<2004年9月13日掲載>
パレスチナの子どもたちのサマーキャンプ
<ヨルダン川西岸とガザ地区>
蒸し暑いある夏の日、ユニセフの支援する100のサマーキャンプのうちのひとつを訪れるために、私たちは朝早く国連の車に乗り込みました。このキャンプがあるアズーン・アトメ村は、ヨルダン川西岸北部のパレスチナ人の住む町、カルキリヤから15キロにある、小さいけれど風光明媚な村です。
樹齢数百年にのぼる深緑色のオリーブの木々の中、起伏に富む、曲がりくねった道を走り、黄色い、大きな門の前で車は止まりました。アズーン・アトメに入ろうと門に近づいたとき、左側にある“シアル・イクバ”と呼ばれる入植地に気付きました。“シアル・イクバ”とは「希望の門」という意味です。私たちはすぐにチェックポイントに立つイスラエル兵士に国連の身分証明書を見せましたが、どうやら問題があるようだったので、車のドライバーがユニセフのセキュリティー担当者に連絡をとり、助けを求めました。彼が仲介に入ったおかげで、45分後、私たちはついに門を通りぬけて、ユニセフが支援するサマーキャンプが開催されている学校にたどりつくことができました。
「ユ、ユ、ユ。ニ、ニ、ニ。セフ、セフ、セフ。ユニセフ、ユニセフ、ユニセフ。パチ・パチ・パチ…(拍手の嵐)」サマーキャンプの子どもたちは、こんなふうに私たちを出迎えてくれました。このキャンプを訪れたのは10日前に引き続いて2度目だったので、子どもたちも大喜びで私たちを受け入れてくれました。車を降りると、100人を超える6歳から12歳の子どもたちが私たちを取り囲んで、歌いつづけます。「ユ、ユ、ユ。ニ、ニ、ニ。セフ、セフ、セフ。ユニセフ、ユニセフ、ユニセフ。パチ・パチ・パチ…」
少しすると、私たちはアリが友だちと一緒にボールを蹴っているのに気がつきました。アリは有名なサッカー選手になることを夢見ている10歳の男の子です。大きな赤い頬と黒いひとみのアリは見るからに楽しそうな様子です。校庭の反対側では、10人以上の女の子が色とりどりのフラフープを使って2人1組になって遊んでいました。音楽に合わせてペアになって踊り、満面の笑みをたたえながらハミングをしています。ユニセフの帽子をかぶった8歳の女の子が、くるりと振り返って言いました。「来年の夏もまた私たちのところに来てください。こうやってまた楽しく遊べるように」
たくさんの子どもたちが紛争という現実から離れて元気に笑い、楽しい時を過ごしている様子を見るのは、素晴らしい体験でした。
このサマーキャンプは、ヨルダン川西岸の北部にある多くのパレスチナの村のひとつ、アズーン・アトメで開かれた初めてのキャンプです。黄色い門は、子どもたちも含めて、村の住民の移動を制限するためにイスラエル軍が設置したものです。子どもたちは、ヨルダン川西岸の他の地域−一番近いカルキリヤの町へ行くことさえ許されていません。サマーキャンプのリーダー、アーメッドは言いました。「先週動物園に遠足に出かけましたが、多くの子どもたちにとっては特別な機会となりました。移動が制限されているので、カルキリヤの町へ行くのはこれが初めてだったからです」
2004年、ユニセフは100カ所のサマーキャンプを支援し、17,000人の子どもたちがキャンプに参加しました(パレスチナ自治区には約180万人のパレスチナの子どもがいます)。サマーキャンプには2種類あります。ひとつは12歳から18歳の子ども7,000人を対象に50カ所で行われる青少年サマーキャンプ。環境保護をテーマに、青少年が自分たちを取り巻く環境を保護し、改善していくために必要な態度やスキル、行動を学びます。残りの50カ所のキャンプでは、6歳から12歳の子どもたち約1万人を対象に、レクリエーションやドラマ、ダンス、音楽、そして外出禁止令や居住地区の封鎖などのためにかけがえのない学校生活を失った子どもたちのための心理療法をとり入れた教育が行われます。
わずか24米ドル(2,736円)※で、パレスチナの子どもひとりが2週間のサマーキャンプで楽しい時間を過ごすことができます。サマーキャンプは、今日も続く紛争からパレスチナの子どもたちを守ると同時に、彼らに希望を与え、毎日の生活に平穏な日常の感覚を取り戻させることができます。サマーキャンプは、大きな変化をもたらす鍵なのです。
※1米ドル=114円として計算
2004年8月27日
ユニセフ・エルサレム事務所
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