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一見、刑務所を思わせる”壁”。しかし、それが延々と続く異様な光景は、初めて見た者の心の中に一言では説明しきれない複雑な感情を引き起こします。国連が”バリア”と呼ぶその構造物の一方には分断された町に分断された家族が住み、その反対側には瀟洒な建物が並ぶエルサレム郊外の光景。アグネスさんが、パレスチナ自治区訪問1日目に目にしたものは、文章や映像だけでは感じ取ることができなかった、パレスチナ自治区の現状でした。 アグネス・チャン日本ユニセフ協会大使は、ユニセフ・パレスチナ自治区事務所の要請を受け、現地時間11月4日(日)から7日(水)までの4日間の日程で、ガザおよびヨルダン川西岸のパレスチナ自治区を訪問。長年にわたって子どもや女性たちが紛争や暴力に晒されている地域を訪れました。
訪問2日目の5日(月)、アグネス大使は、ガザを訪問。かつて多くの人が日々”出稼ぎ”に朝夕通過していたという”境界”には、まるで、空港ターミナルを思わせる建物。数度にわたってパスポートチェックを受け、分厚いコンクリートの壁に囲まれた決して同時に開くことのない7つのゲートを通り、ようやく辿り着いたガザの表情は、イスラエルのものとは大きく異なっていました。また、6日(水)に訪問したヘブロンの旧市街は、歴史のある商店街が、いたるところに設置されたチェックポイントや、突然現れる“移動式”のチェックポイントで分断され、子どもたちは、日々、様々な暴力に晒されている状況でした。 様々な国や勢力の思惑に翻弄され続けているパレスチナ。しかし、出口が見えないトンネルの中に置かれているようなこの土地にも、日々無限の可能性を持った子どもたちが生まれ、育ち、多くの子どもたちの命と未来を、日本の支援が支えていました。 訪問初日、「日本の多くの人々が、パレスチナの子どものことを考えていると伝えたい」と語ったアグネス大使。訪問最終日は、ユニセフが日本政府とパレスチナ自治政府と共催した「子どもの権利条約」誕生23周年を祝うコンサートに参加。子どもたちと、地元に古くから伝わる歌をアラビア語で披露。ご自身の持ち歌も2曲披露し、子どもたちの幸せと平和を訴えました。アグネス大使は、ガザの子どもたちから託された、東日本大震災で被災した福島県の子どもたちへのお手紙と一緒に帰国。あまり伝えられることが無いパレスチナの子どもたちが置かれている複雑で厳しい現状は、HP等で後日改めてお伝えいたします。
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