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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

教育が難民の子どもたちを苦しみから救う
<チャド>

image2 過去18カ月の間にチャド東部に避難した何千人もの幼い子どもたちは辛い経験をしました。サルワはそんな子どもたちのうちの一人です。

 「私の住んでいた村は1年前、ジャンジャウィード(アラブ系民兵組織)に襲われました。村人たちは四方八方へ逃げ回り、運のいい人はなんとか逃げ出せたけど、たくさんの人が殺されてしまったのです。私は近所の人たちと逃げました。お父さんとおじさんは殺され、お母さんとお兄ちゃんたちのゆくえはわからないままです。」

 どのように襲撃が始まったか覚えていますかと尋ねると、サルワはうなだれながら答えました。「ジャンジャウィードは市場で略奪を始め、村にきては人々を銃で脅して、食べ物や家畜を奪っていったのです。すぐに大人たちは村を守るため戦い始めました。すると、ジャンジャウィードは馬や車、飛行機で戻ってきて、人々を撃ち始めたのです。」

 「ジャンジャウィードは若い女の子たちを捕まえて、連れ去ってしまいました。3人のいとこたちも茂みの中に無理やり連れて行かれてしまいました。お年寄りをはじめ、逃げ遅れた人は全員、殺されてしまったのです」

 パニックの状態の中で、サルワは近所の人たちと逃げたために、家族との連絡が途絶えてしまいました。サルワたちのグループはスーダン国境から数キロメートル、チャド内部に入った地に落ち着きました。毎日必死で生きていましたが、数週間後、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の助けでチャド内部にさらに100キロ入ったジャバル難民キャンプに移動することになりました。2004年8月初めのある日のことです。サルワがキャンプにいることを知らないサルワの母親と7人のうち5人のきょうだいが偶然同じキャンプにやって来ました。

 再会したサルワの家族は、よく整備されたジャバル難民キャンプにある何千ものテントのうちの一つに一緒に住むようになりました。キャンプでは水や教育、質の高い保健サービスにアクセスすることができます。9月のはじめ、サルワの母親マリアムはかわいい女の子を生みました。「ここでの暮らしは平穏です。私は学校が大好きだし、まだ故郷へは戻りたくありません」とサルワは述べました。

 アワは16歳です。ジャバル難民キャンプに到着する前は、学校へ行くことができませんでした。ダルフールにあるアワの村は、一番近い学校でも15キロも離れていたのです。お父さんはアワがまだ7歳のときに亡くなってしまいました。

 「私は畑で毎日働かなければならず、キビやレディーズフィンガーを栽培していました」(レディーズフィンガーは指のような形の実がなる植物で、サハラ砂漠南縁にあるサヘル地域でよく作られている野菜です)なぜ村から逃げてきたのですかと尋ねると、アワは答えました。「ジャンジャウィードが村を包囲して、周辺の丘の上から爆撃したり、村人たちを追いかけ回したりしました。私はお母さんと逃げていましたが、弾丸が後ろからお母さんにあたってしまったのです」

 アワは服だけ持って、村から逃げ出しました。一週間ほどかけて、アワとお兄さんは、おばあさんと2人の弟たちを助けながら、暗いなか国境を越えました。

 ダジャバル難民キャンプには、2,233人いる小学生のために3つの小学校があります。アワと兄弟たちは困難な状況にもかかわらず、ユニセフとキャンプにいるNGO団体INTERSOSの人道援助職員の支援によって基礎的な読み書き能力を勉強する機会が得られたことを喜んでいます。

 モハメッドは2003年8月のダルフールでの紛争で父親を亡くしました。モハメッドはスーダン西部にあるムクジャール村の出身です。一家が逃げざるを得ない状況に追いやった悲惨な出来事を覚えていますかと尋ねると、モハメッドは空を見上げ、飛行機が村を空爆するときのことを覚えていると答えました。モハメッドはお母さんと8人のきょうだいたちとチャド東部に逃れてきました。逃亡生活の一年間、学校へ行くことができませんでした。しかし、2004年5月にダジャバル難民キャンプに到着すると、モハメッドは小学校の勉強を再開することができました。今は、ダジャバル難民キャンプにある小学校に通う2,233人の子どもたちのうちの一人です。

 難民の子どもたちはみな、故郷や家族、友だちと離ればなれになってしまったトラウマ(心的外傷)に苦しんでいます。誰にとっても口にしたり、乗り越えることがとても難しい、恐ろしい残虐行為を多くの人々は目撃しました。教育やレクリエーション活動は、サルワ、アワやモハメッドのような子どもたちの心のケアに大変役立っています。ユニセフとその協力者たちは、すべての難民の子どもたちが安全で楽しい教育センターを利用することができるよう、その設立に全力をあげています。

 難民のおよそ40%は就学年齢児の子どもたちです。2004年8月には2,262人の子どもたちが初等・中等教育を受けていました。「3カ月間緊急計画」の一環として、ユニセフはチャド東部にある9つの難民キャンプのすべてに、幼い子どもたちや小学生、若者向けの空間を作ることができるよう、必要な資材や訓練を提供し、技術的な支援を行うことを約束しました。

 同時に、ユニセフは225張のテント、数千冊のアラビア語の教科書、ノート、マット、遊び道具、そして子どもたちが快適に安全に暮らすのに必要な物資を届けています。学校が正式に始まるのは2004年10月の第一週なので(キャンプではチャドの学校カレンダーを採用しています)、それまでに幼児センターや小学校が設置される予定です。またユニセフは、チャドのコミュニティで質の高い教育が保証されることに力を入れています。そのためキャンプの近くにある村の学校にも数週間のうちに教材を受け取る予定です。

 質の高い教育を受けられても、なくしてしまった親の愛や故郷にいるときの安心感の埋め合わせにはなりません。しかし、教育を通じて自分や家族の権利を守る能力を高められることが望まれています。

 チャドの難民生活で得た知識や生活の知恵をスーダンに持ち帰ることで、村を建て直したり、よりよい生活が送れるようになることをユニセフは願っています。

2004年9月22日
ユニセフ・チャド事務所

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