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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

ケニア:暴動の傷跡−家族と離れて暮らす子どもたち

【2008年9月16日 ケニア発】

グレイス・ムンビちゃん(14歳)は、ケニアのモロ町で、家族と離れて暮らしている何百人もの子どものひとりです。
© UNICEF Kenya/2008
グレイス・ムンビちゃん(14歳)は、ケニアのモロ町で、家族と離れて暮らしている何百人もの子どものひとりです。

グレイス・ムンビちゃん(14歳)は、5人兄妹の一番下。彼女の両親は、ケニアのリフト・バレー州にあるリロニで農業を営んでいます。グレイスちゃんは、しかし、セントメアリー小学校の同級生と異なり、学校の終業日を迎えても家族の待つ家に帰りません。グレイスちゃんが、モロ町にある一間だけの家で一人暮らし始めてから、もう3ヵ月になります。

2007年12月の大統領選挙に端を発し、ケニア全土に広がった暴動によって多くの人が長年住みなれた家を追われました。ケニア政府が、そうした人々の再定住支援を始めて以降、リフト・バレー州では、何百人もの子どもたちが、両親と離れ、厳しい環境の中に置かれています。グレイスちゃんも、そんな子どもたちのうちの一人です。彼女が最後に両親に会ったのは3ヵ月前。家族がモロ町から10キロ離れたリロニに帰還する時、グレイスちゃんの両親は、彼女にモロに残るように言いました。

グレイスさんの両親は、グレイスさんをモロ町に残し、リロニに帰還しました。
© UNICEF Kenya/2008
グレイスさんの両親は、グレイスさんをモロ町に残し、リロニに帰還しました。

グレイスちゃん一家は、暴動を避けモロに避難していた数千世帯の一つ。政府は、こうした人々を元の居住地に帰還させるよう、「ルディ・ニュンバニ(帰還)」と呼ばれる施策を実施しました。

モロ町をはじめとする都市部から、多くの人々が元住んでいた場所に戻りました。しかし、同時に、多くの人々が、子どもたちを都市部に残すという選択肢を選びました。

「農村には、食べ物も学校もありません。子どもたちが生活できる環境が無いんです。」と、グレイスちゃんの父、マチャリアさんは言います。「グレイスは、この町に残る方がいいのです。この町の方が安全ですし、学校にも通えます。」

学校が抱える「重荷」

ユニセフは、ケニアキリスト教会協議会(NCCK)と協力して、モロ町で両親と離れて暮らしているグレイスちゃんのような状況におかれているおよそ800人の子どもたちを調査しました。

「親御さんたちは、一様に、再定住地域の安全性が一番心配だと言います。そして、全焼し破壊されてしまった学校の問題も指摘しています。」NCCKのスタッフの一人は、こう話しました。

「暴動が起こる前、生徒数は1,450人でした。でも今は、2,500人になっています。」と語るのは、モロ町のセントメアリー小学校のローズ・ンジョーラ校長。子どもたちの多くは、食べものや家を借りるためのお金も満足に持たないまま、両親と離れて暮らしています。

「何日も食べずに学校に来る子どもたちのために、いつも事務所にお茶とパンを余分に用意しています。中には、学校に来るなり、気絶しそうになる子どもたちもいます。」(ンジョーラ校長)

ユニセフは、こうした学校の負担を少しでも軽減するため、支援を継続しています。「ユニセフは、せめて授業が滞りなく進むよう、教科書や、筆記用具、時に机などの物資を提供しています。」(ユニセフ・ナクル事務所 パレ・クリスチャンセン教育事業担当官)

ユニセフとNCCKは、また、子どもが単身で住む世帯を継続的に訪問し、必要な支援を提供できるようにするため、ボランティアの組織化や、指導・支援に関する研修を開始しました。

「私たちのボランティアは、毎日、1日2時間、子どもたちを訪問するようにしています。うち1時間は、スポーツのような活動を広めるため、もうひとつは子どもたちの日々の生活の様子を見るためです。」(ユニセフ・ナクル事務所 ディア・ンジョホン子どもの保護事業担当官)

こうした活動は、子どもたちが家族の元に帰れるようになるまで、続けられる予定です。

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財団法人日本ユニセフ協会では、ケニアなどアフリカの子どもに対するユニセフの緊急援助を支援する「アフリカ緊急募金」の受付を行っています。皆様のご協力をよろしくお願い致します。

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