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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

エジプト:村初の学校が生活を変えた

【2007年7月3日 信濃毎日新聞掲載分】

© UNICEF/World Summit for Children 10/Sean Sprague

少女アワティフ・モズリーは、村で初めて学校がオープンしたときのことをいまだに忘れられません。

誰かがうちに来て、学校に通っていない子どもの名前を尋ねました。
母親がその人に自分の名前を告げるときを、彼女はとてもハラハラしながら聞いていました。
中東アフリカにあって、古代エジプト文明が発展したエジプトにあるベニシャラン村では、アワティフのような8歳くらいの少女は、それまで小麦畑での過酷な農作業か、家に監禁されているかのどちらかでしたが、ユニセフの支援活動の一環で、200近くの学校が、地域社会に建てられてからは少女たちが学校に通えるという希望が実現したのです。
しかしそれは、最初のうち、村の大半が乗り気ではなかったのです。
何人かの農民は、子供の安い労働力を奪われたとして不満をもらしました。
アワティフの義父でさえ「なんで女の子が勉強する必要があるのか?」と納得しませんでした。

幸いにも、学校を建てるために自分の土地を与えた、老商人のファルク・アブドル・ナムが 「私は女子教育は、男子教育より更に重要だと信じている」と伝えました。また、
「男の人は、自分の境遇から外に出ることができるが、女の人はそれができないでいます。
少女は、自分の人生を得るために、教育を受けなければならない」とも伝えました。

八年経ち、ベニシャラン村は、今では女子の学校教育に反対する人を探すほうが難しくなりました。

小売店店主オムアブドラジャビエさんは読み書きができないが、自分の娘には、学校ができるとすぐに通わせました。彼は、「娘のライアが学校に行くまで自分の店のお金の計算はめちゃくちゃだったが、娘が学校へ行きはじめて、しばらくしてから読み書きを、教えてくれるだけじゃなく、すべての帳簿を整理してくれたので助かった」といいます。

村では読み書きができない人が当たり前だったが、娘に教育を受けさせることが重要だという話は尽きることがありません。ほかには、お医者様の指示や肥料袋の説明書きに関してなどが突然わかるようになったり、テレビ番組の内容の意味がわかるようになったともいいます。

それからもっと重要なのは、子どもたちが、多くの大人たちのために、読み書きの授業を始めたのです。

アワティフは、建てられたばかりの学校で教育を受けたことから、2001年、国連子供特別総会の主要準備会議に参加するため、エジプトからウガンダの首都カンパラへ派遣されました。

彼女は初めての海外旅行で興奮したことを覚えていて、更に会議での重要な立場の一人としての責任感も感じたといいます。
「もし、私が学校に行っていなかったなら、こんなチャンス、私には巡ってこなかっただろう。」と話しました。

多くの人の目が世界に向けられ、多くの地域社会に関心を持ってもらえたなら、少女の生活の変化の重要性が、大げさなものではないということがわかるでしょう。

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