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≪2005年1月18日信濃毎日新聞掲載分≫ 津波の悲劇経験“心の傷”に
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スマトラ沖地震の津波で、インド国内の被害者数が最大規模と報告されたカニャークマリ地区にある被災者キャンプで、妹のブレンダと遊んでいる兄プラーディンは楽しそうにみえます。
プラーディンは、配給される食事や、手狭な避難民キャンプ、トイレでの待ち時間にも不満を口にすることはありません。この兄妹が、支援者から送られた洋服を着てキャンプ内の校庭を走る姿からは、かつての日常を取り戻したかのような印象を受けます。
別の被災者キャンプでは、料理に使う薪で子どもたちがクリケットをしています。彼らにとっては、こうしてゲームをできること自体が生きている喜びだと言えるでしょう。津波がもたらした悲劇を連想させる故郷の村から離れて暮らすため、子どもたちは安心しているように見えます。
プラーディンに家に戻りたいかと尋ねると、表情を曇らせ「海や運河が怖いんだ」と答えました。彼の家の近くには運河がありました。津波のとき、安全な場所を求めて逃げまどった人々の中には運河の中に転落し、そのまま津波に流された人もいました。何百体もの遺体がその運河でみつかり、そこには彼と仲の良かったジョセフもいました。その悲劇を話すプラーディンの顔は悲しそうに曇ったまま。ブレンダに呼ばれると、その話を避けるように、遊びの輪に入るため走り去っていきました。
遊んでいるときの子どもたちは屈託なく、安心しきっているようにみえます。しかし恐怖は後からわき上がってきます。「波が押し寄せ、僕を飲み込んでしまう。海の近くには住めないんだ」と話した子も、プラーディンと同じく漁師の家の子どもです。
彼らにとって心地よく聞こえた海の音が、いまや恐怖を呼び起こす音になってしまったのです。あの津波以降、子どもたちが内向的になったり、夜、うなされるようになったと訴える親も少なくありません。ある子どもの母親は「津波でいとこを失ってからめっきりおとなしくなり、何時間も考え込むようになった」と話します。
被災者キャンプで暮らす多くの子どもたちが津波を間近で目撃し、肉親や友人を亡くしました。このような子どもたちの大半が、生まれて初めて死を身近に経験しています。カニャークマリ地区にある病院の医師は「トラウマを癒やせる唯一の手段はカウンセリングだ」と話しています。
現在、ユニセフでは負傷者へのケアと並行して、すべての被災者の“心の傷”を癒やすために、地域ごとにカウンセラーと教員の研修を行い、心理的なケアができる環境作りに取り組んでいます。
【緊急募金のお知らせ】
日本ユニセフ協会は、スマトラ沖地震・津波による被災地域でのユニセフ活動を支援するための募金を受け付けています。同募金は寄付金控除の対象となります。郵便振替口座:00110-5-79500、財団法人日本ユニセフ協会
(通信欄に「スマトラ」と明記、送金手数料は免除扱い)。 協会のホームページ(https://www.unicef.or.jp)からも申し込めます。