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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

西ベンガルからの手紙:ユニセフが実らせた成果
<インド>

肌にジリジリくる暑さ、体に染み込む湿気。まだ夏は先だというのに…。コルカッタの北220キロのムルシダバード地区に私はいます。ここには、流れの激しいパドマ川から水を引き込んでできた、まぎれもないエデンの園があります。マンゴー、ココナッツ、ジャックフルーツがたわわに実を結び、人を誘惑します。
これだけの恵みを抱えていながら、ムルシダバードの赤ん坊や子どもの40%はいまだに栄養不良の状態です。私はユニセフ職員である同僚のジャヤとスガタと一緒に、ムルシダバードの州都ベランプールの西10キロを、埃だらけの道や線路をたどりながらラジャプール・シャンティ・メロニ・クラブに到着しました。ここはアンガンワディ(早期幼児ケア)センターの一つです。ここで会ったのが20歳のリナ・ハズラさん。はつらつとした若い彼女は、てきぱきと卵や野菜を切り刻んで、蒸した米とレンズ豆が入ったナベに入れ、キチディ(栄養たっぷりのインド風リゾット)を混ぜています。ジャックフルーツの木の下で、彼女は料理教室を開いているところなのです。集まった6人ほどの若い母親たちに、自宅の庭になっているフルーツや野菜を利用する方法を教えています。おかあさんたちの腰や脚のまわりには、小さな子どもたちがまとわりついていて離れません。「オレンジ、緑、白の野菜をいろいろ入れてみましょう。これは子どもたちにとって栄養がある野菜ですから」彼女は言います。

ひとりの若いお母さんにインタビューをしてみました。リタ・モンドン、25歳、妊娠7カ月です。18カ月になる息子パパイがリナのセンターに通っています。4カ月前、パパイが最初にセンターに来たとき、体重は6.3キロしかありませんでした。2回の料理教室の後で測ってみると(1回の料理教室は毎月12日間にわたって行われ、毎日子どもの体重が測られます)、パパイの体重は7キロにまでなっていました。体重・身長表の「赤い」危険地帯からは抜け出すことができましたが、「緑」の安心地帯までにはまだしばらくかかりそうです。パパイの年齢ならば8キロはないといけないのです。リタは、この料理教室に参加する以前は、野菜をパパイに与えたことがありませんでした。

料理を教え終わったリナは、今度は、別のことをお母さんたちに教えていました。衛生、発育観察、料理の重要性について、そして、村の小さな子どもたちにとって、いかに遊びが大切かということを教えていたのです。

ムルシダバードを視察している間、私たちは、ユニセフがいろいろなプロジェクトを実施し、それが相互にうまくつながっているのだということを知ることができました。衛生用品の市場では、女性のトイレ製造職人たちが、衛生について勉強しているところを見ましたし、新しいトイレの納入先の学校にも行くことができました。その次に見たのが中学校で、若い女の子たちに鉄分の錠剤が配られていました。これは彼女たちがやがて子どもを産む年齢になったときに、健康な体でいられるようにと行われているプロジェクトです。最後に訪れたのが、親と村委員会、そして州政府が一緒になって運営している正規外学校でした。授業は竹やぶの下や畑の真中で行われます。正規の学校が遠いために通えない子どもたちが、こうした学校に来ているのです。
ジャヤ、スガタと私は、ほかの2人のユニセフ職員、スーメンとジェロームと落ち合い、地区の行政官であるパント氏の洒落た事務所に向かいます。彼は、ユニセフが西ベンガルで頼りにしている州の役人で、主要なカウンターパート(事業のパートナー)です。西ベンガルでは、都市部の47%、農村部の57%の人たちが貧困ライン以下(1日の収入が1米ドル未満)の生活をしています。パント氏は、ムルシダバードの人たちが、自分たちの力で立ち上がるのを熱心に応援しています。彼は、ムルシダバードのカリスマ的なリーダーなのです。
「ユニセフと一緒に、洪水の際にどういったことをしたら良いのか、村人たちに計画の立て方を教えています。でも、本当の被害は、すでにもう毎日のように起きているのです。そう、栄養不良は毎日のように起きている災害のようなものです。衛生の問題も、ポリオもそうです」まさにパント氏が言うとおりです。

衛生用品市場、学校、公衆衛生センターを早足で巡りながら、私はパント氏が言った、「人々は自分たちのためにやっているんです」という言葉を思い浮かべました。疾病の防止、出席率の向上、妊産婦死亡率を防ぐための若い女性たちへの鉄分の錠剤配布、住居と食糧の安全確保だけでなく、子どもの保健と教育の安全確保のためのコミュニティを中心とした被害に対応する準備計画まで…。彼の言葉にウソはありませんでした。「普通の人が子どもたちのために、プロジェクトの立案やそのほかのことに夢中になっているのを見ていると、すごく感動的です」

最後の視察場所は、バグバザールの駅です。汚らしい運河沿いに、粗末な住居がひしめき合うようにして立ち並んでいます。ここには、鉄道のプラットフォームで生きる子どもたちの面倒を見ている地元のNGO“OFFER”が運営する「ブリッジ」という学校があります。教室は4区画に区切られて、幼稚園生から8年生までが学んでいます。スレート(小型の黒板)に絵や文字を書いている子どもたちを見ると心を動かされます。教室は整理整頓されていて、訪問者が来ても、子どもたちは気をとられることもなく、勉強しています。でも、こうした学校は学びの第一歩に過ぎません。ユニセフの子どもの保護事業官であるカリンは、NGOとの調整役としての仕事について説明してくれ、ここにいる子どもたちも、ほかの州の子どもたちと同じ内容を学んでいることが大切なのだ、と言います。子どもたちがプラットフォーム生活をやめ、学校に入ったとき、その可能性には、本当にびっくりさせられます。昨年、1,570人が正規外の学校に入学しましたが、そのうちの589名が普通の学校に通うことができるようになったのです。正規外の学校では、保健の授業も、職業訓練も受けるチャンスがあります。こうしても見ると、成功例は多いようですが、やらなければならないことも、また、多いのです。

あなたがここにいたならば…と思います。

ヤスミン

ユニセフが支援する「ブリッジ」という鉄道プラットフォーム・チルドレン用の施設。 コルカッタのみすぼらしいスラム街に帰っていく2人の子ども。彼らはユニセフが応援する「ブリッジ」校に通っている。
バグバザール鉄道のみすぼらしいスラム街。鉄道プラットフォーム・チルドレンが多く住んでいる所だ。ユニセフが応援する「ブリッジ」という学校に通っている子どもが多い。

ムルシダバード地区、西ベンガル、インド 2003年5月10日(ユニセフ)
コミュニケーション・コンサルタント ヤスミン・ザマン

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