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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2003年7月30日掲載>

アヒルの親子:避難民の子どものためのセンター
<コートジボワール>

 コートジボワールの西部に位置するマンの街。この街を横切るデコボコ道の脇に古い建物が建っています。コロニアル風の建物の横壁にはカラフルな絵が描かれています。子どもたちが描いた絵です。

  2002年9月に反政府勢力が蜂起する事件が起き、国内の政情が不安定になるまで、この建物の運動場は、家族・女性・子ども担当省が運営する子どもの遊び場でした。

 しかし、今、この建物はコートジボワールのNGO「La Couveuse(ラ・クビューズ)」(保育器という意味)が運営する避難民の子どものためのセンターになっています。このNGOの創設者はグウェイ・イレーヌ。50歳台の元教師です。なぜ、ここを創設することになったのか、その経緯を聞きました。

 「その昔、この建物は荒れ果て、背の高い雑草が生えていました。避難民のお母さんの多くが、何かしらの収入を得ようと頑張っていたのですが、小さな子どもがいるとどうしても難しい。昼の間、子どもの面倒を見てくれる人がいないのです。子どもたちを育てるには収入が必要なのに、それができない。母親たちはそういうジレンマを抱えていました」

 こうした子どもたちが、道端で遊んでいるのを見て、耐えられなかったとグウェイは言います。子どもたちは、サッカーではなく、戦争ゲームをして遊んでいました。通りや市場で、自分たちの力だけで必死に生きようとする子どもたちの姿を見て、「避難民の子どもたちのセンターを作ることにしよう」とグウェイは思い立ったのだそうです。

 彼女自身、1997年の戦争で避難民になったのですが、それまで、ダロアにデイケア・センターを設置し、子どもたちに基礎教育を提供していたのだと言います。

 ユニセフは、ニーズ調査をした上で、ケア・センターとして必要な最低限の機器を6月に搬入しました。教材、マット、プラスチックのコップと皿、レクリエーション・キット、遊具、テニス・ボールです。この「支援」はとてもタイムリーだったとグウェイは言います。なぜなら、「私たちが、特別なケアを必要としている子どもたちの福祉と権利一般のためにやっていることを後支えしてくれるものだったからです」。

  NGOにはグウェイのほかに4人のスタッフがいます。予防接種班も作られているのですが、薬がないため、今のところ、まだ機能していません。

  世界食糧計画(WFP)からは米の配給もあります。それでも親たちは毎日100CFAフラン(20円程度)をセンターに寄付しています。これは、物不足があたりまえの環境の中ではなかなか買えない野菜や香辛料などを買うために使われます。

 センターでは対象となる子どもを3グループに分けて面倒を見ています。2〜3歳未満、3歳以上〜4歳、5〜6歳です。センターに来る子どもは、母親たちが子どもたちをこのセンターにあずける気があるかどうかや、子どもたちの健康状態によって変わります。

 「さっきまで103人いたと思ったら、24時間後には108人といった具合です。子どもたちは7:30にあずけられ、母親が迎えに来るのは午後6:30から7:00です」

 センターはゆったりとしており、小さなテーブルや椅子もあります。一番小さな子をあずかる部屋には、木の台に小さなプラスチックの容器を取り付けた幼児用トイレもあります。これは前からセンターにあったもので、小さな子どもたちの面倒を見るために役立てられています。

  NGOは毎日の食事のために、料理用のナベ2つ、マット、コップ、遊具を買いました。センターを訪問した方から5万CFAフラン(約9810円)の寄付があり、日常品と戦争によって破壊された部屋を修理することができました。

  グウェイとそのスタッフは、子どもたちが毎食後歌を歌ってくれるのを楽しみにしています。「マロ、モナン・ア・モナン。マロ、カディ・ア・カディ(「お米は火が良く通り、おいしい」)

 このNGOのマークはアヒルの親子です。「アヒルの親子を観察していると、母親は決して、子どもたちから目を離さない。うしろから子どもがついていくのではなく、子どもたちが前にいるんですよ」グウェイは言います。「前にいるならば子どもたちのことも見えるけれど、子どもたちが後ろにいたら何が起きているのか分かりません。ここでは、子どもたちは、ちょうどアヒルの親子と同じように、温かく見守られています」

2003年7月25日 ダカール(ユニセフ)

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