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公益財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

2004年2月25日掲載

人身売買の犠牲になったある二人の子どもたち
<カンボジア>

その1:バニー
カンボジア女性緊急センター(バンテアイ・ミアンチェイ州 シソフォン)

 2003年5月、バニー(17歳)は、カンボジアのバンテアイ・ミアンチェイ州の村で母親と一緒に暮らしていました。ある日、ひとりの女性が、タイで家政婦の仕事をしないかとバニーに話を持ちかけてきました。1ヵ月に3000バーツ(75米ドル)も稼げるというのです。バニーと母親にそれを断る理由はありませんでした。すぐに契約書にサインをしたバニーは、3日後、26人の子どもたちと一緒にタイに向けて出発しました。
 しかし、バニーはバンコクにある売春宿に売られたのです。毎日客の相手をさせられ、レイプされ、虐待され、2ヵ月もの間、悲惨な状況で過ごさなければなりませんでした。
 とうとうバニーは、母親に手紙を出しました。母親は、その知らせにひどく驚き、バンコクまでバニーを迎えにきました。しかし、彼女を引き渡す代わりに1000米ドルもの大金を支払うように言われたのです。カンボジアに戻る途中で、二人はこのことを地元の警察に通報しました。警察は、バニーにカンボジア女性緊急センター(CWCC)を紹介してくれました。バニーは2003年7月にそのセンターに入り、センターのスタッフやそこにいる女の子たちの助けで、つらい過去から立ち直りつつあります。彼女は規則的にカウンセリングを受け、裁縫やクメール語、英語の勉強をしながら暮らしています。センターの支援を受けて、警察はバニーを売った犯人の女性の居場所をつきとめ、2003年8月28日に逮捕しました。この犯人は現在、刑務所にいます。バニーは2004年のはじめまでこのセンターで過ごしたあと家に戻り、覚えた裁縫技術を使って仕立て屋のビジネスを始めようと計画を立てています。

その2: ディナ
カンボジア女性緊急センター(バンテアイ・ミアンチェイ州 シソフォン)

 17歳のディナは、カンボジアのシェムリアップ州の小さな村に両親と7人のきょうだいと一緒に暮らしていました。家族は貧しく、収入源はわらを売ることだけでした。ディナは家族が食べていくために、森から野菜を採ってこなくてはなりませんでした。ある日、尼僧がやって来て、ディナをタイにあるパゴダ(仏塔)へ連れて行きたいと家族に申し出ました。もし、それを受け入れてくれれば、2500バーツ(62.50米ドル)を支払うと言い、家族はすぐに承諾しました。
 タイに出て初めの3ヵ月の間は、ディナはパゴダで仕事をし、賃金をもらっていました。そんなある日、尼僧は、バンコクへ一緒についてきてくれないかと言いました。バンコクでは、尼僧の娘がレストランを経営しているといいます。ディナと両親、尼僧は話し合い、最終的に契約書にサインをしました。バンコクのレストランに着くと、ディナはレストランのオーナーが尼僧に金を支払っているのを目撃しました。尼僧が急ぐように帰っていくとすぐに、3人の男がディナをつかまえ、彼女に麻薬を注射をしました。ディナが意識を取り戻したときは、彼女はすでに裸にされていました。レイプされたのです。
 それから6ヶ月もの間、ディナは麻薬を注射され続けました。レストランとは実は売春宿で、ディナが客の相手を拒むと、意識を失わせようといつも以上に麻薬を注射されました。ディナが客にもっと魅力的に映るように、ときどき化粧品店へ連れていかれました。ある日、ママサン(売春宿の経営者)がディナに麻薬の注射を忘れ、ディナは意識を取り戻し、自分が置かれた立場を理解しました。そこへ偶然にも、警察官が彼女を相手にしようと来たのです。警察官は、ディナがクメール人であり人身売買の被害者であることを知ると、彼女を逃がす助けをしました。彼はディナの髪を短く切り、あたかも男友だちのように彼女に腕をまわして売春宿を脱出しました。
 その後、警察官は、ディナをタイ密入国の罪で逮捕して拘置所へ送り、ディナはそこで3ヵ月間を過ごしました。ディナはカンボジアへ戻され、2002年のクリスマスの日にカンボジア女性緊急センターへ送られました。彼女は、家に帰る準備ができるまでセンターで過ごすことになっています。つらい過去を克服するにはまだ時間がかかりますが、彼女は毎日少しずつ回復し、つらい記憶はだんだんと薄れてきています。

(注) カンボジア女性緊急センター(Cambodian Women’s Crisis Center:CWCC)は、女性に対するあらゆる暴力をなくすために活動し、ジェンダーに基づく暴力の被害者や彼女たちのこどもを支援しています。センターは特に、家庭内暴力、レイプ、人身売買の被害者のために活動しています。2003年、ユニセフの支援により、シソフォンに2つの建物を建設しました。そのための用地もユニセフの支援で確保されました。これは、安全なシェルターの提供を通じて、少女たちを人身売買の被害から守り、保護するというCWCCのプロジェクトの一環として行われました。経済活動が伴えば、社会復帰もよりうまく進みます。一つの建物は寮として使われており、もう一つが職業訓練の授業に使われています。建物は私有の安全な場所に建ち、そこに住む女性たちの安全を十分に確保しています。

【背 景】

カンボジア政府は、子どもの人身売買と搾取を阻止し、危険にさらされている子どもを保護することを確約していますが、政府の能力の限界を超えています。政府には、より多く、保護と防止策、早い段階での介入を実施するよう、大きな圧力がかかっています。しかしそれが実施できないのは、単に政府に、そうした対策を提供するための知識や専門技術、経験が足りないからです。そこでユニセフ・カンボジア事務所は、カンボジア政府が、子どもの権利条約の締約国としての責務を果たせるよう支援してきました。

ユニセフは、社会福祉制度の拡大と子どもの法的保護を促進するように働きかけています。これは、社会福祉に関する問題について政府職員に研修を行ったり、人身売買や搾取の被害者の救出、回復、社会復帰を支援するNGOに対する支援などを含みます。ユニセフはまた、人身売買と搾取の防止および早期介入戦略に焦点をあてており、子どもの保護ネットワーク、青年・子ども達自身の活動、特別な保護を必要とする家庭への支援、意識向上などの活動を進めています。この支援の重要性は強調しすぎといわれることはあり得ません。なぜなら、カンボジアでは2000人もの女性と子どもが性労働者として売買されていると推定されており、さらに多くの人がカンボジアからタイへ売買されていると言われています。子どもたちは、だまされ、欺かれ、そして目的国へ送られる前に売られていきます。バンコクの路上で、買春の犠牲となり、物乞いをさせられ、花や土産物売りとして働かされます。物乞いのための人身売買はお金になる取引で、国境を越えた子どもの人身売買の多くがこのケースです。ケースによっては、人身売買者は子どもの家族と契約を交わしており、子どもを人身売買者に「貸し出す」代わりに定期的に収入を得ます(1月平均35米ドル)。人身売買の対象になった子どもは、残りの家族を養うことになります。人身売買を防止するコミュニティレベルでの努力が、これらの問題を減らし、家に帰った子どもたちが再び路上に戻らないようにするために重要です。また、子どもたちが、家族を助けられないという罪悪感を感じて、再び人身売買の対象になったりしないようにするためにも必要です

2004年2月17日
カンボジア・プノンペン(ユニセフ)

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