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南オセチア自治州での武力衝突で、多くの子どもたちが影響を受ける【2008年8月19日 グルジア発】
南オセチア自治州をめぐり勃発したグルジア国内での武力衝突。首都トビリシの幼稚園の庭では、様々な年齢の子どもたちが遊んでいます。南オセチア自治州周辺の武力衝突があった地域から避難して24時間以上。この子たちの中には、いまだに建物の中に入ることを恐れている子どももいます。 ギオルギ・ジェビサシュビリ君(4歳)は、近くで爆撃が起こったとき、ゴリ市の教会で洗礼を受けていました。洗礼式が終わり、父親が子ども二人と一緒に外に出たとたん、教会は火に包まれ、爆発音が鳴り響きました。 「お母さんが一緒にいればと思いました」ギオルギ君の姉ニノさんは、その時のことを振り返りながら言います。「お父さんはすぐに私たちを車に押し込んでその場から逃げ出しました。そのあとのことは何も覚えていません。」 奇跡としか言いようがありませんでした!二人の母親、ジナイダ・ジェビサシュビリさんは、メドブリスケビ村の自宅で、テレビのニュースを見ながら、家族の帰りを待っていました。ニュースで、ゴリが砲撃され、軍の基地近くの教会が爆撃されたと伝えられました。 「私は半狂乱で外に出て、近所の人々に助けを求めました。二度と夫と子どもたちには会えないと思いました」とジナイダさんは、涙ながらに話します。「でも、まもなく、夫の車が視界に入って・・・それはもう奇跡としか言いようがありませんでした!そのあと、軍のヘリコプターが上空にやってきて、村への砲撃が始まりました。そこで、トリビシへ避難してきたんです」。 ジェビサシュビリ一家は、トリビシのポニチャラ地区にある幼稚園に設けられた一時避難所に避難しました。 国際社会に対し650万米ドル(約7億1,000万円)の支援を要請16万人近くの人たち——その多くが女性と子ども——が、グルジアの南オセチア自治州周辺で起きた武力衝突の影響を受けています。多くの人が亡くなり、あるいは負傷しました。
ユニセフは、武力衝突の影響を受けている人たちがいる地域に、人道支援が送り込めない現在の状況に深い懸念を示しています。ユニセフは、避難民の子どもたちやその家族に支援の手を差し伸べるため、国際社会に対し650万米ドル(およそ7億1,000万円)の支援を要請しています。 グルジアでは、推定12万8,600人が避難を強いられ、幼稚園、学校、公的施設など170カ所に設けられた一時避難所に避難しています。しかし、その多くで、トイレ、飲料水、電気などが利用できない状況です。ユニセフは、支援を要する地域にいる4,000人以上の人たちに、栄養と衛生のための物資と浄水剤を配布しました。また、ユニセフは、スクール・イン・ア・ボックスとレクリエーション・キット、生活必需品が入ったファミリー・キット、水と衛生用具などおよそ6,000世帯分を空輸する予定です。 ロシア側には、3万人—-うち80パーセントは女性と子どもたち——が国境を越えて、北オセチア共和国、その他の地域に入ってきています。ロシア緊急支援省(EMERCOM)は、56のセンターで、避難民のための緊急支援活動を行っています。 北オセチア共和国の一時避難所南オセチアの州都ツヒンバリから来たイルマ・ジャナエバさんは、他の親戚が現地に留まる中、2歳の息子を連れ、村から逃れることができたのは「奇跡だった」と言います。二人は今、ロシアの北オセチア共和国の首都ウラジカフカスにいます。学校に設けられた一時避難センターでの避難生活です。 避難前、ジャナエバさんと息子のサルマット君は、爆撃が続く中、食べ物も生活必需品もないまま、何日間も地下室で過ごしたと言います。サルマット君は、その時、心に大きな傷を負ったようです。ジャナエバさんによると、サルマット君は、彼女から離れようとせず、よく泣き、あまり良く寝ることもできないのだそうです。 「とても情緒不安定で、神経質になっています」とジャナエバさん。「医者に診てもらう必要があります。」 子どもたちに心理的なケアが必要
サルマット君の話からも分かるように、子どもたちの心理社会面でのケアが緊急に求められており、ユニセフの最優先課題のひとつとなっています。 ローランド・ミンディアシュビリさんと妻のマヤさんの3人の子どもたち—ファティマさん(11歳)、ミラナさん(8歳)、カツゥナさん(6歳)——は、南オセチア自治州のケメルチ村を避難しようとしたとき、激しい爆撃に遭いました。 車で逃げているときの一家の様子を母親のミンディアシュビリさんは、次のように語りました。「一機のヘリコプターが私たちの後を追ってきました。私たちが砲撃対象かと思いました。子どもたちは車の窓からいくつもの家が吹き飛ぶところを見ていました。そして・・・私にこう聞いたんです。『爆弾が車に落ちてきたら、死んじゃうの?』と」。 長女のファティマさんは、この時のことを考えないようにしていると言います。「妹たちはいまだに夜眠れないようなんですが・・・私は、そういう妹たちの手本にならなければと思っています」。 再建に必要なもの、それは平和首都トビリシの元財務省本部の空き部屋に、ミンディアシュビリさん家族、そのほかの避難民たちは避難しています。しかし、そこにはベッドもマットレスもありません。(ユニセフ・アルメニア事務所が提供した100のベッドがトビリシの4つの避難所に届いているのですが、ここには届いていないのです。)ミラナさんとカツゥナさんは靴を履いていません。持っていないのです。服も汚れ、家族全員分の食糧が十分に確保できるのかどうかも分かりません。 それでも、彼らが言うように、爆撃の中を生き延びることに比べればまだマシなのかもしれません。爆撃が終わった今、彼らは故郷に戻りたいと思い始めました。 「家がどんな略奪に遭い、どんなに燃やされたり、破壊されたりしていても、家に戻りたいと思います」と母親のマヤさん。「いまは、生きていることがどんなに幸運なことが分かります。私たちには助けは必要ありませんが、自分たちの生活が取り戻せるよう平和が一刻も早く訪れてくれることを願います。」 |