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≪2004年9月6日掲載≫ 新しい未来が開かれた元子どもの兵士たち
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※写真は本文と直接関係ありません。 |
フレデリコは優秀な子でした。頭はいいし、てきぱきしていましたし、たぶん、クラスで一番の成績だったのではないでしょうか。14歳の彼は、科学が得意で医者になる夢を持っていました。でも、1993年のある日、その夢は無残にも打ち砕かれたのです。そう、彼は反乱軍兵士に誘拐され、9年もの間、アンゴラの血塗られた内戦で闘う羽目に陥ったのです。
それでも彼は幸運なほうでした。生き延びることができたのですから…。 2002年4月、30年に及ぶ内戦に終止符を打つ停戦協定が結ばれてから、ユニセフは、こうした子どもたちが単に「生き延びる」のではなく、もっと将来に夢を持って大きくはばたけるようにとの願いを込めて、さらなる支援を始めました。
フレデリコのように、かつて兵士だった子どもたちは、喜んで銃をゲームと交換し、爆弾を本に、そして、傷ついた心を明日の夢に変えつつあります。子どもたちが、一刻も早く、円滑に普通の生活に戻れるように、ユニセフのアンゴラ事務所は、弛まぬ努力をしています。
アンゴラ政府が子どもの兵士たちを「子ども」であると認め、彼らには新しい未来が開かれました。年齢に満たないすべての子どもの兵士の即時・無条件解放が実現したのです。
これは子どもたちにとっては願ってもないことでした。アンゴラのほか、内戦が続いたアフリカのほかの地域でも、子どもの部隊解除は難しく、たびたび失敗に終わっています。かつて兵士だった子どもにとっては、ごく普通のあたりまえの生活を、新しく始めさせることが最良の方法になります。アンゴラの子どもたちは、こうして「兵士」から即時に解放され、普通の生活への第一歩を踏み出したのです。
「どんな武力紛争でも、主要な犠牲者は子どもたちであり、一番心の痛手を受けるのも彼らです」と語るのはユニセフ・アンゴラ事務所のマリオ・フェラーリです。「国際的な経験をもとに、紛争下の子どもたちに対する効果的な支援プログラムを作ることは可能ですが、子どもたちの心理社会的な回復と発達のために一番良いのは、完全なる平和のもとで暮らすことです」
もちろん、元子どもの兵士に対する特別なプログラムも用意されています。一時保護施設では、子どもたち専用のスペースが設けられ、スポーツをしたり、みんなで一緒に集まれる場所が確保されました。こうした「子どもに優しい空間」と呼ばれる場所は、元少年兵だった子どもや紛争で傷ついた子どもたちに、心理社会的プログラムを実施する場所になっています。それらはまた、教育や地雷教育の場、家族探しの場としても活用されています。 フレデリコは、すぐに実現したい夢がひとつあると言いました。「家に帰りたいんだ。家族に会いたいから」
内戦が終わってすぐに、ユニセフは、フレデリコとほかの子どもたちが母親と再会できるように、対策をとりました。政府の協力を得て、元UNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)の兵士だった子どもたちが滞在する施設では、子どもの特別保護戦略がとられました。この戦略の中には家族追跡・再会プログラムの拡大版が含まれ、子どもたちの安全な帰還が促進されました。国が発行している身分証明カードを持っていない子どもたちが300万人いましたが、元子どもの兵士がその中に多く含まれていました。彼らはつまり「存在していない」ことになっており、教育や保健といったサービスから除外されていたのです。「子どもに優しい空間」の一環として、ユニセフは全国出生登録キャンペーンの展開を支援し、その結果、146万人の子どもたちに出生登録証が発行されました。
2002年度、ユニセフはアンゴラの社会問題・社会復帰省への技術的支援を行いましたが、これを通して家族追跡・再会プログラムが実施され、親や保護者からはぐれた子どもたちへの国家政策が作られました。このほか、能力開発にも力が入れられ、親や保護者とはぐれた子どもたちの身元探しのために、コミュニティが中心となって制度作りをした例もあります。これには教会、当局者、国際NGOなどが携わりました。こうした国内NGO,国際NGO,教会などの共同努力により、まず、48人の元子どもの兵士(アンゴラ武装軍と政府反乱軍のUNITAに所属していた子どもたち)が2002年10月に親や保護者と再会することができたのです。
