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カメルーン:HIVと共に生きる女性のための社会ネットワーク【2009年1月14日 カメルーン発】
ジャクリーンさんは、二間しかない家のぼろぼろになった長いすに座っています。この家で、彼女は、たったひとりで二人の子どもを育てています。年齢は32歳。HIVと共に生きるジャクリーンさんは、エイズで娘をひとり亡くしました。5歳の息子、ギオウム君もまた、HIVと共に生きています。 「南アフリカからここに戻ってきたとき、私の娘はいつも熱を出していました。お医者さんや、薬草の先生に見てもらいましたが、何も効き目がないようでした。娘が亡くなるとすぐに、私も体調を崩しました。」と、ジャクリーンさんは話します。「HIV感染検査を受けたところ陽性でした。すぐに治療を受け始めました。自分の体の具合が良くなってきたらすぐに、今度は息子のことが心配になりました。」 息子の健康を心配し、地元の診療所から最低限の治療を受け続けること数ヵ月。ジャクリーンさんは、ユニセフが支援しているチャンタル・ビヤ基金へ行くことを決意しました。テレビで宣伝されていたのです。 「初めは、不衛生な水と貧しい食事といった環境の変化が原因だと思っていました。でも、夫と息子が共にHIV感染検査を受けたところ、家族全員がHIV陽性であることが分かったんです。」ジャクリーンさんはその当時のことを思い出します。 幸運にも、下の娘、アレクシスちゃんは、検査の結果、陰性だと分かりました。アレクシスちゃんは、ジャクリーンさんが母子感染予防治療(PMTCT)を受け始めてから産まれた子なのです。 治療が希望を生むギオウム君が、最終的に無料の治療を受けることができるようになったのは、チャンタル・ビヤ基金のおかげでした。ジャクリーンさんが、ユニセフが支援するHIVと共に生きる母親のためのアドボカシー・グループの代表であるジュヌビーブさんに出会ったのもここでした。 このグループは、30人のボランティアスタッフのネットワークで、HIV/エイズの影響を受けている家族に、心の面でのセーフティネットを提供し、HIVと共に生きるにあたって直面する数々の困難に対処する手助けをしています。このネットワークは、2003年に、この組織に所属する医師の助けを借りて発足しました。この医師は、医療ケアだけではHIV感染者たちが直面しているひどい偏見や差別を取り除くことはできないと思ったのです。 ジャクリーンさんは、母親を亡くしてから、自分が抱える数々の問題を共有することができる人がいなくなったと言います。ジャクリーンさんの夫は、彼女が二人目の子どもを妊娠した後、国外へと出て行き、いなくなりました。 「ジュヌビーブに隠しごとはできないわ。ジュヌビエーブは私の姉のようなものよ。」ジャクリーンさんは話します。 偏見や差別の克服ボランティアは、定期的に各家庭を訪問します。家族に見捨てられた人々の「家族代わり」となることもしばしばです。 「私たちは、みなさんが健康に暮らせるようアドバイスを提供しています。HIVと共に生きる人々に、人生を前向きに生きるようアドバイスしています。母親たちに、どのようにHIVと共に生きて行けばいいのかアドバイスしたり、どうやって親戚に打ち明けたら良いか、またどうやって偏見や差別を克服したら良いかについて話したりしています。」 ボランティアグループは、女性に社会的なネットワークを提供すると共に、強い目的意識を与えています。ジャクリーンさんは、現在、患者として、また新たにHIVに感染した母親たちに助言するカウンセラーとして、二週間に一度、病院を訪れています。 カメルーンには、推定4万5,000人のHIV陽性の子どもたちがいます。こうした状況の中、治療を拡大し、改善するために、特に農村部ではやるべき課題が山積みされています。ユニセフは、チャンタル・ビヤ基金のような組織が、ジャクリーンさん一家のような女性や子どもたちが必要としているサービスを提供できるよう支援しています。 |