指し示すときは、地面や壁にその地図を書いたものですよ。授業はどんな形でもできるんです」トバさんは、教育省とユニセフによる新しい教員育成講座にも出席しました。彼女は実際には育成する側の一人であり、同僚たちに新しい“子どもに優しい教育技術”を広げ、授業をより双方向的なものにし、生徒の日常に沿うようにする方法を考えています。

 トバさんの授業は生徒の多くから、よい評判があります。今は20歳のファザルさんが、最後に学校に行ったのは13歳の時でした。長い間、学校へ行けなかったので、彼女は他のクラスメートよりも3歳年上なのです。彼女は今、誇らしげに教室の一番前に座り、トバさんの言葉を聞き逃すまいとしています。彼女は新しくつかんだ教育のチャンスを一瞬たりとも無駄にしないように、本当に熱心です。しかし彼女は、先生たちは受けるべき援助を受けていないと感じています。

 「先生にはもっとたくさんの設備と教材が必要だわ」と彼女は主張します。ファザルさんは先生のことを思い、積極的に意見を述べます。彼女の多くの友だちがそうであるように、彼女の学びに対する情熱はあらゆる面で湧き上がってきます。彼女は、可能ならば起きている間をずっと教室で過ごしたいと思っています。「先生たちは役に立つことや、人生を計画するのに役立つことを教えてくれます。勉強しすぎですって? たくさん勉強することが楽しいんです。いままで何もできなかったんですもの」

 いまだに、あらゆる面で不足状態が続く教育の分野で、女の子たちの賞賛、尊敬、忍耐がどのくらい続くでしょうか。どのくらい彼女らは進んで自らを犠牲にできるでしょうか。トバさんは楽観的でいるように助言します。
 「生徒たちはよく私にこう聞くんです。“他の国の子達と同じように幸せになれる?”って。 私は心配しなくてもいいわ、と答えるんです。彼女たちはとても賢いのよ。設備がなくたって、それは変わりません。私たちが彼女たちに与えられるものは、希望なんです」
  しかし、彼女は注意深げにこうも言いました。
 「他の国の人びとは、私たちが今、ちょうど立ち上がったところだということを知っています。私たちはいまだに、生徒、若者、すべての人とお互いに助け合っています。過去に私たちは国を失い、人も失ったからです。今、アフガニスタンの外にいる人たちに、私たちが失ったものと、私たちが自立を果たせるように彼らの助けが必要だということを伝えていかなければなりません。私たちは自立するために多くのことを約束されました。その約束は決して忘れられてはならないのです」

 マレカ・ジャラリー高校のベルが今日の授業の終わりを告げようとしています。数分後には空色、黒、白色の川が街の道へと流れていきます。たくさんの課題に直面している女性、ハキミ校長はヘラートでどのように教育がすすめられていくか、あくまで楽観的です。「たとえ必要な教材がなくても、生徒を教える方法はいくらでもあります。イス、机、教室がなくても、木の下で授業をすればいい。私たちの国の将来、それはこの女の子たちに委ねられています。教育はアフガニスタンの将来。教育は他のなによりも大切なことなのです」


2004年2月12日
カブール、アフガニスタン
ユニセフ・アフガニスタン事務所
 広報官 エドワード・カワーディン

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