各州には「子どもの保護ネットワーク」が設立され、子どもに対する暴力、虐待、搾取、差別などの問題を共同で解決して行く努力も行われています。
ユニセフとアンゴラ政府の交渉は一筋縄では行きませんでしたが、ユニセフが内戦の間とりつづけた立場は一貫していました。アンゴラ政府は子どもを保護する法律をきちんと適用すること、そしてアンゴラは、子どもの権利条約の締約国として、子どもの兵士の徴用を禁止する「子どもの権利条約」の選択議定書を遵守するよう説得しつづけることでした。
2002年6月に、子どもの兵士を解放する意思があることを示すために、アンゴラ武装軍は、首都ルアンダにある軍の主要な兵舎から、子どもたちをそれぞれの家に帰した経緯があります。同様に、政府側も、元子どもの兵士がたとえ18歳になって、自らの意思で入隊を申し出ても、これを断る約束をしました。また、年に一度行っている兵士の徴用でも、2002年と2003年の募集時期には子ども兵士を徴用しないことを約束しました。18歳未満の子どもの兵士は、子どもの兵士全体を考えた場合は、ほんの数パーセントでしかありませんしかし、アンゴラの内戦は27年もの間続いたのです。そういう意味では、何千ものアンゴラの若者がその大切な子ども時代、青春時代を奪われてしまったのです。すべての子どもたちにより良き未来を約束できるよう、ユニセフでは、アンゴラ政府や子どもの権利を保護する組織・団体と共に、アンゴラの子どもや若者のために、社会復帰プログラムを促進しています。教会やNGO、政府、世界銀行の支援を得て、元子どもの兵士のために職業訓練や所得向上プログラムを提供することになっています。時間とお金を手に入れた元兵士たちが、自らの土地を元に生計を立てていくことができるよう、また、自給自足ができるよう、そして平和を享受できるようにという願いが込められています。
アンゴラにとって今年は歴史的な年になります。平和の訪れと共に、希望と責任がついてまわる年になるのです。数々の支援団体は、今まで入ることができなかったアンゴラの広大な土地の奥まで入り込み、支援を必要としている何百万もの子どもたちに対して支援の手を差し伸べることができるようになります。EUからの援助、合計880万米ドルは、保健、教育、栄養、子どもの保護などの重要な分野に拠出されますが、これは新生アンゴラにとっては欠かせない支援となります。
アンゴラの社会復帰で一番重要な援助は、教育ということになるでしょう。すべてのアンゴラの子どもたちが学校に行き、子どもとしての教育を受けることができるよう力が注がれるはずです。今年の3月には、バック・トゥ・スクール・キャンペーンが開始され、小学校に通っていない約20%の未就学児を学校に通学させる努力が始められます。特に、元子どもの兵士たちを含む、内戦に影響を受けた子どもたちが優先対象となります。
また、「平和と生きるための教育(ELP)」プログラムが、今まで援助が行き届かなかった地域や新しく設置された集会場所などで行われる予定です。ELPでは、正規の学校に通うことができない子どもたちに対して、「遊びを通しての学習」の機会を提供します。子どもたちは小さなグループに分けられ、地元ボランティアの指導のもと、専用の教材を使った参加型の授業が行われる予定です。一方、バック・トゥ・スクール・キャンペーンには、アンゴラの子どもたちに参加する楽しさを教え、目的意識と自信をつけさせようという狙いがあります。
「一生懸命勉強して弁護士になりたい、と言っている子もいますし、数が不足している教師になりたいという子もいます」こう語るのは、子どもの保護プログラムを担当するユニセフのアブバカル・サルタンです。「そして…フレデリコのように医者になりたい、と思っている子もいます。どの道に進もうとも、ユニセフは彼らが子ども時代の喜びを享受できるよう、支援していきたいと思います」
<アンゴラ、ルアンダ、2003年1月16日 ジェームズ・エルダー広報官>